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【ライフストーリーVol.5】今の自分のまま生きていけば幸せになれる

外国にルーツを持ち日本で育った人たちのライフストーリーを紹介。

今回は8歳の時にミャンマーから来日した双子の兄弟、パインさんとピエさん。YouTuberとしても活躍中しているふたり。

「学校でいじめられて、家でも怖い。ボロボロだった。」と話すふたりが努力して勉強したことから得た自信や、バイトなど仕事場で関わた大人たちから手に入れた信頼、そして見つけた「自分らしさ」をインタビュー形式でお届けします。

▶パインさん・ピエさん プロフィール

8歳の時にミャンマーから来日。中学の時、たぶんかフリースクールに通う。その後、定時制高校に進学。卒業後、パインさんは介護系の仕事に就くものの病気のため退職。ピエさんはコンビニで働くが、人間関係が原因で退職。現在は、2人とも同じ勤務先でアルバイトをしている。YouTuberとしても活動中。

▶学校生活

― 日本に来た時のことを教えてください。

パイン:お父さんに会いに行く、旅行に行く、みたいなこと言われてきました。お父さんは日本に出稼ぎに来ていて、その後僕たちがミャンマーで生まれたので、8歳まで全く会ったことない。第一印象は老けたなぁと。写真では見たことあるんですけど、その時は髪とか生えてまだ若かったんです。小学校に入って初めて日本に住むってわかりました(笑)

ピエ:僕はこれから日本行くんだな、楽しみだなって。飛行機乗るのも好きだし、お父さんにも会えるし。わくわくしながら日本に来た。

― 小学校に入ったのは2年生から?

パイン:3年生から。最初は「あいうえお」からはじめて。他の人が違う科目やっててもひたすら「あいうえお」必死に日本語覚えて。3年生の後半くらいまではずっと。最初は先生の話は全然分からなかった。話すのは半年くらいでちょっとずつ。読むのは、気づいたら読めるように。でも、1,2年くらいはかかった。

― 学校生活はどうでしたか?

パイン:最初は仲良かった。僕ら入って、キャーって集まってきてくれたりとかあったけど。でもだんだん離れていった。どうしてかは分からないけど。初めて覚えた言葉は「気持ち悪い」。あとは「国に帰れ」とか「死ね」とかいろいろ言われる。なんで女子が逃げていくかな、なんで他の人とは机付けるのに自分とはくっつけないとか。男子とは何人かとは仲良かったけど、僕はあまり話さないタイプだったので、仲のいい2,3人と一緒にいる感じ。

ピエ:僕はあまり気にしない人だから。女子に嫌われてるんだなくらい。別にいいんじゃないくらい。

― 勉強はどうでしたか?

パイン:算数とか難しかった。今も数学恐怖症(笑)簡単な計算はできるけど、指折らないと。暗算は時間かかっちゃう。でも道徳とか、答えのないものは得意だった。算数とか答えがあって間違えるのが嫌だから発言はしない。でも、道徳は発言ができる。道徳では一番に指される。みんな手挙げないから。あと、僕は小学校の時から映画が好きで、映画に関することなら何でもやりたい人で、脚本書いたりストーリー作ったり。中学校に入ってカメラ買ってもらって二人で撮ったりとか。

ピエ:僕は何が好きだったかな?特に好きなものはなかった。ただ目の前にあるものを楽しむ。

パイン:家には義理の姉がいて、7時から11時くらいまで勉強させられる。主に毎日数学やらされて厳しかった。学校でいじめられて、家でも怖い。ボロボロだった。今考えたらよく耐えられてきたなと。

ピエ:だから中学の時の写真見返すと

パイン:全く笑顔がない。

ピエ:どの写真も笑ってない。二人とも。今もなんでこんなに笑ってないのかなみたいに思う。

パイン:平日は数学、土日は漢字、ひたすら勉強させられて。だから漢字は書けるようになって感謝はしてるけど。

― 中学生の時にたぶんかフリースクール ※ に行っていたということですが、どういう経緯で?

パイン:父の知り合いの紹介で。また勉強かぁーって(笑)でも、たぶんかはすごい良かった。家族だとなんでこれできないんだとかそういうのあるけど、家族じゃないからやさしく教えてもらえた。(安心して勉強できた?) はい、リラックスできる。ゆっくりやれる、あとは小話しながら、話しながら漢字を書いたりとか、先生が世間話してくれたりとか。中学校だとこの期間までにこれをやんないといけないっていうのがあって、先生たちも慌てて授業やってた。だから世間話の余裕もないし。ただただ進めて、はい、次、はい次って。ひとつの1章とかやると、次の2,3課やって次の章に進まないといけない。それからテスト範囲だからねとかいって。そういう縛りがあったり。教室でいじめられてるから教室つまらないし。日本語教室だとみんな仲いいし、世間話しながらゆっくりやれるし。自分のペースで。ああいいなあって。

▶高校へ進学後の発症

― 中学卒業後、定時制の高校に進学したんですね。

パイン:母の友達の子どもがそこにいて。その時、僕が変な病気にかかっていて、母が僕が高校行くのに悩んでいるからじゃないかって勝手に勘違いして紹介してくれて。

ピエ:その高校を見学した時、外国人もいるし、先生もやさしそうだし、中学2年の時から決めていた。

パイン:全日制では同じこと起きるかなって。いじめとか。

ピエ:映画とか見て、悪いイメージ持ってた。あるじゃないですか、甲子園の映画。主題歌が「キセキ」っていう歌なんですけど。野球部が棒を振り回して喧嘩して。そういうイメージ持っていたら定時制がすごくアットホーム的で、よかったなあって。

― パインさんの病気とはどんな?

パイン:心の不調から来る病気です。身体の動きが自由じゃなくなったり。力が出なかったり、頭痛したりとか。あとは体いたるところに症状出て。中学校2年生のときからかな。たぶんかの時もあった。息苦しくなって。病院行ったらなにもないよって。はあと思って。違う病院でやろうと思って。1,2年ぐらいドクターショッピングして。いろんな科行って。最終的にはメンタルクリニック。精神病なんかじゃないってその時は思った。一時的に治って、また発症してって繰り返してた。今もたまに繰り返す。原因は、よくわかんないけど、おそらくいじめと、家の怖すぎ。精神的にぼろぼろに。ふたつが重なったんじゃないかなって。

― ピエさんはそういうことはなかったですか?

ピエ:僕はないです。あまり気にしない人。

パイン:僕は気にしちゃう人。受け入れちゃう。

ピエ:パインが病気のときは、かわれるならわけてあげてもいい。不思議に思いました。なんで、症状があるのに病気がないのかって。

パイン:症状があるから、病気だと思った。症状があるから授業に支障が出てて。さぼりとかって言われて。さぼりじゃないって。病気だって言われれば、その病気だから、こういう支障があるから仕方ないって思ってくれるかもしれない。でも病気じゃないからさぼりじゃない?って誤解されちゃう。家の人は「精神病だ」って言ってる。

― 高校生活はどうでしたか?

パイン:数学がテストの成績上がって、50点くらいになった。0点から。それは僕はすごいなと思った。自信持てたし。先生がゆっくり教えてくれるから、1日2ページしか進まない。ゆっくりで、わかりやすかったです。楽しかったなあって。数学もテストの点数あがって。他の教科も。理科と英語は苦手だったけど。国語も取り出しだったので。テストも簡単だった、自分にとっては。成績もすごいよかった。

ピエ:僕は、一気に上がったってわけじゃないけど、点数がついてきたって感じ。得意な科目は、音楽とか体育。座学は好きじゃない。

パイン:アルバイトもしてました。僕は高校2年生のとき。ピエくんは高校1年生のとき。

▶バイトや就職など卒業後は

― どんなアルバイトですか?

ピエ:最初にやったのはデパ地下の皿洗い。でもすぐにやめて、次は新橋で夜が居酒屋でランチがうどん屋の店。うどん屋のほうで皿洗いのあとにホテルの清掃の仕事。それも新橋で。そこで2週間ぐらいやってました。本当はもっと続けるつもりだったんですけど、ホテルの建物が二つあって、どちらもやってた。そうすると、最初だから仕事なかなか終わらなくて、定時制で学校と仕事どっち大事ってなって、すぐにこの仕事辞めなさいって言われて、しばらく何もバイトしてない。その後、池袋のファミレスで3,4ヶ月ぐらい。でも、職場の上司とあわなくて喧嘩して、辞めて。いろいろやってる。

パイン:僕は、3年生になる前から。船のターミナルでゴミ拾い。土曜日だけやってた。そしたらそこから電話きて、平日やることあるけどやってくれない?みたいな。それで、ショートステイが渋谷にあるんですけど、そこでそうじやって、おじいちゃんおばあちゃんかわいいなって思って。その時、就職のアンケートがあっていろいろ調べてきなっていわれたんですけど、めんどくさいからほっといて。始業式の直前に適当に介護って書いて。介護やりたいのって言われてはいって。そのときはまったくそんな気持ちはなかったけど。でも僕そうじすごい下手で、結構そこのスタッフに怒られた。そうしたら、進路指導の先生が、「お前介護やるんだからアルバイトでも介護やってみなよ」って。そのとき進路ガイダンスに来た会社とつながって、午前中はそこで介護のバイトして、午後は高校に通うって。

― 介護はどうでしたか?

パイン:楽しかったです。自分にはあってる。デイサービスなのでレクリエーション。あとは自立支援なので、付き添いはするけど、自分で歩けるような。人身介護の人もいるけど。だんだん興味出てきて。でも、授業の単位が取れなくて、就職活動ができなかった。単位取れなかったのは理科だけだったんで、先生がなんとかいってくれて。プリントとかも全部提出してたから1もおかしかったんだけど。先生言ってくれて、目つぶってくれて。そうしたら他の所探すな、介護やれって、そこ就職した。試験受けて。1週間で内定もらって。2年ぐらい介護やってた。

― ピエさんはどのように就職活動をしたんですか?

ピエ:決めてなかった。理科と英語の単位が取れなかったんで、就職活動ができなかった。担任が英語の先生で厳しかった。1取ると就職活動できない。卒業見込み立たない。それで、2週間前まで、補習やって、卒業認められて卒業して来た。(就活はしてない?) どんな仕事がしたいかっていう相談はできて、車の関係の仕事がしたい。あとは飛行機が好きなんで、入りたいみたいなこと言ってて。だけど先生はこういう会社に行っても成績悪いし働けないよって言われた。だからまじめに就職活動やってもらえなくて。

― 大学や専門学校に行くっていうことはあんまり考えなかったんですか?

パイン・ピエ:考えなかった。

ピエ:勉強もういやだから(笑)。

パイン:いやそういうわけじゃないけど。2020年までは働く人が必要だから、就職率が高い。2020年終わると、働きにくくなるから。大学はいつでも行けるから、会社働きながら、みたいな。そういうのをなんか、三者面談で先生が言ってたんで、そうしようかなって。あと親年だから、100万払うよりもう100万手に入るほうがいいんじゃないって言われて、じゃあ就職って。

― ピエさんは卒業後、どうされたんですか?

ピエ:携帯会社に就職しようと思って面接行って、だめになっちゃったんです。そうしたら、コンビニで働いていた一番上の兄貴が僕の所来て働きなよって言われて。働いたのはいいんですけど、コンビニの人が僕のことをあまり信用してなくて。いろんなとこ行かされて。銀座行ったり、上野行ったり。いろんなとこ行かされて。その人によると、いろんなところ行かないといけないと言われてて、そうなんだって思って。最初上野の店のマネージャーと喧嘩してやめて。兄貴がその人から聞いたみたいなんですけど、本当は信用してないから行かせてたって。でも辞めさせると悪いから、辞めるようにいろんなところに行かせてた。それで俺って人に信用されてないんだっていうのを思って。ソフトバンクも落ちたし。コンビニでもそういうこと言われたし、就職活動で相談してるのに先生にも言われたし。俺って人に信用されてないって思っちゃった。でも今の店で義理の姉が働いてて、兄貴も姉がいるから働きなよって、姉も、うちのとこ来なみたいに言ってて。また今度行ってもどうせ落ちるだろうなと思ったけど、とりあえず行ってみたら採用されたんです。でもなんか、本音は行きたくなかった。というのも、人が怖くなっちゃったから。人と接するのが怖かった。でも受かったことだし、やることはやる。やってて、普通に、誰からも信用されなくても、ただやるべきことだけをやってたら、だんだんマネージャーとか店長とかに信頼されるようになって。働き方がいいとカードがもらえて、カード3枚貰うと賞状がもらえるんですけど、賞状も2,3回ぐらい貰いました。そこで働いて、自分の中で何かが変わった。人と接することは、本当は楽しいことだなって。高校の時は思ってなかった。人が怖かったですね。友達とかもいたんですけど、でも、まあ、接するのは楽しいなって思ってるけど、本音は怖かったんです、人が。やっぱり小さいときから怖い思いをしたり、いじめられてたりっていうのが足引っ張ってたみたい。

― そのお店で働いたことで何かが変わったんですね。

ピエ:高校卒業して社会人になったわけだから、この瞬間に切り替えないとよくないかなと思って、切り替えて。人と接するのが怖いという気持ちを抑えて、自分で変えていかなくちゃって思うようになって。まじめに仕事していて。人が見ていないところでもちゃんとやって、人がやらないそうじとか、声かけも自分から積極的に。店の前出て声かけして。その様子を通りがかった店長とか、いろんな店舗の人が見てて、この店員はすごいなって。やっていたら、いつのまにか店長とか、マネージャーに信頼されて。そうしたらいろんなところに行かせてもらって。いろんなところでも、「この店の人はいい人をもらってるなあ」って言われた。(それは嬉しいですね) 嬉しい。今も働いています。今2年半です。8月に3年目になります。 ※インタビュー当時

― パインさんは介護の仕事を始めてからは?

パイン:仕事は、すごい楽しかったです。ちょっと大変な部分もあるけど、まあレクリエーションとかやるとすごい喜んでるおじいちゃんとかおばあちゃんいるから、かわいいなあって。2年ぐらい続けて、いろんなところ、2,3回場所替えたりして。でも、腰痛ヘルニアになってしまって。しばらくは続けたけど、今度は病気が再発して。本当にえらい目に遭ったんですよ。介護ってすごい技術が必要。頭ぼーっとしてると本当に無理で。でも病気のせいで頭ぼーっとして、薬を忘れたり危ない目にあわせてしまった。あと機械浴ってあるんですけど、溺れたり、挟まれたりすると大変なことになる。でもそこでもすごいぼーっとしちゃって。それで、あぶないからやめとこうかなって。でも再入社できるんです。まわりにもまた入ってっていう人がいる。だから一回やめようかなって。今はピエと同じところで働いています。(またやろうかなとは?) ホームページ見ると、この制服また着たいなって思ったりとか。(介護の仕事は自分には向いてるなって思いますか?) そうですね。また戻りたい。将来的には親も介護必要かもしれないから、勉強しておく。

▶「自分らしさ」とは

― YouTuberとしても活動されていますよね。

ピエ:YouTuber始めようと思ったのは僕です。就職先とか決まらなくて先生にお前は無理だよみたいなこと言われてるから、会社入れないんだったら、素直な気持ちを自由に伝えて稼いでいこうって思って。有名になって圧倒させてやろう、見返してやろうって。それでパインとか友達に相談しました。YouTuberやりたいんだけどどうしたらいいんだって相談して。 パイン:最初は高校の知り合いとやってたんですが、いろいろあって今は2人で。ピエパインTVっていうのをまた作ったのね。それも1年ぐらいやって。途中で面倒になって、しばらく投稿しなくて。今でも見返したらめちゃくちゃつまんなくて。その時は。ピエパインTVは見てくれてる人ありがたい。

ピエ:音楽もアトラクションとかもなくて。

パイン:ただしゃべってる。(笑)カメラに向かってしゃべってる。見てくれる人本当ありがとうなあ、申し訳ねえって(笑)それでしばらくやってなかったんだけど、やり直したいなって思って。再チャンネル開こうって思って。誰にもない内容にしようと思って。自分の国のあいさつのことばを。ミンガラバチャンネル。ミャンマー語でこんにちは。

― ミャンマーについてはどう思っています?

パイン:文化、伝統はすごいいいけど、生活とか経済的には良くない。苦しい。治安も良くない。でも遊びに帰りたいとは思っている。おばあちゃんとかいるから。でも生活はしたくない。

― 同じような状況にある子どもたちに対して何かアドバイスはありますか?

パイン:いじめとか苦しいことあると思うけど、それを乗り越えた先には、日本語出来るようになればいじめとかないし、あとは、日本を、がんばってる人は応援する国だから、全力でがんばって。一人だけじゃないから、まわりにも苦労してがんばってる外国人がいるから、全力でがんばっていこうって。

ピエ:今までの自分も、なんか日本語とか、できなかったりいじめとかあったりしたけど、でも、勉強は真面目に勉強すればできるようになるし、いじめとかも、気にしないで、自分らしさ、自分らしく生きればいいじゃない。まあ、人はそれぞれ違いますから、いじめられて落ち込むより、自分はどういう人間になるかっていう、自分らしさを出していってほしい。

― 自分の「自分らしさ」は何だと思いますか?

パイン:僕は結構断れない人なんです。仕事も。閉店までいてねって言われたら、はいって。で、あとで閉店かって焦ってしまう。でもそれをやることによって、信頼してもらえる。それは自分らしさ、自分にしかないこと。

ピエ:自分らしさは、常に笑顔でいる。人を気にしない。認められたいとか思わない。人はマイナスのことばを言うこともあるし、いいことと悪いことだと悪いことをみる方が多い。でも言うのはその時だけ。あとは気にしない。だから、悪い事言われたからってそれをずっと引きずって、「こういうこと言われたから私はこうなんだ」みたいな、人を気にして生きていく必要はないなあって。自分は、自分を悪く思っている人がいたとしても、どこかでは自分のいいところを見てる人がいることを信じて、生きている。僕は。やるべきことをきちんとやっている。

パイン:笑顔が得意だったら、自信をもって笑顔でいることはいいこと。自信をもって笑顔でいられることが自分らしさ。暗い人でも、コミュニケーション苦手で前に出ていけないって落ち込むより、苦手だ、じゃあそれがその人の輝くもので、暗い人なら暗いままでいいんじゃないかと思う。コミュニケーションできないから、周りに明るい人がいる。だから世界って組み合わさってできている。この前、旅行にいったときに会った監督が「自分は前に出ていけない。自分が何が好きで何をやっていけばいいかわからないっていうけど、それを調べても、時間が勿体ないだけ。探っても何も出てこないから、今の自分のまま生きていけば幸せになれるよ」って教えてくれた。まさにその通りで、暗いなら暗いまま生きていけば、周りに明るい人が存在する。それが、一番楽じゃないかなって。だから僕も最近、こう考えるように

なってから、あの病気が発症しなくなった。


※たぶんかフリースクール
特定非営利活動法人多文化共生センター東京が運営するスクール。主に日本で高校進学を目指す学齢超過もしくは中学校を卒業して来日した生徒に居場所と学ぶ場を提供しています。当時は夜の中学生クラスを実施していました。

上原龍彦 取材・執筆

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