相模原に生きて、SC相模原に夢を見ている話。
サッカー、そしてSC相模原と出会って早1年半。
気付けば、週末は毎週ホーム・アウェイ問わずSC相模原の試合を見に行くようになった。
けれど、元々よく遠出する癖はあったものの、自分が1つのJクラブの、それもカテゴリとしてはJリーグ内では一番下に位置するJ3のクラブの試合に通うようになるとは、夢にも思わなかった。
つい数年前までは、そこそこ熱心な巨人ファンだった。
幼少期から両親に東京ドームの外野席に連れられ、高校生になってからは自分でチケットを買うようになり、相模原から水道橋まで年間数十日通っていた。
大学はキャンパスから東京ドームまでの近さで選んだ。年間120試合以上観戦したシーズンもあった。
東京ドームでの試合は勿論、巨人を追いかけ全国各地を飛び回っていた。
週6や月20のペースで試合を見ることは当たり前。講義と試合の時間以外は昼夜問わずアルバイト。外野席以外にはほとんど座らなかったので、シーズン中は応援で掠れた声が戻ることはほぼなかった。
今はもうそこまで注ぎ込む時間も体力も無いので、戻りたくてもあの頃には戻れないが、それにしても凄まじい情熱だったと我ながら思う。
その頃は、サッカー自体、見向きもしていなかった。
オフサイドの定義すらよく分からず、ボランチやサイドバックなどと言われても、それがサッカーのポジションであると気付けていたかどうかすら怪しい。そういうレベルのサッカー音痴だった。
思い返してみると、野球をずっと見ていた頃、サッカーは「コスパの悪いスポーツ観戦だな」と決めつけていた節がある。
試合時間は野球のおよそ半分、年間試合数もJリーグはプロ野球の4分の1程度。
得点も、野球に比べればかなり少ない。
何故多くの人が、その土地土地のクラブに魅せられ、応援するようになるのか、理解出来ていなかった。
去年、ひょんなことから初めてギオンスへ観戦に行き、自分が育った街・相模原のクラブを応援してみて、それが分かってきた。
サッカーは週末だけ、多くても週2日までしか試合がない。足を使うスポーツなのだから当然だと分かっていたけれども、試合を見て驚いた。
あれだけ鍛えているJリーガー達が、毎試合のように足が攣るまでピッチを必死に駆け回る。
ゴールが決まれば、ベンチメンバーまでもが飛び出して皆で喜び合う。そして、試合終了の笛を聞いて、選手達がピッチに倒れ込む。
どれも衝撃的な光景だった。
試合時間が週にたった90分しかないということ、それは裏返せば、そのたった90分間のために、その週の他の時間全てを費やした真剣勝負が繰り広げられるということだった。
毎日試合がある野球しかまともにスポーツを知らなかった僕は、打ちのめされた気分になった。
やる方が90分間にその週の全てをぶつけるならば、見る方もそれ相応の気持ちになるのだと、初めて気付いた。
勝てば涙が出るほど嬉しくて、1週間が楽しくなる。反対に、負ければまた涙が出るほど悔しかったり、時には怒りたくもなったり、空虚感に支配されて何も手につかない状態になったりする。
1つのゴールを見ると、宝物を手に入れたかのように嬉しくなる。試合が終わったあとも、リプレイを何十回も見る。
もっとゴールが生まれるには、もっと失点を抑えるにはどうすればいいのか、誰がどう頑張ればいいのか。それを知ろうとするうちに、徐々に戦術やシステムと呼ばれるものを覚えたり、ジャッジリプレイを全回チェックしたりして、何となくサッカーという競技の深みがかすかに見えてきた。
少ないからこそ、1つの得点、1つの試合の価値がとても大きくて、重い。
そして、だからこそ見ている僕たちは熱狂する。それに気付けた。
毎週、試合があるのを本当に楽しみにしている。
ホームゲームに行けば、Twitterで繋がった方々と挨拶をして、選手にメッセージを書いたり世間話やチーム・選手の話をしていたりする内に、気付けばあっという間に試合が始まる。
この1年半で、ギオンスは本当の意味で僕の"ホーム"になった。
そして、遠方のアウェイでも、ゴール裏に行けば、気さくに迎えてくれる方々がいる。
多くの人が、SC相模原のホームタウンやその近郊から来ているので、チームと一緒に「勝ち点を相模原へ持ち帰る」と、見えない結束があるようにすら感じるあの空気は独特だと思う。
SC相模原は最上位カテゴリにいる訳ではない。
僕がそれまでいた巨人戦に比べれば、試合の観客数は数十分の一。電車が何路線も乗り入れている大きな駅のそばにスタジアムがある訳ではない。
それでも、僕はあの頃の東京ドームよりも確かな熱を、ギオンスで、アウェイスタジアムで、SC相模原から得ている。
1つの試合、1つのプレー、選手の一挙手一投足に一喜一憂している自分がいる。
このクラブが、もっと大きくなっていくところを見たい。
相模原で育った人間として、SC相模原に出会えた人間として、このクラブの行く先をずっと見守りたい。そう思うようになった。
届いて欲しいあと1歩が届かない時の、身を焦がすような悔しさ。
どうしても追いすがりたいのに、相手を上回れないまま時が過ぎ、そして鳴る試合終了の笛を聞いた時の虚しさ。
相手を崩して、絶好の位置でシュートが放たれるときのスタジアムにほとばしる高揚感。
そして、ゴールが決まったとき、勝ったときのあの弾けるような一体感。
最早そこに「上手い」・「下手」は大した意味を持たないことに気付いた。
心が震えるかどうか、それに尽きるのだと。
僕らと同じ街にいる彼ら。
良いことも悪いことも、一緒にたくさんの同じ気持ちを味わう。
そんな彼らとだから、見ていて気持ちが震える。未来に夢を見たくなる。
SC相模原がもっと大きくなってほしい。この気持ちは変わらない。
けれど、それは僕一人が見て、語る夢ではない。
その時その時いる、クラブ関係者、選手・スタッフ、サポーター、地域。皆が薪をくべるように語らい、火を大きくして、やがて叶えていく。
夢とは、きっとそういうものなんだと思う。
正直、応援していて苦しいことや悲しいこと、辛いことも多くある。
けれど、それを補ってあまりある、大きな大きな希望が、僕を毎週スタジアムへ連れ出してくれる。
まだまだ、まだまだ、まだまだまだまだ道半ば。
けれど、確かにこの道が夢へと続いているという確信。
きっと、これがあるから、僕はこの街でこのクラブを応援しようと決めたんだと思う。