名前は、まだ無い。

ROCK好きオッサン 大森靖子、D・ボウイ、マニックスがお気に入り。

名前は、まだ無い。

ROCK好きオッサン 大森靖子、D・ボウイ、マニックスがお気に入り。

最近の記事

宮台真司の界隈塾ゲスト中谷友香さん10月20日行って来ました。パート2

10月20日 kenziさんと界隈塾へ 昨日亡くなったkenziさんちの猫ちゃん(ご冥福をお祈りします)の話しで人間のわがままで死期を延命していいものか談議しながら早めのランチをした。 今日はお互い行く前からナーバスになってたんで吹っ切るつもりで「ばっくれちゃう?」とか(もちろん冗談ですよ)言ったら、「それは人として」ってkenziさん(そういうとこ好き) ここから、話しがあちこち飛びますが… 今回、先に配信も買っていたので帰ってから繰り返し観ている。 現場では良く見

    • 中谷友香さんゲストの界隈塾に行って来た。

      10月20日(日) 昨日とはうって変わって気温が10℃近く下がり束の間の秋を感じられた。 今日はお友達のkenziさんと宮台真司界隈塾へ向かう。 二人とも大ファンな宮台真司さんと中谷友香さんのダブル出演と知った時、これは絶対行きたいと思っていたのだが、紹介制だと知って知的ハードルが高そうだと諦めきれなかったり内心ホッとしたりのジレンマだったのだけど、以前からSNSで仲良くして頂いている方(伏せといた方が良いのかな?)から紹介して下さるとDMを頂いてなんとか参加にこぎつけ(

      • 人間は歳をとらない。(かもよ!)

        今ある社会的な時間の概念が資本主義(経済的な強者)にとても都合良く作られたものだと思えてくると、 例えば、需要と供給にしてもそれぞれの年代で特定の需要を作り上げて供給のサイクルを上げていく。 この年齢になったらこれが必要です! 赤ちゃんには赤ちゃんの、高齢者には高齢者の為の安定したコンプレックス産業を成り立たせる。 そのためには、1秒1秒時計を気にして神経症的に歳を取らさなければならない。 テレビをつければあらゆるニーズ(作り出された)に応える(その気にさせられる)それで

        • 石田月美さんの本や友人のnoteを読んでの走り書き。

          離婚率が年々高まり結婚することもなかなか難しくなっていく現代社会で、それでも婚活アプリ使って出会いを求めて趣向性の高い相手を探す。 今、58歳の私の若い頃は恋愛を経て結婚(バブル期の男は3Kじゃないと対象外だったよな?)お見合い結婚は大分少なくなっていたと思う。 社会的にも結婚していないと一人前として認められない風潮があったし 玉の輿とか?結婚ってステイタスだったのだ(今と精神性は違えど) その頃流行り出したニートやアルバイター?(リクルート雑誌)正社員にならずに社会と

        宮台真司の界隈塾ゲスト中谷友香さん10月20日行って来ました。パート2

          人間としての存在を否定した瞬間。

          詳細な記述は遠慮させて頂いて(読者のためにも?) 大森靖子の新譜の最終曲で個人的に記憶がフラッシュバックしてしまったので(靖子ちゃんの意図してないところだったらごめんなさい🙏) そう、人生ってマジうんこから始まった。はじめから台無し。 最後の記憶は中学生の頃。 粗相を、 しました。 社会の裏側へ葬られなければいけないものをこちらの世界で放出してしまった(聞きようによっては芸術) 私は人間ではなくなった。 人権も、あらゆる人間関係から 自分は関係を築くことを許されな

          人間としての存在を否定した瞬間。

          僕らがみんな正統を目指していたあの頃。(私的戸川純論)

          また朝2時に目覚めてしまって(仕事休みだとついつい) たまたまyoutubeで久しぶりに戸川純を夢見心地で見ている。 戦後、バラバラになった異常な世界(地獄)から組み立て直していく(再構築)して行く事に夢中だった最後の時代。 戸川純が期せずして現れた。 戸川純といえば、元祖メンヘラと言われている。 正統を目指せ!という社会に乗り続けようとすればする程持ち前のクソ真面目さで、歪み、ひしゃげていく。 80年代というのは、(受験戦争、校内暴力、家庭内暴力とか)それまで見

          僕らがみんな正統を目指していたあの頃。(私的戸川純論)

          現実世界を何をもって定義するのか?

          洗脳された社会の暴かれた嘘。 この社会の真実の姿。(今ある社会はオカシイと思えど) 社会の真実の姿が露わになっていく事は良いとして、洗脳されて来た世界が崩壊する事を大多数の人々が望んでいるのだろうか? 今まで積み重ねて来た個人の社会生活の歴史が根底から覆される、幻想だったなんて誰も信じたくは無い。 幻想の中でも生きてきた実績があるから。幻想の中で死んでいってもそれはそれで(真実は切り捨てて)構わないのだろう。 そのまま社会(他者)が崩壊していっても、このままなんとなく自

          現実世界を何をもって定義するのか?

          食べる事が苦手かもしれない

          いや、お腹も空くし、食欲もある。 しかも食べ物を作る仕事を30年以上していて何を言ってるんだか? この仕事をするキッカケにそれを克服したかったってのも少しあった。 し中卒で選択肢が無いとかってより手に職(ものづくりは好き)をつけるなら調理師しかないとは漠然と思っていた(子供の頃テレビで観た天皇の料理番に憧れ) 自分がモノを食べている姿が気持ち悪い。 食べている行為が気持ち悪い。 食べ慣れてるから平気なんだろうけど、よく見ると…(あんまり考えるとたべれなくなります。)

          食べる事が苦手かもしれない

          空っぽの社会

          社会の檻の中で制度の枠内で周りと同じ様に世間体を重んじて作られた何も無い(軸が無い)上に積み重ねられた薄っぺらい感情の幼児性以前とも言える様な人格たち よもや資本主義を間に受けて、煽てられバカバカしさに気もつかず一生懸命、命を浪費するなんて! 企業の(内部留保)の肥やし。仕事=社会貢献など現状すればするほど、してるつもりな幻想で社会を破壊し続けている。 日本社会の縮図は末端の社会の底辺まで及んでいる(資本主義社会の末期症状) 戦後作り上げられた複雑奇怪なシステム(政治、

          私はいつから死を意識し始めたのだろう。

          保育園のお昼寝時間、壁にシンメトリーに掛けられたピカソの絵の凝縮された不安定な世界が何気ない日常を破壊していた。 子供の頃はよわよわだった。(今より) 小学校に入った頃はしょっ中気持ち悪くて早退、自家中毒と診断された。(保健室で良く鉢合わせた病弱そうだった同級生の女の子は今頃どうしているのだろう) たしか小5の頃、頭痛が酷くて耳鼻科へ連れて行かれ蓄膿症のなり始めと言われて、どこから聞いた情報か忘れたけど、酷くなると手術(鼻の下を切って)悪くなると死ぬとか言われ、それ以上

          私はいつから死を意識し始めたのだろう。

          僕にストーンズはわからない(そしてマニックスとの出合い直し)

          ロックが不良(青春)の音楽というより(そんな時代がありました。昭和の発想でごめんなさい🙏) カタワモノ(病んで屈折してる)の音楽だった私にとって ストーンズよりビートルズ クラッシュよりピストルズ アナーキーよりスターリン マニックスよりスウェード なのだった。(完全に偏見です。ごめんなさい🙏) ロック聴き始めたころからストーンズがわからないコンプレックスがちょっとあった。(でもブライアン・ジョーンズ期は好きになったんだよね) それは音楽から観える匂いなのだから仕方ない(

          僕にストーンズはわからない(そしてマニックスとの出合い直し)

          仕事とは?(何故働かなくてはいけないのか?)

          今まで上昇志向で頑張って積み上げた実績も 誰かのための最底辺(自分だけ美味しい期待値ならOKな人は気にならないだろうが) ピッチピッチの体力モリモリの20代だと張り切ってたらある日突然ただの老いぼれた植民地奴隷宣告なんて悪夢より、幻想に縋ってくれた方がこの社会都合いいし楽。 20代前半まで何度も仕事を変えて(途中引きこもったり)今の職種に落ち着く?までずっと頭から離れない 「仕事したくない」 もう呪われてるのか!ってくらい 働く事が当たり前でそんな事をくちにすれば、「怠

          仕事とは?(何故働かなくてはいけないのか?)

          存在の揺らぎに共振し、この地に魂を繋ぎ止める為の音楽に出逢えた幸福

          今では、当たり前のように聴いている音楽も子供のころは手の届かない隠れてエッチな本見るようなものでした。 それは芽生えたばかりのアイデンティティの気恥ずかしさ、秘めたる恋心。 ビートルズ イエス クリムゾン ツェッペリン ボウイ ロキシー スジバン マガジン フロイド フォーカス ラッシュ そして大森靖子 から受け取ったもので生きてきた愛した音楽に愛されたと思えたから生き延びた。 この途切れることの無い音楽への渇望。 音楽とは生命のエロスのエッセンスなのではないか?

          存在の揺らぎに共振し、この地に魂を繋ぎ止める為の音楽に出逢えた幸福

          存在の影

          24時間鎮まる事なきこの社会という牢獄で本当の自由など無いのかも知れない。 私が存在の自由の証を客観的に証明するものは影しかないのか? 社会を構築する技術や思想も絶え間ない進歩を続け、野生の生存戦略から解放されていきながら、その為に失った「曖昧混沌としながら確かにあった全てに繋がっていた何か。」 世界には解明するまでもなく、しようなんて野暮ってもんよ科学!でも確かにそこにあるものがあるのだ。 科学だ進歩だって馬鹿騒ぎして進んで来た愚鈍な人類。そのための尊い犠牲とか?あ

          地球から水がなくなったら、当然全ての生物は死に絶える。ってのは置いといて 水というのは不思議 なものだ。 生き物でないようで腐るってことはやっぱり生きてるってことで 生き物でいながら個を持たない(他にもいるだろうけど) 個という概念が無い なんだか誰にも気付かれない凄く崇高な生き物みたいだ。 人間も60%は水分だと言うし なんか地球を凄く単純化すると動物も植物も溶け合って水と空気だけになっちゃってそこに生命の集合意識がグルグル回っている。 そこで人間の悩みなんて

          もうひとつの原風景

          小学生(昭和41年産まれ)のころ夏休みになれば必ず母の実家(農家)へよく遊びに行っていた。(千葉駅からバスに揺られて2時間くらいかかった記憶) 都会の子供にとって手付かずの自然にふれられるというのはドキドキハラハラ異世界体験 である。 舗装されていない砂利道やどこまでも続くかのような深緑。 母の実家は村はずれの一番端。森の入り口。 その先は本当の野生の世界。自然に土に帰るのがあたりまえの世界。(当時はまだ土葬だった) 人間社会での孤独感とは違う もっと存在の根源的な孤

          もうひとつの原風景