【ライフストーリーVol.12】「外国人だから無理」と思わずに、夢を追いかけてほしい
▶宮城ユキミさん プロフィール
10歳の時に、両親が日本で働くためブラジルから日本へ渡ったことをきっかけに来日。静岡県浜松市で育った宮城ユキミさん。日本の大学を卒業後、現在は地元の企業で海外営業担当として働く傍ら、外国ルーツの子どもたちに対する教育支援団体「COLORS(カラーズ)」の代表としても活動しています。外国ルーツの子どもたちは、高校卒業後にフリーターや派遣社員になるケースがあるのが現状。その状況を改善するため、自らロールモデルとして発信を続けています。
▶外国ルーツの子たちのロールモデルとして活動
― COLORSとはどのような団体で、どんな目的で活動しているのでしょうか?
もともとは私が大学生の時に、浜松国際交流協会(HICE)と一緒に外国ルーツの子どもたちを支援する目的で単発イベントの企画運営などを行っていたのですが、継続的に活動していこうということで、2014年1月に任意団体として設立しました。私たちがロールモデルとして今までの経験や苦労したことを伝えて、子どもたちに将来について考えてもらったり、自信を付けてもらったりすることが活動の目的です。
― 団体は1人で立ち上げたのですか?
もともと5人ぐらいメンバーがいて、全員外国にルーツを持つ人たちです。私を含めたブラジル出身者と、ペルー出身者が1人、インドネシア出身者が1人いました。
― 具体的な活動の中身は?
現在は「出張COLORS」と呼んでいる活動が一番大きなものです。私たちが高校に出向いてワークショップを開いたり、学校と連携して総合的な学習の時間をいくつかいただいたりしています。生徒の中心は外国ルーツの子どもたちですが、日本人の子どもたちも途中から混じるようになりました。
ワークショップでは子どもたちに日本語を学ぶことの大切さや、将来について考えてもらっています。外国ルーツの子たちは、高校卒業後にフリーターや派遣社員になるケースが多いのですが、そこで満足せずに企業に正社員として就職する道を提示して、5年後、10年後までにどのようなストーリーを描けるのかを問いかけるようにしています。
私のような社会人や大学生がメンバーとして出向くので、高校生にとっては先生よりも近い距離感で話ができるのが特徴です。回を重ねるごとに、「実は将来こんな職業に就きたい」とか、「親は働けというけど本当は大学に行きたい」といった、いろんな悩みを打ち明けてくれるようになります。私たちにとっても子どもたちにとっても、有意義な活動になっていると思います。
― 出張COLORSはどれくらいの頻度で開催しているのですか?
コロナ前は、一番多い時で浜松市周辺の定時制高校3校で行っていました。2カ月に一度くらいのペースで、1校につき5~6回行う感じです。
- ワークショップの手ごたえはどうですか?
印象的なことが2つありまして、1つは校長先生が子どもたちの積極的な姿勢にとても驚かれていたこと。もう1つは出張COLORSの教室をのぞいた生徒が、楽しそうだから自分もやりたいと言って参加してくれたことですね。3クラス同時開催で、100人規模の生徒が参加したこともあります。
▶課題は親の意識を変えること
― 出張COLORSの活動を通じて見えてきた課題はありますか?
まず、子どもたちの将来に関して、親の理解を深めることの大切さです。子どもを定時制高校に通わせる理由として、学校に通いながら働けるからというのがほとんどなんですね。ブラジルの感覚で言うと、働きながら勉強するのは立派なことなのですが、定時制高校に通いながら大学進学を目指すのは、普通の高校に通う場合と比べて難しいのが現実です。定時制高校を卒業したら、そのまま子どもに働いてほしいと希望する親に対して、大学進学の意義を理解してもらうのが大きな課題です。
― 親がそう考えるのは、やはり経済的な理由が大きいのでしょうか?
それもありますし、たとえばブラジルのコミュニティの中だと、実際に大学を出て一般企業に就職して働くという人がほとんどいないんですね。派遣社員として工場勤務をずっと継続していて、自分の子どもも同じ道を進むようなイメージを抱いている親が非常に多い。でも、20年先、30年先を考えたときに、本当にそれで良いのか、という部分を考えてもらうようにしています。
― ブラジル以外のコミュニティでも、似たような考えの親御さんが多いのでしょうか?
ペルーとか南米系は特に似ている気がします。短い期間だけ日本で働くために来ている人が多いことも影響していると思います。私たち家族も、最初は日本に来て3年経ったらブラジルに帰る予定だったのが今に至っています。日本に定住が決まった後の働き方をどうするかは大きな課題です。
- 浜松には南米系の方が多いと思いますが、地域特有の課題のようなものはありますか?
ステレオタイプかもしれないですが、南米系の人たちってあまり先のことを考えないんですよ(笑)。お金が有ったら全部使いきっちゃう、今が良ければいいみたいな方が多いのは確かです。実際に大学進学したり、就職活動することを考えずに、高校を卒業したらすぐに工場で働いてお金を稼ごうと考える人が多いので、そこをいかに変えていくか、ですね。
- 親の理解を深めていくために、どのようなアプローチをしていきますか?
今年度から、外国ルーツの子を持つ親にフォーカスした動画を配信したいと思っています。
当事者からコミュニティに向けて訴えかけることが大事だと思うので、私の母に喋らせようかなと。母が私を育てて大学まで行かせた経験は、実際どのようなものだったのか。母は工場の派遣労働者にはならないでほしいと私に言ってきましたが、なぜそう思っていたのか。ブラジルコミュニティに対して何を伝えたいのか、といった部分を発信できればと思います。
▶就職活動の経験を通じて考えたこと
― 今、宮城さんは本業を持ちながらCOLORSの活動を続けていますが、実際に大学に進学して日本企業に就職して良かったという実感はありますか?
そうですね。実際に派遣社員である親の年収を今の年齢ですでに超えているので、そういう部分を考えると、やはり全然違うなと改めて思います。あとは外国ルーツでありながら、日本の一般企業に入って社会人として働くロールモデルとして見られるようになったのが大きな変化ですね。そうした経験を語れる人は多くないので、どんどん発信していきたいと思うようになりました
― 宮城さんのように外国ルーツでありながら、日本の大学に通って一般企業に就職するというのは、まだレアケースなんでしょうか?
ここ5年ぐらいは増えてきていますが、まだまだ少ないですね。高校に入る段階で道が分かれていて、全日制の普通高校に入れた子と、定時制高校に行く子ではその後の進路が大きく変わってきます。普通高校の場合は、卒業後は進学なり企業に就職するなりしますが、定時制の子たちは就職が半分で、その他はそのままの暮らしを続けるといった感じです。
― 宮城さんが大学生の時に就職活動をしていた時は、希望職種などをはっきり決めていたのでしょうか?
具体的にはあまりなくて、ブラジルと日本をつなぐような仕事がしたいなとぼんやり思っていました。実際に就職活動をする中で貿易とか物流の分野について分かってきたので、その方面の会社に就職しました。
就職活動で1つ問題だったのが、自分が当てはまる枠がなかったことです。留学生でもないので、一般枠の日本人の中にいては埋もれてしまうというのが悩みでした。そこで、同じ悩みを持っている人もいるだろうと思って、就職応援セミナーを開いたんです。浜松の企業と外国ルーツの子たちを繋げて、企業側と学生が相互理解を深められるイベントを開きました。
― 就職活動では苦労したほうですか?
書類では結構落とされましたが、面接まで行くと割と通るところが多かったです。どちらかと言えば、受かった会社が本当に自分の特徴を活かせる会社なのか、という部分で悩むことが多かったですね。
― 宮城さんが就職した2010年代半ばは売り手市場だったと思うんですが、景気が悪くなると外国ルーツの子たちの就職活動は日本の学生以上に厳しくなったりはしませんか?
厳しくなるとは思いますが、大学を出ている子たちだと日本語はある程度話せるし、半分は日本人でありつつ母国の言語で臨機応変に対応できるバックグランドがあるのは逆にアドバンテージになるのではないでしょうか。「自分1人を採用すれば、2人ぶんの人材を獲得するのと同じくらいメリットがありますよ」と企業にアピールすることはできると思います。
▶教育現場にも改善の余地あり
― 日本に来られたのは10歳の時ですよね。言語学習以外に苦労したことはありますか?
日本の歴史がいまだに分からないです(笑)。徳川家康の名前くらいは分かりますが、実際にどんなことをしてどんな歴史があったかとか、正直分からないです。日本の学校に編入したのが小6だったので、国語と社会の授業の時間は、違う教室で日本語を学んでいました。中学の時は社会の授業を受けていましたがテストのためだけの暗記をしていたので、正直よく理解しないまま来てしまいました。
― 日本の小学校や中学校に通ってきて、外国ルーツの子たちにまつわる問題に関して、教育現場で改善できそうなところはありますか?
地域にもよると思うのですが、生徒に「自分は大学に行けるんだ」と思わせることが大事だと思います。日常の勉強をしっかりさせることももちろん大切ですが、英語推薦枠や、奨学金制度や授業料免除の特待生制度などについて、情報を伝えることも大事かなと思います。私は一般的なJASSOの奨学金を借りましたが、たとえば、どこかの団体が奨学金制度を設けていたとしても、自力でそこにたどり着けるかという問題があります。制度をよく分かっていなかったり日本語が難しくて申請書がかけなかったりということもあると思います。
あとは外国ルーツの子たちではなく、日本人の子ども向けにも国際理解やグローバル社会の概念をインプットしていくことが必要ではないでしょうか。
― 情報へのアクセスという面では、学校にもまだ不十分なところはある?
正直、先生個人の力量に頼る部分はあります。先生たちがさまざまな情報を知らないこともあるので、まず先生たちに届く情報量を増やして、あとは実際に外国人コミュニティに届いていない部分を改善していかなくてはいけません。
― 学校へのアプローチとして何か考えていることはありますか?
私個人としては、浜松市の外国人子供教育推進事業に推進委員として参加しているので、意見が反映されることはあります。行政のほかにも、民間企業や小中校の校長先生とNPO団体などを入れて協議する場になっていて、私のような当事者が参加できたことは大きいと思っています。
― COLORSの将来展望として、何か考えていることはありますか?
できれば法人化したいとも思っていますが、COLORSあっての浜松国際交流協会(HICE)、浜松国際交流協会(HICE)あってのCOLORSという側面があるので、地域に根差した活動は続けていきたいと思っています。
― ライフワークとしてずっと活動を継続する考えなのですね。
そうですね。理想は「多文化共生」というワードがなくなるくらい多文化であることが当たり前になって、私達の支援がいらないくらい行政から子どもたちへの支援がある状態にすることです。
外国ルーツの子どもたちには、自分の可能性を信じて諦めないでほしいです。私も最初は日本語がそれほど喋れなかったし、将来の仕事は通訳ぐらいしかイメージできませんでしたが、今は良い企業でグローバルに仕事ができているし、自分をロールモデルとして語れるようにもなっています。「外国人だから無理」と思わずに、ぜひ夢を追いかけてほしいと思います。
吉田浩 取材・執筆