石田月美さんの本や友人のnoteを読んでの走り書き。
離婚率が年々高まり結婚することもなかなか難しくなっていく現代社会で、それでも婚活アプリ使って出会いを求めて趣向性の高い相手を探す。
今、58歳の私の若い頃は恋愛を経て結婚(バブル期の男は3Kじゃないと対象外だったよな?)お見合い結婚は大分少なくなっていたと思う。
社会的にも結婚していないと一人前として認められない風潮があったし
玉の輿とか?結婚ってステイタスだったのだ(今と精神性は違えど)
その頃流行り出したニートやアルバイター?(リクルート雑誌)正社員にならずに社会と関わっていく(新自由主義の煽り)なんて時代。
「結婚は人生の地獄」とか資本主義的なとしか思えない。
自由恋愛以前の村社会のシガラミによる見合い結婚が悪いとも思えず(汚れない偶然の出会い)
私たち人間の子孫繁栄能力は自然界で異例の繁殖力を誇ったし、それを守る社会を強固なものにして来たのだろう。
男女間の理想と現実、期待値(幻想)と本来の姿(幻想)とのギャップ。
だがしかし、その二つとも個人の幻想でしかない。(掴むことの出来ないもの)
他者(恋愛対象)とは掴むことは出来ないもので所有した途端、色褪せていく(死んでしまう)ものなのだ。
私は家族を所有物として扱わないが
契りを結んだツガイだと思って来た。(動物的な感で)
私とは違ったスキル(高いコミュ力、頭の回転の速さetc)を持った人
でも同じ目(闇の深さ)をもった人
社会的な結婚に貶めたくなかった。
結婚式なんてバカバカしいねを共有できた。
妻の実家の隣の借家(相手が重度のファザコン)で同棲(事実婚だけど勿論承諾を得て)しかも半年間、私は無職だった(誰も責め立てられることなく)
「所有」するという概念が耐え難く嫌だった。何かを所有するというのは生き生きとしたその存在を殺す。でも側に居て欲しい。
子供を授かって籍を入れた。
執着と否所有のアンピパレンツの揺らぎ。
相反するものの不安定さの中にあるバランス感覚。
正解(他者の視点からの)という
数(幻)の正義。
石田月美さんの「まだ、うまく眠れない」と今朝がたkenziさんのnoteを読んでそんな事が記憶の中から溢れ出し勢いで書いてしまいました。(お許し〜)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?