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[ライフストーリーVol.23]反骨精神を持っていろいろなことを世の中に発信していきたい。

社会学を学びながら海外ルーツの人々の支援を継続 

スリランカとフィリピンにルーツを持つライアンさんは、日本で生まれ育ったにもかかわらず、国籍や在留資格などの問題をはじめ、自らの扱いに関する違和感などから、常に社会に対する壁を感じてきたと言います。大学で人権問題や差別を生む社会構造について学ぶ一方でglolabの活動にも参加し、海外ルーツの人々が抱える問題を可視化し、社会に提示しようとしています。

得意な英語を生かせる高校に進学

―ライアンさんは生まれも育ちも日本なんですね。

大阪の大正区で生まれました。父親はスリランカ出身で、マジョリティのシンハラの人です。日本の自動車技術を学ぶために、30年ほど前に大阪の大学に留学して以来、ずっと日本に住んでいます。母親は日本とフィリピンのハーフだと思っていたのですが、フィリピンの人であると最近になって知りました。

―子供の頃から日本社会に壁を感じていたとのことですが。

やっぱり僕は「日本人」のような外見ではないし、小学生の頃は名前をもじられていじめられたりしたので、どうしてみんなと違うのだろうという感情を持っていました。中学、高校に上がると、自分の国籍のことや在留資格のことなどにも目を向け始めました。在留資格は永住なのですが、国籍法の規定で日本国籍が取れなかったんです。2021年に起きたスリランカ女性のウィシュマさんが入管施設で亡くなった事件や、永住許可の取り消し法案が出されたニュースなどを見ると、自分も国籍や在留資格といった部分で、社会に対してすごく壁を感じます。

―学校には、ライアンさんと同じく海外ルーツの同級生はいましたか?

小学校と中学校では中国やベトナム、ガーナなどにルーツを持つ子がましたが、指で数えられるぐらいでした。僕の家庭はちょっと特殊で、仲の良い友達がいても、親が厳しくて外で遊ぶことはほとんどなかったんです。南アジアの家庭ではよくあることなのですが、カースト制度の影響なのか親の権限が非常に大きくて。今思えば結構理不尽だったんですけど。

―家庭では何語でコミュニケーション取っていたのですか?

日本語です。あとは幼稚園に入る前にインターナショナルスクールのような学校に通っていたので、まあまあ英語も喋れました。

―高校はどちらに通ったのですか?

2019年に開校した公設民営の水都国際高等学校です。中学校の時サボっていたのもあってなかなか進路を決められなかったのですが、当時の担任の先生がパンフレットを見せてくれて、「今度新しくできる学校があるけどどうかな?」と勧められたのがきっかけです。行きたいと思っていた英語系の学校だったこともあり、進学を決めました。

英語は得意科目でしたし、ヒップホップなど英語の曲をよく聞いていた影響もあり、英語が身近にあって、自分の強みが英語というのは自覚していました。将来は、たとえば海外の大学に行ってみたいとも考えていました。

アイデンティティを国に置くことはやめた

―高校生活は楽しかったですか?

第1期生で伝統もないし先輩もいないので、ゼロから何でも作り上げる感じでした。授業は全て英語で、国際バカロレアのディプロマという海外大学の入学資格が取れるカリキュラムがあって、海外ルーツの生徒が沢山いました。それも多種多様な国にルーツを持っていて、小学校や中学校時代に比べると圧倒的に居心地が良かったです。

―海外ルーツの若者に話を聞くと、思春期によく自分のアイデンティティで悩むケースが多いのですが、ライアンさんはいかがでしたか?

僕はもうアイディティティを国に置くことはやめました。国籍はスリランカになりますが、内面的にはどこかに属している感覚はありません。日本で生まれ育って文化的なルーツは日本にある一方で、ミックスという立場として国を選べないということもあるので、自分では「移民2世」や「ミックスルーツ」という言葉を使っています。

―どこかに所属したい気持ちになったことはありますか?

中学時代は少しあったかもしれませんが、しんどくなってしまいました。日本国籍を取りたい気持ちがあっても、父は僕に「シンハラ人」として生きてほしい意識があったと思いますし、そういう話は怖くてできませんでした。外に出ると「日本人」とは名乗れないけれど、「外国人」として扱われることにも違和感を覚えていたので複雑でしたね。

入学時に抱いたシステムに対する違和感

―立命館大学への進学はどのように決まったのですか?

高校で国際バカロレアコースを取って専攻を選ぶ際に、文系の方が得意だったのにあまり自分で考えないままコーディネーターに勧められるまま理系コースを取ってしまったんです。結果的にディプロマを取るための評定にわずかに足りず、落ちてしまいました。再試験を受けるために一浪したのですが上手く行かず、結局二浪することになってしまいました。当時は思い描いていた海外の大学に行きたいという希望もかなわず、漠然とした状態が続きました。二浪して背水の陣になり、「自分が本当にやりたいことってなんだろう」と考えて、やはり人権や差別について興味があったので、最終的に立命館大学の産業社会学部に進みました。

―浪人時代から、海外ルーツの若者を支援するプログラムに参加していたそうですね。

大阪のNPO団体が主催する、海外ルーツの小中学生を同じく海外ルーツの高校生や大学生がサポートするプログラムに参加して、中学3年生の勉強を見たり、相談事に乗ったりしていました。今年の7月からは、glolabの活動にも参加しています。

―大学生活はいかがですか。

大学でも、入学当初から自分のアイデンティティが揺るがされる場面が多いです。例えば手続きの際に、特に合理的な理由がないのにパスポートのコピーを出さなければいけなかったり、新入生オリエンテーションでは名前がアルファベットやローマ字の生徒は教室の端に座席指定されたりして、大学のシステム上、僕のような日本で育った海外ルーツの生徒も留学生と一緒の扱いをされました。だから僕が「日本生まれのミックスルーツです」と自己紹介すると、周囲がざわめいていましたね。「ダイバーシティ&インクルージョン」を謳っていても、まだまだ遅れているのが実情です。

同級生からは「留学生と思っていたから話しかけないようにしていた」とも言われました。悪意はないのでしょうが、外見で、日本語が喋れないと勝手にジャッジされてしまうところにモヤモヤしましたし、毎回自分の出自について同じ説明をしないといけないのもしんどいです。

海外ルーツの人々にまつわる問題を可視化したい

―大学での勉強の他、今はglolabの活動にも参加されていますが、在学中に成し遂げたいことはありますか。

まずは、大学のシステムを変えたいと思っています。先ほど述べたような僕が受けた扱いに関しては、大学の事務に掛け合って、そのような管理をしている理由について情報開示を求めました。結果として、外国籍の生徒や在留資格別のデータを文部科学省に提出するためというのが判明したのでそれは良かったのですが、今は教授や先輩たちの協力を得て、さまざまな可視化されていない問題について提示していこうとしています。

留学生の多くが専攻する国際関係学部でも人権や多様性について学べるのですが、産業社会学部の方が学びたいテーマの専門教授が多いですし、自ら当事者として研究されている方もいます。そうした教授たちや多様性について自主的にゼミを開いている先輩たちなど仲間を増やしているところで、結構大きなプロジェクトになりそうです。

2つ目は、社会調査士の資格を取って、将来は教育社会学や文化的な側面から海外ルーツの人たちの研究に携わりたいと思っています。

3つ目は、いろいろな人たちを繋げたいという思いがあります。大学には留学生との交流スペースぐらいしか海外ルーツの生徒たちと繋がる場がないので、イベントを開催するなどしてそうした場を盛り上げていきたいですね。

―大学卒業後にやりたいことはありますか。

学校教育の中で海外ルーツの人たちの話はあまり出てこないので、glolabでの活動を始め、海外ルーツの人たちに関する問題提起や支援は継続したいですね。ゲストスピーカーとしてさまざまな場所に呼ばれることが増えたので、生業の1つにしても良いのかな、とも考えています。

あとは趣味でヒップホップのDJをやっているので、音楽で名を馳せたいという希望もあります。ラップで問題提起もできそうですし、反骨精神を持っていろいろなことを世の中に発信していければ良いですね。


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