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TAFRO症候群×新型コロナウイルス感染7日目:1週間ぶりについた既読マークと父からの返信
「なんじゃ、そりゃ」な6日目が明け、人工呼吸器が外れて座ってテレビを観ている父の姿を浮かべながら、少しだけ晴れやかな7日目の朝を迎えた。私の自宅待機期間も半分が過ぎようとしている。
父はたぶん、ICUの雰囲気に飲まれないようテレビを望んだのだと思う。TAFRO症候群の重症時、救命救急の病室でせん妄と悪夢に苦しめられていたとき、テレビから流れる紅白歌合戦でこちらの世界に戻ってきたことを思い出したのかもしれない。鎮静から覚める夢うつつの中で、現実の世界に戻ろうと戦っていたのだと私は思う。
「まだ、このまま順調にいかないこともある」
私はそう自分に言い聞かせていた。一進一退、あちらを立てればこちらが立たず、昨日はあんなに元気そうだったのに、などの急な変化には、この1年でもうずいぶんと慣れていた。
それでも、あまりいい思い出のない集中治療室からは早く出られるといいなと願っていた。どこのICUのスタッフさんたちも皆24時間つきっきりで父を見てくださる。だけどやっぱりあの殺伐とした感じは父も、私も、やっぱり苦手だ。今回は実際には行っていないけれどなんとなくわかる。
『ありがとう、大丈夫だよ』
7日目のお昼、LINEの通知が来た。開いてみると父の名前。1週間ぶりの父からの返信だった。
『いろいろとありがとう、大丈夫だよ!○○(妹)にも連絡して』
もう、聞きたいことがたくさんありすぎる。それでもあまり負担もかけたくない。
『大丈夫、安心して。落ち着いたら状況教えてくださいね。自宅待機明けたらすぐ病院に行きますね!』
一言だけ返して「了解」と短い返事をもらう。
集中治療室はスマホを使えるのだろうか?父がLINEを送っているということはもう出たのだろうか?管が外れて、父は楽になったのか?それとも苦しくなったのか?今の肺炎の状態は?今後の見通しは?あーキリがない。
落ち着け、もう少し待て。
そうだ、こんな時は好きなものでも食べよう。今は非対面配達で美味しいものを出前でいただくことができる。ありがたくサービスを使わせていただこう。そうしよう。
父の今の状況を知りたいという思考の渦を「何を食べようかな」に切り替えてやり過ごす。食べたいものを探し、注文し、配達を待って、夫と一緒に食べる、満たされる。少しだけ落ち着けたような気がする。
***
このまま、快方に向かってくれればいい。
それだけを願っていた。
ICUを出て、自発呼吸でしっかり肺が機能してくれるようになって、吸引の苦しみを味わわずに痰を出せて、発熱で体力を消耗することなく(これはステロイドのおかげで多分大丈夫だと思っている)、食事も少しずつ取れて、数日したらトイレにも自分で行けて、軽いリハビリだけで入院前の歩行状態に戻れて、TAFROの本来の治療へ。
相変わらず、爆裂妄想娘だと思う。
悪い方向の妄想も激しければ、良い方向の妄想も激しすぎる。
『そんなにうまくいくことばかりじゃないよ、人生』
父はそういう考え方をする人だ。
だから今までも「落ち着け、落ち着け」と自分をたしなめ、できるだけフラットに現状をしっかり見つめて「いま目の前で起きていること」を粛々と受け入れ、着実に前に進もうとする父を見習おうと心がけてきたつもりなのだけど。
峠は越えたかな、とつい、思ってしまった。
これがまた、自分で自分を苦しめることになるんだけどね。