6回死にかけた人間は物事をどう捉えるのか
前回、散々「自分を変人だと認めたら、そのまま貫いて楽しもう!」と書きました。
とはいえ開き直っても、「お前は違う!」と突きつけられたらちょっと悲しくなるし、誰にも言われずとも一人で「まぁ、わたしがおかしいんだよな...」と諦めざるをえないシーンに出くわすと、やっぱり心は痛みます。
そうして心が折れそうになったときにいつも振り返る「だからわたしは人と違うんだ」と自分を納得させる「わたしが変人たる所以」について書きます。
「なんで自分はこうも人と違うんだろう?」と下をむきそうになった時に毎回思い出す"自分が納得できる理由"を持っておくと、立派な支えになるよ〜〜!!
『6』これは何の数字でしょう?
テレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」にて、朝倉未来先生が登壇した回。
冒頭でこんなやりとりがありました。
朝倉「『6』これは何の数字でしょう?」
生徒たち「なんだろー??」
朝倉「これは僕が死にかけた回数です」
生徒たち「えー!!!!!(絶叫)」
これを見た時
👩「わたしと同じだー」と事実を述べたところ、隣で一緒に観ていた夫にギョッとされました。
そう、これも普通じゃないらしいですね。
わたしは0歳から23歳までの間に、6回「あの時死んでもおかしくなかった」経験をしています。
うち3回が交通事故、3回が病気関連。
これが、わたしが「普通じゃないのも仕方ない」と受け入れる理由に繋がっています。
生きていることがびっくり
「あの時死んでもおかしくなかった」って大袈裟なんじゃない?と疑いますよね。
証拠にするつもりはないんですが、他人からわたしの生死について評価された時の話をさせてください。
ある夜、普通の食事会だと思って参加したら「実はレストランのオーナーが知る人ぞ知るすごい占い師」とのことで、その場にいた人は全員、強制的に占われました。27歳の時のことです。
自分から占ってもらいに行くタイプではないので、今のところ対面で占い師に占われたのは人生でこの時だけ。
「占いかぁ〜アテにしてないんだよな〜」と、どうリアクションすべきか考えつつ、他の人がキャッキャしてるのを見ているうちに回ってきた自分の番。
その占い師はわたしの手相を見て開口一番、こう言いました。
「大変な人生だったねぇ...」
「?どういうことですか?」と尋ねると、
「既に死んでいる人の手をしています」
とのこと。
あっはっはっはっは!!!!!!!!
その瞬間、大笑いしちゃいました。
全く期待していなかった占いに、めちゃくちゃ心当たりのあることを言われたから。
そうだよね、今生きていることの方が奇跡だよね。
それくらい、わたしにとって死は既に訪れていたはずのものなんです。今生きていることが奇跡。人生最大の予想外。
6回死にかけるって、どういうこと?
先ほど、0歳から23歳までの間に、6回「あの時死んでもおかしくなかった」経験をしていると書きました。
※うち2回は0歳と1歳で経験しているので、自分では記憶にありません。親から言われたこと。
過保護に言われたわけではなく、心臓の病気にまつわる話です。
実際にわたしは手術跡が自分の体に残っており、れっきとした既往歴なのでカウントしています。
6回死にかける。
生と死の分岐点を6回経由して、今、わたしは生きている。
はい!ここで算数の時間です!!
コインを投げて、6回同じ面が出る確率はいくつですか?
(1/2)の6乗=1/64!!!
これを「生きる/死ぬ」に置き換えてみると...
生きている確率は1/64!
ピンときませんか?見慣れた%表記に直しましょう。
1/64*100=1.6(%)
生存確率1.6%!!!!!
高い確率で死んでますね。
100-1.6=98.4(%)
98.4%の確率で死んでます。
この事実が頭にあると、先ほどの占い師の言葉も違った風に聞こえますね。
🔮「既に死んでいる人の手をしています」
ぷしゃーーー!!!!!
もはや言われた直後に首がもげて死んでる側ですね。占い師からの死の通達「お前はもう死んでいる」。
まさかあの名シーンで死んでる側に位置するのが自分だとは。
こうして、さまざまな場面で「死んでたはずの人」という自覚を持って生きています。まさかの1.6%を掴んで、生きているわけですから。
わたしがみんなと違うのは、ここです。
「生きている方が驚き」。
わたしは死にそうになる経験を重ねすぎて、ずーっと「はい今日死ぬ。このあと死ぬ」という念慮が常にあります。
だって元々の体の弱さと、交通事故にあいやすい不注意傾向がかけ合わさったら「いつ死んでもおかしくない」以外の答えが出ないんだもん。
だから毎日毎日、「はい今日死ぬ。このあと死ぬ」と思い、「なぜ今日があるんだろう、生きているはずじゃなかった」と首を捻りながら過ごしています。
6回死にかけたことで起こった思想の変化
「なぜ今日があるんだろう、生きているはずじゃなかった」
「はい今日死ぬ。このあと死ぬ」
この2点が常に頭にあると、一般的な人たちと思考が大きくズレます。
どうズレるかというと、大体こんな感じ。
↓
一般的:人生100年と言われるから、先を見越して、今はこうしよう
もう死んでいるはずの人:今この瞬間にやりたい事をしよう。大丈夫!失敗しようが成功しようがすぐ死ぬから!!
長期間で物事を考える事が極端に下手で、かつブレーキが無いんですね。
だって既に死んでいるはずの人生だし、この後長生きできるとも思っていないから。
※根が能天気で「どうにかなるっしょ」タイプなのも大きく関係しているはず
おーこわいこわい。
ブレーキの有無は大きい!
一般的な人たちが後の事を考えて「ここはやめとこう」「わざわざ危険な橋を渡る必要はない」とブレーキを踏むところを、わたしは迷いなく「だってやりたいから!」の一言のみでアクセルを踏みます。余裕でベタ踏みします。
物事を決める基準が「目の前のことをやりたいか、やりたくないか」「面白そうか、そうでないか」になり、安全性とか長期的な身の保全を全く考えない。
そりゃあ他の人から見たら怖いよね。
安全具を全く確認せずに気持ち優先で飛び込むんだもん。
こうして「他の人から見たら理解できない行動」が積み重なり、見事に変人の名を欲しいままにするに至りました。
周りとの決定的な違いを突きつけられたら「まぁ、この後すぐ死ぬと思って過ごしている人はわたしだけだしな」と納得する。
誰に言うわけでもない、自分だけで抱える支え。
そんな日々です。
変人のメリット・デメリット
<メリット>
ここまで「死を意識することで目線や評価軸が変わる」話を書いてきました。
メリデメ、と括っていいのかわかりませんが、この思想のおかげで仕事にポジティブに働いたこともあります。
それは、仕事の記録をまめに残すこと。
新たに行動を起こすことって、前進している感覚が得られるので、動き始めることさえできれば、滑らかにぶんぶん動けちゃうものだと思うんですよね。
一方で誰もやらないのが、記録を残すこと。
一般的な人は、自分がやってきて得た経験や知識を残さない。面倒だし、求められない限り、残したところで誰からも評価されないから。
しかし、わたしのような「この後帰り道に死ぬ」と思ってるタイプは「わたしがいつ死んでもいいように、全部残さねば」と思います。
ローカルで自分だけで握り締めるなんてもってのほか。
クラウドにあげるのはもちろん、「どういうやりとりがあった結果、ここに帰着しているのか」理由までクラウドメモに残します。
わたしのこの習性は、会社員をやるにあたって一部の人からは非常に褒められました。
「ふり子が関わってることなら何かしら情報は残っているし、すぐ出てくる」と。
残念ながら会社からの評価には反映されませんが「危なさはあるものの、悪い奴ではない」と自分の存在をポジティブに受け止めてもらう一助となった手応えはありました。
<デメリット>
デメリットは対人関係において山ほどありますが、自分一人で足止めをくらう場面でいうと、漫画や小説などの創作物を読んでいる時に目線がおかしくなることでしょうか。
例えば漫画『チェンソーマン』で「怖がったら死ぬ、死なないのは本物のイカれ」みたいな説明シーンがありました。
おそらく圧倒的多数の人が「イカれはやばいよね〜こわいわ〜」目線で頷いていたところを、わたしは「怖がらないイカれ側」の視点で頷いていました。
まじで怖くないんだよね。生に執着がないから。
(こんな事書きながらまだ4巻までしか読んでない。今のところとても面白いよチェンソーマン。)
つるっと腹落ちして一拍置いてから「はっ!今わたし、目線が完全にズレてたな!」と気付く。
その「気付き」が雑念として、のめり込んで読んでいる自分を自分が邪魔してくるのはデメリットと言えるかもしれません。
え?デメリットの規模が小さいって?だって一人で過ごしている時間の中で困ることなんて別にないもん。開き直ってるんだから。
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「だからわたしは人と違うんだ」と自分を納得させる理由を書きました。
ず〜っと頭にあったことなので、書けてスッキリ!
よりどころが1つでもあるとぐっと楽になるので、自分が周りと違うことで悩んでいる人にはその理由まできちんと掘り下げて納得するところまで行って欲しいな!
この記事がその手がかりになったら嬉しいです!
前回「変人も貫けば楽しい」話を書いた記事はこちら👇