その在所越えられる?
「この在所越えて」という歌詞が
「竹田の子守唄」にありますが
(部落差別にあたるとしていまや
放送禁止になっています)
在所(=住処、郷里)を越えていくひとと
そうでないひとがいる
最近それを改めて感じることがありました
オンラインで知り合った
東京の東部に住む方から
会って話してみたいといわれたのですが
どうしても
上野、浅草、錦糸町あたりがいいと
なぜか言い張るのです
その方はたぶん江東5区
(墨田区・江東区・足立区・
葛飾区・江戸川区)のどこかに
お住まいだけどはっきりとは言わず
かたや私は神奈川県の
真ん中あたりに住んでいるので
できれば新宿あたりだと
助かるんですがと言ったら
新宿なんて
もう10年くらい行ってないという
じゃあなおさらお越しになればと言ったら
いやいいという
うーん、これってなんでしょう
「在所の結界」なのでしょうか
かくいう私も、神奈川県民になって
東京西部は身近に
感じられるようになったけど
東京東部は
遠くにありて思うくらいがちょうどいい(笑)
そう感じるようになりつつあるのですが
関西に在住しているころは兵庫の
播州という地域に住んでいましたが
生まれてからこのかた
その地を離れたことがない
せいぜい神戸に出るのが関の山
そんな方々に遭遇することも多かったです
かたや私は東北の出で
東京経由かつ関西在住だったので
在所を離れたことのない
かれらからしたら
もはやUFOに乗った異星人くらい
不思議な存在だったようです
とはいえ黙っていると
「それでもいいわ
ちかごろすこし
地場の人らに飽きたところよ」
という衆生の裏ネタにされるような
存在になりかねなかったので
積極的に地場の人たちに
関わって自らネタ開示してましたけど
まあやはり、在所の結界は固くて
結局は異星人のままでしたね
ややこしいことにあまり巻き込まれなくて
済んだから
それでもよかったのかもしれませんが
ただこれからの時代
いつまでも在所にしがみついているのって
どうなのだろうなという
慣れ親しんで
居心地の良い場所は
心身の安定に大事だけど
流れがなくなって澱むと
水が濁るように
たまには在所を越えていかないと
心持ちが腐ってしまわないのかなと
かつて在所を越えるハードルが
いろいろと高かった時代がありますが
いまは様々な手段があるので
垣根も低くなりましたし
山の向こうの
川の向こうの
そんな景色をみてもいいんじゃないのかな
そう思うのです