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[ライフストーリーVol.22]自らの経験を糧に外国ルーツの子どもたちのサポートに取り組む

4歳の頃に両親と共に日本に来たカオリさんは、小学校でいじめに遭うなど辛い経験を経て、京都外国語大学に入学しました。その後は将来について悩みながらも、自らと同じ外国ルーツの人々の支援をライフワークにすることを決意し、現在は充実した生活を送っています。日本に来てからの経験を経て辿り着いた考えや、これから取り組みたいことについて語っていただきました。

小学校でいじめに遭い、勉強にもついて行けない日々

―カオリさんが日本に来た経緯を教えてください。

父はブラジルで育った日系2世、母はブラジル人とドイツ人のダブルで、私が4歳の頃までブラジルで暮らしていました。最初に日本に来た時は、少しだけ暮らしてブラジルに帰る予定だったのですが、結局そのまま滋賀県に住むことになりました。父は工場勤務の正社員として安定した仕事を得て、母は工場をいくつか転々としながら働いていました。私はブラジル人学校に1年間ほど通った後、年長の時に日本の保育園に入りました。それからは小学校から高校まで公立の学校に通って、京都外国語大学に入りました。

―保育園時代のことは覚えていますか。

保育園を見学した時にみんなが輪になってパックの牛乳を飲んでいて、それまで生の牛乳を飲んだことがなかったのでとても驚いたのを覚えています。その保育園には私ともう1人同じブラジル人の子がいて、生活にはすぐに馴染めました。それから日本の小学校に入って、初めてクラスの中で私だけが外国人という環境になりました。

―小学校での友達関係や勉強はいかがでしたか。

いろんな学年から外国ルーツの子たちが全員集まって学んだり交流したりする日本語教室週1回あったので、1人で寂しい思いをすることはなかったですが、クラスに戻るといじめもありましたね。私の場合は保育園から一緒で優しくしてくれていた子がいたのですが、小学校5年生で転校することになり、転校先には全く外国人がいなかったこともあり、友達もできなくて1人でいじめられていました。それがしんどくなって、また前の小学校に戻ったんです。家が遠かったので、小学6年生からの1年間はずっと、車で登校していました。

―辛い状況でしたね。いじめられたことで、自分の出自に対して複雑な感情が湧いたりしませんでしたか。

幼い頃は他人とよくハグするなど人との距離が近かったんですが、小学校3年生くらいになると自分を守ることを意識するようになって、絶対に人には触らないようにしていましたね。何か言われて黙っていたらますます言われるだけなので、ちょっとでも言われたら激しく言い返すような子どもになっていました。

―中学校に入ってからはどうでしたか。

いじめはなくなりましたが勉強の方が大変になっていきました。教科書に書いてあることは全部分かるし、先生の言っていることも分かるのですが、学校で教わったことを家でお母さんに尋ねても日本語が読めないから難しかったですし、分からないことが増えて勉強が嫌になってしまったんです。それで分からないまま放っておいたら成績がどんどん悪くなっていきました。英語だけはポルトガル語と似ていたので良い点が取れたのですが、他の教科は全くできなかったです。

中学2年生で志望大学を決める

―語学を本格的に勉強しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

当時通っていたキリスト教の教会で知り合ったペルー人の子が外国語大学に入ったのですが、その子がすごく楽しそうで、どうせ私は英語しかできないから大学に行くならそういう道がいいかなと思いました。中学校2年生の時には行きたい大学を決めて、高校もその大学に行ける1番簡単なルートを探して選びました。

自分で言うのも少し恥ずかしいのですが、周りの子に比べたら日本語を早く喋れるようになったし、語学は得意だと自覚していました。ただ、選んだ高校が荒れている子が多かったんです。お母さんはもう少し偏差値の高い高校に行ってほしかったようで、入学にはずっと反対されていました。

―その後、念願かなって京都外国語大学に入学できたわけですね。将来のキャリアについて考え出したのはいつ頃からですか。

子供の頃からおじいちゃんとおばあちゃんから「言語ができたらどんな仕事もできるよ」って言われ続けていたのですが、実際はそんなことはないというのに気付いたのが大学1、2年生ぐらいの頃です。周りのみんなが就活しているのを見て、大学のキャリアセンターや就職説明会などに参加しましたが、やりたい仕事がなくてどうしようかなと。言語を使う仕事がしたいと言うと、大体勧められるのが人材紹介の仕事です。そこで、人材紹介会社でインターンシップも経験しましたが、やりたいこととはやはり違ったので、結局4年生になっても進路が全然決まりませんでした。
 
そんな時、私が大学を卒業したら1カ月だけブラジル行くかも知れないと両親に言われたんです。もし就職してしまうと入社してすぐに会社を休まなくてはいけなくなるので、就活を辞めてしまったのですが、結局ブラジル行きは無くなってしまいました。

若者のサポートを通じて学んだこと

―それでボランティア活動を始めたのですね。

はい。移民を支援する「immi lab(イミラボ)」という任意団体でボランティアの仕事を始めることになり、活動していてとても充実感があったため、で

きればその活動を仕事としてやっていきたいなと思うようになりました。今年から給料をいただけるようになったので、しばらく継続していくつもりです。

―イミラボではどのような活動をされているのですか。

主に滋賀県にいる外国ルーツの若者に伴走する形で、例えば大学に行きたい子の出願手続きを手伝ったり、日本の大学のシステムをご両親や本人に説明してあげたりしています。あとは、若者がもっと日本の社会に出られるような仕組みを作るプログラムも実施しています。滋賀のブラジルコミュニティは大きくて、日本語ができなくても生活できてしまうので、そこが心地良くて日本の社会に出るのが怖くなってしまう人も多いんです。でも、もう少し日本社会に触れ合ってもらうために、日本社会で働いている日本人の方や外国ルーツの方などと繋げて、視野を広げてもらおうとしています。

―そうした活動を通じて、カオリさんご自身も勉強になることが多いのではないですか。

私も元々話すのが大好きな子だったのですが、高校に入ってからは人前でしゃべらなくなるなど、自分をあまり出さなくなってしまいました。でも、今の活動を始めてから、自分が経験したのと同じ状況の子を見て、恥ずかしがっている場合じゃないと考えるようになりました。サポートする立場にいながらも、若者が頑張っている姿を見て、私がモチベーションをもらっている感じです。

自分の価値を認めてくれる人は必ずいる

―日常生活で不便や差別を感じることは今でもありますか。

実際に社会に出たら差別はそこまでないだろうと思っていたのですが、例えば友達とショッピングモールとか行った時に通りすがりの男性から「ブラジル人か?」と聞かれて、そうですと答えたら「ブラジル人大嫌い」と言われたり、アルバイトに行った時に日本人と違うやり方をしていたら知らないうちに嫌われていたり、といったことはあります。

―そうした経験をされて、日本が嫌になりませんでしたか。

大学を卒業したら日本を出ようかなという気持ちはありました。でも、日本は嫌いじゃないんです。過ごしやすいし好きだったんですけど、私がいることで周りを邪魔しているみたいな気持ちになってしまって、ずっと日本を出たいって思っていました。

でも、小学校でいじめに遭った時も先生が助けてくれたり、漢字を覚えられるように漫画や本を紹介してくれたり、高校の先生も大学進学の際に助けてくれたりしたのを思い出して、日本が嫌だから出ていくのは何か違うと考えるようになりました。日本で手伝ってくれた人に対して恩返ししたいなと思って、日本にいることを決めました。いつかは仕事を通じて日本を出ることもあるかもしれないけれど、日本が嫌いだから出ていくことはやめようと思ったんです。

大学の卒論は在日外国人の就職と教育について書いたのですが、日本に住んでいる外国人が日本社会に貢献するためにはどうすれば良いか、をテーマにしました。

―日本社会に貢献するという視点が生まれたわけですね。

日本で育ってさまざまな機会を与えられているのに、悪い面だけを見て嫌と言っていた自分が恥ずかしくなったんですね。世界のどこに行っても悪いことや差別はありますし、日本だけのことではありません。そこに気付かされたので、今住んでいる日本でこれまで自分をサポートしてくれた人々に対して何か貢献出来たらと思いました。私と同じような外国ルーツの子にもそうした視点を持ってもらいたいと思っています。今は全てが楽しいですし、幸せと言えるようになったので、ものの見方を変えることで大きなパワーが生まれることが分かりました。

―将来について何か考えていることはありますか。

ビジネス関係のことに興味を持っているので、できれば来年以降に留学したいと思っています。その先は大学院に進んで、言語取得に関する研究をしたいと思っています。滋賀にいるブラジル人の多くが日本語を喋れない理由の1つに、日中の工場の仕事が忙しすぎて日本語を勉強する時間がないという状況があります。そうした大人に対して、何らかのメソッドが提供できるようになりたいと考えています。

―過去に経験した嫌なことも含めて、前向きな方向に転換されていますね。周りのサポートを上手に受けるためのアドバイスはありますか。

自分はこういう価値を持っている人間だという軸になるものを探して、たとえできないと周りに言われても、自分をしっかり持つことが大事だと思っています。絶対に誰かがどこかで自分の価値を見てくれているので、自分を支えてくれる人を探していってほしいですね。


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