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【ライフストーリーVol.10】自分が当てはまる仕事を探し続けてほしい

■アルベルト・ディアズ

外国ルーツの子どもたちが将来の進路を考える際、自分のルーツを活かした仕事をしたいと希望する子がいる一方、日本語力や情報の不足、経済的事情などから自身の可能性を狭めているケースもあります。そんな子どもたちに向けて「自分のルーツより能力にもっと目を向けて、広い世界を見てほしい」と語るのが、アルベルト・ディアズさんです。彼の歩みから、職業選びのヒントとして学べる点が数多くあります。

シンガポールで外資系企業のSEとして活躍

フィリピン出身のアルベルト・ディアズさんは現在30歳。シンガポールに拠点を構えるアメリカ系IT企業で、システムエンジニアとして働いている。現地での暮らしは5年目に入り、職場のリーダー的な存在として、充実した日々を送る。

 「シンガポールなら親の住む日本にも近いし、給料も良かったのでここに決めました。ジェネラリストを重視する社風ながら、スペシャリストになることを支援する教育方針も魅力でした」と、現在の職場を選んだ理由を語る。

外資系IT企業勤務とはいえ、アルベルトさんはエリート街道を歩んできたわけではない。今に至るには、紆余曲折があった。母親の仕事の都合で9歳の時にフィリピンから来日。徳島県の小学校に入学し、以降はずっと日本で暮らしてきた。日本を飛び出して現在の職場に落ち着いたのは、日本で何度か転職を繰り返した後のことだ。

来日して初めて住んだ場所は徳島県。外国人児童として珍しがられはしたものの、学校生活に馴染むのは早かった。国語の授業だけはしばらく他の生徒とは別に受けていたが、ほどなく日本語にも不自由しなくなった。いじめを受けるようなことも特になく、地方の大らかな空気の中で、充実した学校生活が送ったと振り返る。

 中学3年生で東京都に転居してからは、状況が変わった。それまで住んでいた徳島と違って、東京の人々は冷たく感じたという。特段グレたわけではないが、素行の悪い友人とつるむことが増え、勉強もほとんどしなくなった。

 実は、高校生になるまでは医者になるのが夢だったが、成績が悪かったため、教師から「無理だ」と断言された。大学生になってからは「国際的な人材になりたい」という漠然としたイメージは持っていたものの、具体的に何をしたいのかは見えていなかった。

とはいえ、外国ルーツの子どもたちに限らず、日本人でも明確なキャリア構築のビジョンを持っている学生はそれほど多くない。アルベルトさんもそんなよくいる若者の一人だった。

世界中に履歴書を送る

 大学卒業後は、さまざまな仕事を経験した。最初に就職したのは「バイリンガルシステムエンジニア」という職種を募集していた会社だ。英語、タガログ語、日本語が飛び交う家庭で育ったアルベルトさんにとって、その能力を活かせる仕事だったが、当時はあまりそうした意識がなかったという。

「当時は自信に溢れすぎていて何でもできるという自負がある一方で、仕事に対するこだわりは特に何もなかったんです。友達と一緒に採用試験を受けて、受かったから入社したという感じです」

仕事内容もよく知らず、本当にやりたいことが分からぬままの就職だった。結局、やり甲斐が見いだせずにその会社はわずか8日間で辞めてしまうことになる。すぐに退職してしまったことで次の仕事を探す際には面接などでマイナスイメージを持たれないために、その経験をポジティブにアピールするよう努めたという。

「語学力を活かして仕事ができるんじゃないかなって気付いたのは、一社目を辞めた後なんですよね。一人の日本人を採用して育てるよりも、自分を採用すれば一人三役できますよってアピールして。あとは、自分に合った仕事を探したいという部分を前面に出していきましたね」

語学力もさることながら、物事をポジティブに捉え、行動に移せるのがアルベルトさんの強みだ。その後は、それまでに築いた人間関係からのつながりで、フィリピン大使館の専属通訳やビジネス英語の講師、テレビ局での翻訳の仕事などを紹介され、食いぶちに困ることはなかった。シンガポールに渡る前は、海外への送金を手掛けるフィリピン系の企業で、コンプライアンスオフィサーの業務にも就いていた。そして、アメリカやヨーロッパ、アジアなど、世界中に履歴書を送りまくった結果、今の会社に採用された。

「自分の長所は、いろんなコミュニティに入れるところですかね。初対面の人に対しても、みんな前から知っていると勘違いするくらいノリが違うらしいです。ただ、何色にでも染まれると思っていますが、自分の色はちゃんとあるんです。いろんな色を吸収して自分を作っている感じです」と言う。

働く場所にはこだわらない

海外で仕事を始めたことによって、それまでとは違う感覚も生まれたとアルベルトさんは話す。

「日本にいたときは、自分は何でもできると思って生きてきたんですが、海外は職業文化が全く違って、その自信が全部消えました。アメリカの企業なので成果に対しては厳しいですし、同期入社の社員たちはみんな辞めてしまいました」

そうしたシビアな環境にありながらも、短期間で転職を繰り返してきたそれまでとは違って5年間働き続けているのは、職場の水が合っているのだろう。現在の仕事は業界に対する影響力が大きく、頻繁に新たな商品開発を手掛けるため飽きない点も魅力だと説明する。仕事に対するプライドは、こんな言葉にも滲み出ている。

「会社側もレアな人材として自分を重宝しているようです。自分よりスキルが高い部下の子たちはたくさんいますが、チームで一番会社に長くいて、英語と日本語を流ちょうに話せて、クライアントとの人間関係も上手く作れる人材はなかなかいません。仮に自分が辞めるとチームの業務が大変なことになると思います」

 とはいえ、今の環境に固執しているわけでもない。さらなるステップアップが望めるのであれば、地域にこだわらず世界中のどこへでも転職する可能性はあると考えている。

自分が当てはまる仕事を探し続けてほしい

 日本にいた頃は特に疎外感を感じることはなかったが、たとえばアルバイトに応募しても外国人であることを理由に断られることもあった。そんな経験をしつつも、前向きに行動し続けたことで、アルベルトさんは道を切り開いていった。

「何かマイナスなことが起きても、考えるより先に行動に移していたのが幸いしたかもしれません。内にこもることが多少あっても、その反動で行動に移すという感じでした」

 キャリア形成に自身のルーツが全く影響しなかったわけではない、とも語る。ただ、それは外国人であることやそこに付随する能力の部分ではなく、困ったときに母国のコミュニティなどから助けが得られたという意味においてだ。言語能力などは確かに大きな武器だが、そこに過剰に依存しようという姿勢は見えない。

「日本で育った外国ルーツの子どもたちの多くは、学校を卒業して社会に出るまで、視点や考え方が国内に収まっているケースが多いんです。でも、能力があるのになんで日本に留まっているのと。自分のルーツはあるけど、そこにこだわらないで能力を信じていろんなことをやってみてほしいです。自分の場合は、もう少しでかい夢を見たいという考えが頭の中にあって、実際に行動してみたら企業に採用されたというのが大きかったと思います」

かつて、自らと同じような境遇にいる外国ルーツの子どもたちを支援する団体に、インターンとして参加したこともある。そこで見たのは、最初は将来に希望を持って夢を語っていても、徐々に現実に染められていく若者たちの姿だ。

「特に、日本語が話せないからという理由で、やりたいことをあきらめる子が多かったですね。自分が勉強を教えていた中には、日本では働けないからという理由で出身国に帰った子どももいました。もちろん母国で活躍できるなら問題ないのですが、言語ができないというだけで、折れざるを得ないと考えるケースはよくあります。自分はずっと、自分に当てはまる仕事が見つかるまでやり続けてきましたし、外の世界もあるんだよと伝えたいです」

日本人の若者も海外離れが進んでいるようだが、それは現在の暮らしに満足して、あえて外に目を向けない傾向が強まっているからとも言われている。一方、外国ルーツの子どもたちは日本での生活に慣れることに精いっぱいで、なかなか外の界に目を向けるのが難しいという事情があるのだろう。それでも、キャリア構築に関しては、視野を広げて柔軟に考えたほうが良いとアルベルトさんはアドバイスを送る。

言語の習得やキャリア構築に関して1つポイントになるのは「キャラの濃さ」とも指摘する。自分の考えを伝えたい、能力を活かしたいという強い気持ちが、行動の原動力になるからだ。

「日本語学習に関してはとにかく『食らいつけ』。何でも吸収して何でも飲み込んで、飲み込めなくてもまた食らいつくみたいな姿勢が大事です。キャリアに関しては、自分が当てはまる仕事が見つかるまで探し続けたほうがいいかもしれません。それまでの自分を否定されるような仕事で我慢して生活するよりも、自分を活かせる仕事を探してほしいです。それは日本だけではないし、視野を広げて自分を世界に売り出せるように頑張ってほしいですね」

 出自に囚われることなく、柔軟な思考と行動力で自らの可能性を追求する。アルベルトさんの生き方は、悩める多くの若者にとってのモデルケースとなるだろう。

吉田浩 取材・執筆

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