負荷と比較を考えた日の日記
あらゆる負荷をなくすことが仕事として成り立っていて
それは生きるためであり、娯楽にもなる
空腹であれば腹を満たす
腹を満たす物を手に入れるために狩る
自分が狩ろうとしたものに手を出すやつらが現れたら戦う
畑をもつ、畑を広げたい、土地の奪い合い
過去を遡っていくと
移動時の負荷をなくすために車や飛行機が
みたいな
ノンストレスを目指す一方で的世界中のすべての人が納得のいくことなんてなくて
現代ニッチ思考というマスが出来上がって
好きなことだけを好み、嫌なことは避けるだけではなく嫌なものは集中攻撃して潰してしまうなんてこともあって
理性とはなんなんだとなる時もある
負荷の解決を究極に求めれば奪い合いが起きて
様々な方法で攻撃を行うことになることはもう分かっていて
バランス調整したほうが良い
ここまで発達した技術、ストレスが減るかと思いきや、ストレス社会なんて言われたりしていて
負荷の完全抹消は不可能だ
可能かもしれないけど
その追求は一旦おいておいたほうがよくて
もう一つ生きるなかである物があって
そらは比較だなと思っていて
光があるから闇がある的な
例えば幸せって何かと何かを比較した時に自分にとってプラスの方に分類できる事をそう呼ぶんだと思う
嬉しいことも悲しいことも比較材料があってのことで
負荷をなくすことと、比較すること
このバランス感覚が大事だと思う
負荷がない状態とはノンストレスということ
それは常に良い状態で
そこに立てたとして最初は幸せかもしれない
でもそれは負荷があったからだ
比較出来ていたからだ
日々多少のストレスは受け入れるつもりを持つことでバランス調整は出来る
もちろん
ストレスを受け続けることもよくないんだけど
負荷があって、それに対して考え行動して、結果的に元の状態とは違う状況が今よりよければ喜び、そうでなければ悔しかったり辛かったり
それが普通のことで
情報の中の架空の実体験でない妄想の自分が宙に浮いていて
架空なので本当にその立場に立ったときの気持ちとか判断力とか、そんなことはわからずに
映画やドラマにむかってなんで逃げないんだよ
この間に逃げれるだろ
みたいなことを言うような
いざそうなった時のことを本気で考えた人からしたら、
現実に自分がその場にいたら動けないかもしれない
その実そちらの方がリアリティがあるのかもしれなくて
朝からそんなことを考えていて
記録に残そうと思った