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【ライフストーリーVol.17】他人にはない自分の優れているところを自分で見つけよう

大学生が借りる貸与型奨学金の返済を企業が肩代わりするプラットフォームを提供することで、借り手の返済負担軽減と企業の人材採用支援に取り組むCrono(クロノ)という会社があります。社長の高瀛龍(コウ・インロン)さんは小学生の時に中国から来日し、家庭の経済的事情で選択肢が制限された経験もあり、この事業を立ち上げました。決して恵まれた環境で育ったわけではない高さんですが、これまで直面してきた課題をどう乗り越え、道を切り拓いてきたのでしょうか。


 本人の記憶がやや曖昧だが、高さんが来日したのは「小学校4年生か5年生のとき」だという。中国が現在のような経済発展を遂げる前の時期で、日本に出稼ぎに来た父親に合流する形で一家は埼玉県の川越市に住むことになった。両親の仕事はアルバイトだったため、経済的には常に厳しい状態にあった。

当初こそ言葉の問題などに苦労したものの、比較的早く日本の生活に馴染んだという。一方、両親の苦労を見ながら「何でもいいから頑張らなければいけない」という気持ちを強く持つようになった。

そうした理由からアメリカ留学を志すが、経済的理由で断念。慶応義塾大学進学時には800万円近くの貸与型奨学金を利用したため、返済を考慮して給与が高い外資系コンサル会社に就職することになった。

やがて起業を志すようになった高さんは、独学でプログラミングを学ぶ。「金銭的理由で若者が挑戦を断念せざるを得ない状況を変えたい」という思いを強く抱くようになり、個人での受託開発やクラウドファンディングを手掛ける「CAMPFIRE」に参画した後、「Crono」を立ち上げた。インタビューではこうした人生の節目において、高さんが何を考え、行動してきたのかを中心に聞いた。


経済的理由でアメリカ留学を断念

― 小学校に入って、日本語の学習は授業以外に特別なことはしましたか?

担任の先生が授業が終わった後にサポートしてくれたりしました。学校の外で外国ルーツの人たちと接するコミュニティには入ったりはせず、日本の友人と関わることがほとんどでした。

― 中国に戻ったのはどうして?

日本に来て少し慣れた頃に、なぜか「何かを頑張らなければいけない」というふうに思ったんです。そこでアメリカに留学したいと親に言ったんですがそんなお金があるわけでもなく、気付いたら中国に留学しようとなっていて。どうやって調整したのかよく覚えていないですが、学校としては特例だったみたいです。

― アメリカ留学したいとはなぜ思ったんですか?

大きくなるにつれて親を見ていて結構大変そうだなと思うようになって、何でもいいから他人よりできるようにならなければいけないなと思ったんです。それは英語じゃないかと思って、留学したいという話をしたと思います。危機感を感じていたんでしょうね。

― 経済的な理由でアメリカ留学がかなわなかったことについてはどう捉えていますか?

やはり残念だったなと当時は思いました。というのも、後に自分がコンサルタントとして就職した後に仕事で英語を使う機会が結構あったので、入社してから結構苦労しました。ちゃんと留学して英語を学んでいたら、もう少しパフォーマンスが上がっただろうなと。その時に民間企業が支援してくれる仕組みがあれば良かったなとは思いました。

― 中国では何を学ぼうと思ったんですか?

もともとの目的は英語の勉強だったのでそこは達成できなかったんですが、中国を離れてから数年たっていたので中国語のキャッチアップにはなりましたね。あとは向こうのほうが少しだけ教育が進んでいたので、英語なども日本にいるよりはよく学べた記憶があります。日本で学校の成績は普通でしたが、中国から戻ってきたときには以前より勉強ができるようになっていました。

― 進路や将来のキャリアについてはどんなふうに考えていましたか?

高校進学の時は、具体的にどんな職業に就きたいというのはなかったですが、できるだけ学力の高いところという意識はありました。将来像について具体的になったのは大学生になってからですね。大学選択の時には「大体このぐらいの大学に入ったらこんな仕事に就く人が多いんだな」くらいのところは分かっていました。

― 慶応義塾大学に入学してそこで奨学金を借りたということですが、自分で調べて手続したのですか?

受験勉強で精いっぱいだったので、なかなか経済面まで事前に考える余力はありませんでした。でも大学に行かなければという危機感は持っていて、とりあえず勉強しようと。お金は両親が何とかしてくれるとは思えなかったんですけど、入学してから働いて賄うとか何か手段はあるだろうと思っていましたね。

奨学金制度については入学してから知りました。情報収集はあまりやらなくて、大学入学の資料の中に日本学生支援機構のパンフレットが入っていたので申請したという感じです。あとは大学が金融機関と提携しているローンです。今にしてみれば、返済についてもう少し早めに意識していれば良かったとか、給付型の奨学金のこともちゃんと調べて申し込んでおけば良かったなと思いますね。

― 外国にルーツを持っていることで情報が入らなかったりしたのでしょうか?

情報入手が難しかったのは、行政などの制度に関する部分でしたね。奨学金もそうですし、他には学生の期間は年金の支払いが免除されるのを知らずに納付していましたし。外国人は受給資格がない奨学金も数多くあります。交換留学に行こうと思ったけど、日本国籍がないため行けなかったこともあります。ただ僕は日本の永住資格を持っているので、まだ機会はあったほうではないでしょうか。

就活で感じた奨学金返済への不安

― ご両親はその頃もアルバイトを続けていたんですか?

そうですね。父は2つくらい仕事をかけ待ちしていたと思います。母もアルバイトでした。

― 失礼ですが、それだと家計は相当苦しかったでしょうね?

食べる分には困らなかったですけど厳しい状態でした。学習塾に通ったりはできなかったし、参考書代も携帯料金も自分のアルバイト代で払っていたのを考えると、何か好きなことをやりたくてもできない状況ではありました。

― ご両親の姿を見て、自分の将来について感じるところはありましたか?

高校生の頃はアルバイトと正社員の違いをあまり認識していなかったのですが、両親が朝から夜まで働いている一方で、お金がある状態ではないのは認識していました。すごく時間かけて働いている割には収入が少ないんだなと。自分が家族を持った時にはどうなるのかなと小学校高学年くらいから思っていました。

― 経済的に厳しかった体験が今の事業の背景になっているとは思いますが、大学時代に借りていた奨学金はかなり高額だと聞きました。

総額800万円弱借りましたね。その中から480万円くらいが学費で引かれて、300万円くらいが生活費という感じです。慶応の湘南キャンパスは川越から通うと片道2時間半もかかるので下宿するようになって、その生活費もかかりました。

正直なところ、借りるときには返済についてあまり考えていなかくて、意識し始めたのは就職活動の時です。この会社は初任給いくらだろうとか、そろそろ返済が近づいてきたけど毎月いくら返すんだろうとか。僕の場合は毎月6万円の返済だったんですが、日系企業だと返していくのが厳しいなと。

大学卒業後はそれなりの収入がある外資系コンサル企業には入ったので返済はできたんですけど、それでも周りの友人に比べてまったくお金が貯まらない状況でした。もし就職先が見つからなくて日系企業に入っていたら生活できたのかなと思います。返済に対する不安が、就活中はすごく強かったです。

誰でも情報にアクセスできる環境をつくる

― 事業の話を聞かせてください。まだ奨学金の返済が残る中で独立するのも勇気が必要だったのではないですか?

実は就職する前から、自分で事業をつくりたいと思っていたんです。大学OBや就職先の方の話を聞くと、給料はもらっているけど皆さん疲れていて生活が豊かではなさそうだなと感じて、それなら独立して自由度が高い生活をしたいと思ったんです。

― 今手掛けている奨学金関連の事業を始めた一番の理由は?

実はその前に一つ事業をやっていていたのですが、同じ時間と労力を使うのであれば、自分が課題として直面してきたことを解決して利益を得たほう方がいいなと思うようになって、一度それらを整理してみたんです。すると、やはり自分にとって一番大きかったのは学費の問題だったと認識しました。

ちょうどアメリカで、教育ローンや学費の問題を解決するスタートアップがポツポツ出てきた時期でもあり、自分もやってみたいなと。その時はキャンプファイヤーというクラウドファンディングの会社にいたのですが、日本でも海外のスタートアップがやっている事業が通用するのではないかと思いました。

― 実際に事業を始めて課題はありましたか?

思い描いたようにはなかなか実現しない部分もたくさんあります。日本独特の大学学校の組織体制があったり、企業も奨学金や学生ローンを打ち出すのに積極的でなかったり。ユーザーよりは、連携する事業者側のハードルが高かったですね。

― 外国籍の若者が活用できる奨学金は増えているのでしょうか。

現状では、受給資格が日本国籍取得者や永住者限定であるものも多いです。日本への留学生もこれだけいる中で、奨学金制度が日本人だけ対象という状況もゆくゆくは変わっていくとは思いますが。

― 諸外国に比べると日本の状況はまだ閉鎖的なのでしょうか。

例えばアメリカには受給資格に国籍が関係ない奨学金がたくさんありますし、どちらかと言えば日本は閉鎖的かなと思います。

― 日本企業も奨学金制度の創設にあまり積極的ではないのですか?

ここ数年で変わってきているとは思いますね。大きな理由はやはり人材不足です。特定技能実習生を受け入れたり、留学生を採用したりする流れの中で、僕らの事業も機会が増えています。

― 外国ルーツの若者の採用という点で日本企業の姿勢をどう感じますか?

昔は日本人でないと仕事ができないと言われていたのに、外国人の方がむしろ積極的に頑張ってくれるという話を日本企業の方からよく聞きます。ただ、特定技能実習生や留学生だと、いずれ本国に帰ってしまうというリスクがあります。その点で、日本で育った外国ルーツの方であればその心配はないのかなと思います。

― 事業の将来的なビジョンは?

今は情報を整理している段階です。さらに整理できたとしてもそこにリーチできない人が多いので、高校と連携して僕らがオンラインでコンテンツを提供させていただき、みなさんが情報にアクセスして使えるようになった段階で、次のステップとしてその種類を増やしていくという流れを描いています。奨学金を作りたい企業や個人の方もいらっしゃるので、そこを支援することで種類を増やしたいと思っていますね。

奨学金の案内は日本人が日本語で読んでも人によっては理解しきれないところがあったり、英語の募集要項もほとんどありません。そこは変えていきたいと思っていて、中国語と英語にも対応したいと考えています。

― 給付型の奨学金はまだ少ない印象です。

それが意外に多くて既に4300種類、支給規模も430億円くらいあって、ローンタイプのものも合わせると1万種類以上あるんです。僕の学生時代はその1/3~1/4くらいだったんですが、東日本大震災の後、寄付と共に奨学金が急激に増えました。ですから、選択肢自体は昔に比べるとかなり増えています。ただし、課題はその情報にアクセスできない人がまだまだ多いということです。

中国籍であることのアドバンテージ

― 高さんは早い段階で日本に馴染んだほうだと思いますが、人生の節目で自分のルーツについて考えたことはありますか?

大学生の頃に自分は中国人なのか日本人なのかと考えることはありましたが、進学や就職で特に意識したわけではないです。

僕が国籍を変えない理由のひとつは、それで得している部分があるからです。学生の頃は経済的な面で苦労することもありましたが、大人になってみると日本でも中国でも暮らせるし、以前は苦しかったことがアドバンテージになっている感じです。さらに、運よく自分が成長するのと並行して中国も経済的に成長して事業機会が増えているので、結果的に良い状態になっています。こうしたことは、中国に限らずどこの国出身でもあると思います。

― 最後に外国ルーツの若者にアドバイスをお願いします。

親が外国人で、経済的に裕福ではないので人より不利になることもありましたが、やってみると意外と何とかなることが多かったと思います。自分の場合、他人よりも何かができるようになりたいともがいていた時期がすごく大事だったなと、大人になってから強く感じます。ですから、他人にはないプラスアルファとなる何か、優れているところを自分で見つける努力が大切ではないでしょうか。また、外国ルーツということは日本と外国の双方と繋がりがあるという意味で、他の方よりも見つけやすい立ち位置にいると思います。

吉田浩 取材・執筆

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