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【ライフストーリーVol.6】自分自身に負けたくなかった

中学2年時にペルーから来日し定時制高校卒業後、職業訓練校に進み現在は電気の配線などを行う業務に従事するナジフさん。外国にルーツを持ち日本で育った彼のライフストーリー。

日本語がわからなかった際の苛立ちや、周りの人や先生に助けられて困難を乗り越えた際の話をインタビュー記事でお届けします。

▶ナジフさん プロフィール

中学2年時にペルーから来日。中学の時、たぶんかフリースクールに通う。定時制高校へ進学し、卒業後、職業訓練校に進む。現在は電気の配線などを行う業務に従事。インタビュー時、1児の父。

▶日本に来た当初

― 日本に来た時のことについて教えてください。

最初はディズニーランドに行って1週間で帰るって言われて。ディズニーランドに行って、楽しいなぁ、でも一週間経っても帰らなくて。そのまま日本に住むと言われました。最初はいらっとしてた。なんで俺が向こう普通に勉強してたのになんでこっち来なきゃいけない。ペルーの学校では中学2年生でしたが、年齢の関係で中学1年生のクラスに入りました。

― そのまま日本の中学校に入ったんですか?

はい。でも、もともと学校の勉強、数学の実力が結構高い。英語もできる人。でも日本語全く分かんない。日本語の授業がなかったから、最初は口の動きから日本語学んだ。その後、半年たって日本語できないから、通訳の人に来てもらいましょうってなって。通訳の人が授業に来たけど、親と一緒に勉強してるみたいで恥ずかしかった。それに授業の邪魔みたいな感じもあった。通訳の人いらないから、自分で日本語勉強できるところに行きたいと思った。友達はいなかったかな。友達というより同級生。仲悪くないけど、友達ではない。

― いつ頃から日本語が分かるようになりましたか?

2012年の12月。覚えてます。アニメ、テレビ毎日のように見てて。同級生も日本語話せる、まわりも日本語。うるせえなあって(笑)。いつのまにか覚えたのが「うるせえなあ」。あと「めんどくせえ」とか。めんどくせえ、どけとか。ありがとうとか言えなくて、うるせえなあ、だまれ。めんどくせえなあとか。爆発した言葉が。全部出せたから、いつのまにかこれ、理解できるようになった。いつの間にか俺の感情、爆発するようになった。中学の終わりでやっと理解できる。でもやっぱり甘い考え方で、授業とか何も言わなくていいって言ってたから、理解できるけど話さなくていいかと思ってた。中3までずっとできないふりしてたから。2年生の終わりになったら、わかったふりしようかなってちょっと計算して。

―  たぶんかフリースクール※ に参加するようになったのは?

うちのお母さんの知り合いかな。子どもたちに外国人と同じ気持ち理解できる人がいればという気持ちで。あと勉強してくれる人もいないから。まじめじゃなかったからあまり勉強は覚えてない。けど、いままでは一人だったけど、あ、一人じゃないな、苦しむ人は。あ、俺助けあえる人いるな。俺だけ苦労してないと感じた。

▶自分自身に負けたくなかった高校生活

― 高校はどうやって決めましたか?

ずっと迷ってた。どこに入るかとか言えなくて、なにしようか、これから。中学入るのは簡単。高校実力。日本語そこまで、漢字とか苦手だから。高校行ったらいじめられるじゃないかなって。ケンカできても、言葉で返せないときもあるから。最初全日制とか受けたけど、でもだめだったから、実力無くて。受けたけどだめで。別の友達に。落ちたときはA高校行け。作文書けば合格できる。どうしようかなと思ったけど、時間がないから、A高校でいいや。だめだったらもう一回ちゃんと勉強して全日制行こう。

― 無事合格した後、高校生活はどうでしたか?

いつもみたいにのんきな感じ。のんびりしてる。普通に勉強して。知らない漢字とか、知らないこともちゃんと勉強した。外国人のクラスあるから、日本語の授業も受けて。3年から好きな勉強するから、漢字大嫌いだから、高校3年生は国語受けないで。3年のときは茶道部、体育、英語1、2、3。数学A、B、BⅡとか。数学好きだから。平日は普通に家でのんきにゲームとかして。学校の前に遊びに行ったりして。休日はバイトしてました。時間がうまく使えたから定時制でよかった。

― 中退する人も多いと思うのですが。

負けたくなかった自分自身に。お前こんなもんかって毎日思ってて。こんなもんでいいか。中学のときずっと思ってた。国に帰ったら負け犬だし。それに子どもの時、人の前で泣くなってじいちゃんに言われて。高校のとき一番まじめだったな。さぼったことないな。皆勤賞もらいました。お前がさぼらなかったってみんなびっくりしてました。

― 高校の時、人間関係はどうでしたか?

中学と同じ。でも、たぶんかフリースクールで会った双子とはずっと仲良かった。 普通の人と比べて家族みたいな感覚するな。こいつだったらなんでも話せる。親友に近い。初めて会ったとき、つらそうな顔してた。いじめにあってたから辛くて死にたいとかいう気持ちもあったらしい。見た目で、こいつら助けないと死ぬかもしれないって。こいつら仲間必要。誰もいないなって。こいつら助けたいなって。高校でもいじめられててたすけたこともある。勉強できなかったらから勉強教えてあげたり。

― 高校卒業後の進路はどう考えていましたか?

大学に行きたい気持ちはあったけど、金がない。あと弟がいる。俺が行ったら弟がいけなくなる。お金困るのはうちの親。親が困るなら別に行かなくていいやって。近くに住んでたおじさんが電気屋だから、電気やりたいなと思って。高校に訓練校の人が説明に来たから。試験がありますけど、普通のレベルができれば入れるから入った。

▶職業訓練校そして就職という道

― 職業訓練校の授業はどんな感じでしたか?

朝から夕方まで、電気に関することや配線工事、それにマナーとか勉強します。座学も実技も。最初は軽い気持ちでやってたけどだんだん楽しくなった。わかんない時はおじさんに聞いて勉強しました。でも途中で子どもできちゃって、そのストレスがあったから勉強うまくいかなくて。訓練校は1年で、もうすぐ卒業だったけど、もう無理って。でも、無理と思ったとき、訓練校の先生に相談した。電気の仕事一番教えてくれた人だし、この人しかないな、教えてもらう人はと思って。そうしたら助けてくれた。そして、先生の教え子が来て、もう無理だったらうちの会社に来る?って。最初はバイトで、1か月ちゃんと行って、3ヶ月後社員になって。先生のおかげで、俺ちゃんと電気屋さんとして。電気工の試験の時も、もう学校の生徒じゃないのにちゃんと最後まで教えてくれた。

― 試験があるんですね。

第1種と第2種があります。どっちも合格して、あとは5年の経験を積み重ねるだけ。

― 今はどんな仕事をしているんですか?

バイトのときは、穴あけとか簡単な仕事もあって、これだったら俺でもそこまで技術無くてもできるんじゃないかな。それに下っ端だから、荷物係で、それはちょっといやだった。今、一番うちでやってるのは配線とイルミネーションとか。エアコンの配線とかも。エアコンはみんなびびってるからやらせてくれない。できるはできるけど、やっぱり俺でも不安があるから、まだ経験もうちょいかな。配線できたけど、スピードがないから。あと、先輩から言われて、子供に電気について教えたり。最初いやだったけど、教えんの。でも、電気がどうやってきてるか話したり、コンセントもちょっと触らせたり。子どもって楽しいかな。ふざけたことしかしてないのに。楽しいな、教えるの面白いなって。

▶今の自分

― 日本に来たことについてどう思いますか?

よかったです。ペルーの外にでてペルーのことがわかった。今までうち普通だと思ったけど普通じゃない。日本だったら中学のときの職業体験とかあるじゃないですか。社会をちゃんと学べる。大事だと思う。ペルーではできない。こういう国もある。さらに理解できる。

― 自分は何人だと思いますか?

ペルー人でもない、日本人でもない、人間。人間かどうかもわからない(笑)。自分は自分だとしか思っていないです。子どもの時からずっと思ってた。アジアもヨーロッパも入ってるからペルー人でもないし。ペルーでもいじられたことあるから。居場所がない感じ。だから力がほしい。最初は力で(笑) でも今は電気、ちゃんと仕事する武器があるから。高校のときは武器がない。免許もない。

― 日本で頑張れたのはどうしてですか?

なんでだろう。やっぱり中学の時。双子が「お前がいるから、あきらめない」って言ってくれたから。そのときマジで泣きそうだった。「お前がいるから。」いままで言われたことない言葉。あいつらの前で泣いたことないけど、帰った時思いっきり泣いた。人に認められたからがんばれる。

― ペルーに帰るという選択肢は。

子どもいるから選択肢ない。ペルーはうちの奥さん大変だろうな。だったら日本でがんばるしかない。

― 外国につながる子どもたちに進路についてのアドバイスをするとしたら?

中学だったら、とりあえずあきらめないで、とりあえずちゃんと勉強しなさい。もしあきらめたら親が悲しむから。なんでこの子は、ってずっと思うかもしれないから。俺頑張れるよってちゃんと見せないと。漢字とかいやでも勉強しなさい。まじめじゃなくてもいいから、普通に人と会話できるくらいの。試験とか考えないで、自分のためだけ考えて。中学だめでも仕事できる。普通に日本語話せるように勉強しないと意味がない。勉強1回忘れて、日本語だけ勉強しなさい。勉強は高校でできる。高校だったら、中学で勉強できなかったことちゃんと勉強して、さらに日本語も勉強して、日本人と話して、日本語のレベルを上げる。言葉大事です。言葉出来ないと、一人ぼっちで苦しむ。理解できないから。苦しむのいやだったら、勉強しなさい。



※たぶんかフリースクール
特定非営利活動法人多文化共生センター東京が運営するスクール。主に日本で高校進学を目指す学齢超過もしくは中学校を卒業して来日した生徒に居場所と学ぶ場を提供しています。当時は夜の中学生クラスを実施していました。


上原龍彦 取材・執筆

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