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[ライフストーリーVol.21]興味を持っていることで人と繋がっていけば毎日が面白くなる

ジャズ演奏を通じて自分の世界を広げる 将来はネパールに大きな家を建てたい

15歳の時にネパールから日本に来たサイレッシュさんは高校時代にジャズにのめり込み、卒業後も日々の生活と演奏活動を両立させながら充実した毎日を送っています。理想の将来像を描きながらも、1つの考えに固執することなく、その時々で夢中になれることに取り組んだ結果、仲間が増えて自身の世界も広がりました。日本社会になかなか馴染めないという悩みを抱える外国ルーツの若者にとって、サイレッシュさんの生き方は大いに参考になるのではないでしょうか。

ネパールの中学の卒業前に来日
―サイレッシュさんはネパール生まれなのですか。

生まれがインドで国籍もインドですが、物心つく前にネパールに移住して、中学3年生まで住んでいました。お父さんは僕が小学3年生くらいの時から料理人として日本で働き始めて、お母さんも中学1年生くらいの頃に日本に来て働くことになったので、しばらくネパールでお兄さんと2人で暮らしていました。

―2年間、親戚の家などではなく子どもだけで生活していたのですか。

かなり特殊なケースだったと思います。自由でお金も両親から仕送りしてもらっていたので個人的には楽しかったんですけど、今振り返るとちょっと自由すぎたかな、という感じです(笑)。

―それでサイレッシュさんが中学を卒業する前に、お兄さんと一緒に日本に来たわけですね。

はい。日本では昼間はたぶんかフリースクールで日本語を勉強して、夜は夜間中学校で勉強しました。言葉が分からなかったので最初は辛かったのですが、あんまり苦労したっていう感覚はないですね。たぶんかフリースクールではいろいろな国から来た友達もできたし、楽しかったです。

―今は日本語をすごく流暢に喋っていますが、ある程度話せるようになるまでどれぐらい掛かりましたか。

読み書きは早く上達したんですけど、話ができるようになるまで半年ぐらい掛かりました。自分はあまり話さないタイプだったのですが、同じ年代で同じ時期に勉強をスタートした友達の中には3カ月ぐらいで喋れるようになった人もいました。

高校生の部活動でジャズを習い夢中になる
―高校には通常の受験で入ったのでしょうか。

外国籍特別枠と一次募集を受けましたが落ちてしまって二次募集で合格しました。高校の授業であまり苦労した記憶もないし、学校では楽しく過ごしましたね。ただ、友達付き合いの仕方がネパールと違ったので、友達の輪に入りづらい部分はありました。ネパールの文化では、もう少し自己主張したりフランクな感じで人と接したりしていますが、それまでに日本人と触れ合う機会が少なかったので、僕は空気があんまり読めなかった感じでした。だから、周りに合わせて振舞っていた感覚はあります。

―当時は思春期ですし、自分を抑えて振舞わなければいけない境遇に対してネガティブな感情は湧きませんでしたか。

それは少しありましたね。あと、自分は高校に入ってからジャズギターをやり始めたんですけど、周りにジャズをやっている人がいなかったので、熱心に取り組んでいたら仲間外れみたいにされたこともありました。

―そもそもジャズを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

お兄さんが元々音楽をやっていて、家の中でいろいろなジャンルの音楽が流れていたので、自分もちょこちょこギターを弾いたりしていたんです。それで高校のボーカル部という部活動に入ったのですが、顧問の先生に「プライベートレッスンを受けたい」と軽いノリで話したら、ジャズミュージシャンの方を探してきてくれました。その師匠に教えてもらううちにだんだんとハマっていった感じです。

―その時は、音楽で将来食べていこうという気持ちはあったのでしょうか。

そういう気持ちはなくて、ただ単に「上手くなりたい」としか思っていなかったです。あまり将来どんな仕事に就きたいとか考えていなくて、やりたいことだけやっていました。

―高校卒業後はどうされたのですか。

アルバイトをしながら音楽を続けていましたが、数年前にお父さんが務めていたカレー店のオーナーから店を引き継いで家族で経営することになり、そちらで働きながら音楽活動もやっていました。長く続いていた店で常連さんも多かったため売り上げなどの心配はあまりなかったのですが、店を引き継いだ直後にコロナ禍になってしまったので大変でした。ようやくコロナ禍が明けてお客さんも戻ってきましたが、今年の2月にお店は他の人に譲ってしまいました。

―そのままお店を続けなかった理由は何ですか。

お父さんを中心に店を回していて家族で手伝う感じだったのですが、お父さんが辞めることになったので、自分が店を引き継いで経営を続けたいかというとちょっとやりたくないかなと。お店を経営していると何かと心配事が多くてストレスが溜まってしまいますし、音楽をやる時間が欲しかったのも理由です。

自分を表現できるのが音楽の魅力
―音楽活動の最大の魅力は何でしょうか。

シンプルですけど自分を表現できる部分です。自分で作曲をして演奏するのも楽しいですし、ジャズの場合は特に表現が自由なところが魅力です。なんと言うか、上手くなりたい気持ちだけでやっているので、これでお金儲けようとか仕事にしようという感じでもありません。音楽でもっと本気でお金を稼ぐことを考えた時期も少しありましたし、師匠から勧められたりもしましたが、深刻に考えすぎると好きなことが嫌になってしまいそうなのでやめました。

―現在は音楽活動を継続しながら、どのように生計を立てているのでしょうか。

今は不動産会社のアルバイトで、主に外国の方に物件を紹介する手伝いなどをしています。

―サイレッシュさんはネパール語と日本語とヒンズー語と英語が喋れるので、仕事にも生かせそうですね。

今は不動産会社のアルバイトで生かせていると思いますが、音楽に夢中になっていたこともあり、これまではあまり語学を仕事に生かそうとは考えたことがなかったです。家族の飲食業以外には関わったことがほとんどないので、自分のスキルをどう生かせば評価されるかをいうところがあまり分かっていませんでした。やっと今になって、不動産業でいろいろなお客さんに関わったりするようになったことで、言語ができたらキャリアアップできるのかな、というのを学んでいます。今、僕のような子どもが親戚などに居たら、間違いなくその点についてアドバイスしていると思います。

―今、音楽活動はどのような形で行っているのですか。

自分のジャズユニットもありますし、お兄さんともバンドを組んでいます。ジャズユニットのメンバーは全員日本人で、普通に働いている社会人もいますし、プロのミュージシャンとして活動している人もいます。ライブハウスでセッションして知り合った人とバンドを組んだりすることもありますね。定期的な活動というよりは、ジャズバーなどでスケジュールが空いている日に演奏したり、イベントに出演したりする感じです。

興味のあることを通じて人と繋がる
―もし日本に来なかったら音楽をやっていたと思いますか。

多分、ここまで真剣にはやってなかったかもしれないですね。やはり高校時代に師匠に出会えたことが大きいですし、東京に住んでいると、演奏したいと思えばすぐにできる環境があるので。もしネパールに留まっていたら、たぶんオーストラリアなど日本以外の海外のどこかに住んでいたと思います。

―外国にルーツのある方は自身のアイデンティティに悩む方も結構いらっしゃるんですが、サイレッシュさんはいかがですか。

僕が日本に来た頃には15歳になっていたので、それはないですね。自分としては「ちょっと日本の文化に触れたネパール人」程度の感覚です。

―あまり1つの考えや目的意識に捉われず柔軟に物事を考えている印象ですが、今後叶えたい夢や描いている将来像みたいなものはありますか。

目先のことで言えば、今年中にお兄さんと一緒にやっているバンドでシングル曲を出したいのと、ジャズバンドユニットでもアルバムを作りたいという希望はあります。あとはいつになるかは分かりませんが、ネパールに大きい家を建てたいです。帰国しなければならなくなる状況になるかもしれないので、保険的な意味で向こうに拠点は置いておきたいと思います。

―日本に来て音楽活動をやっていることは、ご自身にとってやっぱり大きいですよね。

音楽、ジャズをやっていることによって、仲間が増えていきましたし、いろいろな人と出会えました。最も興味のある音楽を通じてコミュニティが広がっていった感じではあります。

―サイレッシュさんと同じく、ある程度の年齢になってから日本に来た場合、言語や文化に適応するのに苦労する人もいます。ご自身の経験を踏まえてアドバイスをお願いします。

やっぱりその国の言語をしっかり勉強した上で、自分が興味を持っていることで人と繋がっていけば毎日が面白くなるのではないでしょうか。僕の場合は音楽でしたが、スポーツでも何でも良いと思います。そうすれば自然と社会に馴染んでいけるでしょう。気持ち的にも楽ですし、毎日を楽しめるようになると思いますので、そのことを一番伝えたいですね。


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