宮台真司の界隈塾ゲスト中谷友香さん10月20日行って来ました。パート2
10月20日
kenziさんと界隈塾へ
昨日亡くなったkenziさんちの猫ちゃん(ご冥福をお祈りします)の話しで人間のわがままで死期を延命していいものか談議しながら早めのランチをした。
今日はお互い行く前からナーバスになってたんで吹っ切るつもりで「ばっくれちゃう?」とか(もちろん冗談ですよ)言ったら、「それは人として」ってkenziさん(そういうとこ好き)
ここから、話しがあちこち飛びますが…
今回、先に配信も買っていたので帰ってから繰り返し観ている。
現場では良く見えなかった(ダウンライトが苦手で隅の暗いとこから見てた)スクリーンに映し出された中谷さん持参の資料が良く見れて嬉しい。
学校嫌いで勉強嫌いな私が初めて出会った「頭が良い人」だったのが音楽誌「ロッキングオン」で当時ライターをしていた
岩谷宏であった。
ただ音楽の聴き方に共感していたってのがまずあって(クリムゾンとかボウイとかロキシーとか)ストイックな生き様とか、資本主義批判であったり男社会批判から女性性(ほとんどが男社会に加担するバカな女であるが)についてであったり人間の本来性についてだったり、なんだか凄い人が人生で初めて現れた事にのめり込んで読んでいた。本気でこの人は世界を変えるんじゃないかと思ったのだ。(三つ子の魂百まででいまだに、岩谷さんは最初に影響された思想家として生き続けている)ただし私が読んでた頃はかなりアグレッシブな文章だった。
子供の頃から抽象的な観念的な世界がコトバで断絶されるのがどうにも納得がいかなかったし、脳内で起きている現象を言語化できるものなんてほんの僅かで頼りないものだと思うのだ。
エリートったって人間社会の中だけで相対的にちいと抜きん出てるだけで私利私欲で本来的に社会に貢献出来てる人間なんてほんの僅かだろうが。
それで何のためのエリート(頭の良さ)なんだか?
そんな私の思想の根源にある岩谷宏から今回の界隈塾の内容が非常に響いたのだ。
今回の界隈塾での宮台真司さん中谷友香さんの様な方達は人類にとって真にエリートだと思う。(お二人の事知ったのもkenziさんの影響)
この社会で評価されるため、経済的価値のために犠牲に(見ない事にした)してきたものの中に本来我々がコトバにはしなかったが確かにあった関係性の絆。
漂白剤ぶっかけて環境に必要なバクテリアまで全滅させてるような社会風潮。
危なさの中にある予期できぬ偶然の諧謔。
安全安心な社会なんていう共同幻想を鵜呑みにして
不安定な宇宙の上に立っていることを忘れてしまう。
反社会は「悪」という一言で終わらせていいのだろうか?
絶対的な「悪」というレッテル貼りして終わりでいいのだろうか?
この世の中「正義」が益々胡散臭くなっていると思わないのだろうか?
正しさのレールの上を走って来たつもりだったけど始めっから間違ったレールの上を走って来たと認める訳にもいかないって幻想の社会を生き続けるのか?
宮台真司さんの社会学というものは人間の本来性を導く、或いはこの狂った社会を紐解くための論理という私のような学の無いものでも非常に興味をひかれる。
計算はしてもしなくても結果一緒(中谷友香さん)
目的合理的(計画的な人生設計)な生き方よりも価値合理的(明日死ぬかもしれぬ今を楽しむ)な生き方(宮台真司)
手順どおりいかないからオモロいことおこる(大森靖子)
人生はライブでインプロビゼイション(期待を裏切っていく)なのだ。
と自分の尻を叩く毎日なのだ。