私はいつから死を意識し始めたのだろう。
保育園のお昼寝時間、壁にシンメトリーに掛けられたピカソの絵の凝縮された不安定な世界が何気ない日常を破壊していた。
子供の頃はよわよわだった。(今より)
小学校に入った頃はしょっ中気持ち悪くて早退、自家中毒と診断された。(保健室で良く鉢合わせた病弱そうだった同級生の女の子は今頃どうしているのだろう)
たしか小5の頃、頭痛が酷くて耳鼻科へ連れて行かれ蓄膿症のなり始めと言われて、どこから聞いた情報か忘れたけど、酷くなると手術(鼻の下を切って)悪くなると死ぬとか言われ、それ以上に恐怖を抱いたのが体を切る手術!手術するなんて恥ずかしい事するくらいなら死んだほうが良い!(まだまだ死という概念が出来ていなかった)
その後、何も始まってない10歳の私に死という全部無かったことになるシステムがのしかかって来る。
祖父、祖母の葬式、田舎の村社会独特の儀式とか生々しい土葬(火の玉飛んでそうな墓地で)とか経験して抗うことが出来ない理不尽にやってくる死に対して悲しさと虚しさのどうしようもなさに
道端で息絶えた動物を自分の死に当てはめた時の居た堪れなさ
夕食に出されたシチューをふざけてひっくり返した時に一変する世界(とてつもなく虚しく哀しかった)
今でも夢の中に出て来る子供の頃住んでいた、団地を出たところにある十字路(苦しみのルーレット)
死ぬ事の無い(意識しない)世界は傲慢な世界なのだろう、死というのは(意識するという事)人間にとっての最大の抑止力にもなるのだろう(政治、宗教に利用されてきた歴史)し呪いでもあるし、救いでもあるかもしれない。
学校で家庭で仲良く遊び談笑している中に訪れるどうしようもない胸を締め付けるうらさびしさ。
この不完全な精神と肉体に完全さを求める社会
なんでみんなそんなに完全体のようにしなやかに生きていられるのだろう?
こんな虫ケラみたいに簡単に権利(権利がわからない)を剥奪されいとも簡単に引き裂かれ潰されてしまう身体で
迷える仔羊には労働という麻薬を与え
集団で騙される物語(共同幻想)は死を克服出来るのか?
私にはゆらゆらと現実が不安定にまるで地震が常態化した上を生きているみたいだ(タイトロープ感覚)
何もかも受け入れてくれるものと出会いたい。
何もかも受け入れられるものになりたい。
死を無効化出来るほど愛されたいと泣いていた。
自意識が過剰に溢れ出していた16歳。
『しあわせに生きていく事が最優先事項となった。』
五感で感じている全て他者とは微妙に或いはハッキリと食い違っていく。
小さい頃からよくやっていた、一点を凝視しながら両眼を徐々に交差させていくと3Dの様な妙にくっきりした視界が現れて来て、ぼぉ〜っと心を無にしたい時によくそんな事をしていた。ふだん聞こえない音に集中したり、普段見ないものを凝視したり、無心になれる(浄化)遊びが好きだった。
なぜ、子供の頃の記憶をほじくり返すのか?そこに世界に対して感じた言葉として対象化する以前のエゴイスティックな憎悪や愛をフィルターとして通していないリアルな生のダイナミズムが存在していた様に思うのだ。
無理矢理、一般的な時間の概念当てはめて成長して大人になったみたいに思ってるけど、ホントは何もあの頃と変わってはいないのでは無いか?始めての衝撃的な感受性にばかりこだわっていても、最初に食べたものの美味しさの衝撃も食べ慣れれば…と同じ様なものなのでは?
時間の概念なんてものも社会生活(資本主義)を営む上で必要だったのだろうが、私たちの人生の全てにそれを当て嵌め(利用され)ても良かったのか甚だ疑問なのだ。
思考は乗っ取られる
世界に、身近なところでは仕事に
思考は乗っ取られ定年退職後は抜け殻。
イヤなら死ぬまで働く選択肢(夢の中で死ぬ)まで用意された。
そんな権威主義の資本主義社会からどんなに疎まわれようが取り戻さなければならないものがあるのだ。
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