Memento mori
先日、恵比寿にある東京都写真美術館で開催されていた
「メメント・モリと写真 ―死は何を照らし出すのか―」
という展覧会に行ってきました。
久しぶりに恵比寿に足を運んだので、恵比寿駅で電車を降りてエビスビールのCMソングとして馴染みある映画「第三の男」のテーマ曲が聞こえた瞬間、テンションが上がりました🍻笑
本展では、ラテン語で「死を想え」を意味する「メメント・モリ」をテーマに、死を想起させるメディアとも言われる写真を使って、これまで人々がどのように死と向き合ってきたのか、そして今を生きる私たちに死とは何なのかを改めて問うような展覧会となっていました。
時代も国も、そして撮影者の国籍も異なる写真作品が
約150点展示されており、それぞれ3つのテーマに分類されていました。
第1章は「メメント・モリと写真」、
第2章は「メメント・モリと孤独、そしてユーモア」、
第3章は「メメント・モリと幸福」です。
そもそもメメント・モリという警句が生まれたのは、
ペストが大流行した中期ヨーロッパであり、目に見えないものによってどんどん身近な人が死んでいく、そんな死が隣り合わせだった時代を生きた人々が死を恐れるのと同等、いやそれ以上に積極的に生きることへ意味を見出そうとしたことが起源であるそうです。
程度は異なるにせよ、現在も目に見えないものに振り回されていることには変わりがないので、他人事とは思えない感覚ですね。
様々な作品が展示されており、本当に心を打たれるものばかりでした。
戦時中の塹壕で待機する兵隊たちを撮ったものや、
老夫婦が静かに口付けをしてる様子を撮ったもの、
はたまたベンチで手を広げ、足を組んで悠々と座っている女性を撮ったもの
といったように、写真に収められていたシチュエーションは様々でした。
それらの作品を鑑賞しながら
写真に写っているものは全て過去のある一瞬であり、絶対に戻ることのできない過去を切り取ったもの。
そしてこれらの作品を見ている自分に流れている時間も一刻一刻と過ぎており、決して戻れない過去であるということを改めて強く感じましたね。
椎名林檎の「ギブス」の冒頭に
あなたはすぐに写真を撮りたがる
あたしは何時も其れを厭がるの
だって写真になっちゃえば
あたしが古くなるじゃない
という歌詞がありますが、この展覧会を踏まえてから聞くと、よりしっくりきました…。
美しい風景や美味しい食べ物、
誰かと一緒にいる時などを始め、
「残しておきたいと思う時間を切り取るための手段として写真がある」
ということに気づかされ、そしてこれまで撮った写真の数々に懐かしさと愛おしさを感じるきっかけを与えてくれた本展には感謝しています。
生まれたと同時に開始された死へのカウントダウンは、
その時が来るまで決して止まることなく、こうして文字を打っている、読んでいる間にも進んでいます。
いつ死が来るのかなんて誰にもわかりませんが、
だからこそ人は生きていけるのだと思います。
そう、私という生命体が今、こうして輝いて生きているのは、いつか訪れる死が約束されているからなのではないかと考えます。
永遠は理想であり、残酷でもある。
そんなことを考えさせられるような一時でした。