落合陽一の聖獣と仏 神仏習合の世界| Misakiのアート万華鏡
落合陽一は何者なのか。大学の先生なのか、作家なのか、アーティストなのか。正式な肩書はよくわからない。従来の肩書や区分では表現しきれない多彩な活動を展開している。それは松岡正剛とほぼ似ている。落合陽一自体がもう職業なのだ。肩書など、もういらない。落合陽一自体が一つのブランドなのだ。と、感じさせてくれたのが今回の展示会だった。
鰻屋の入り口で聖獣が出迎えてくれる
京橋のBAG Brillia Art Gallery, 京橋のホワイトキューヴで展示会は開催されている。何もない真っ白な状態から企画はスタートしたようだ。
その展示を考えるとき、落合は、京橋の地場の歴史を振り返りながら、自身の哲学と現代が交わった表現を探索し始めたそうだ。
2024年のテーマは「神仏習合」。テーマは毎年変わるらしく、昨年のテーマは真言密教だった。落合は、まず八重洲・日本橋・京橋リサーチのキーワードとして、江戸の宗教的空間だった神社や寺院の配置、祭りの構造、江戸発祥の文化がどう織りなされているかを探求したらしい。最初にイメージしたのは、麒麟だったらしい。その後、うなぎが黄龍と合体した鰻龍(うなぎドラゴン)のイメージが湧いてきたという。
驚いたのは、ギャラリーの入口が展示会ぽくなかったことである。うなぎドラゴンと出雲大社の縄と紙垂の写真が出迎えてくれた。この写真から、稲妻と蛇を感じることができるだろうか。うなぎ屋の入り口なのだ。なんだか意表をつかれた気がした。
「昼夜の相代も神仏」
中に入ってみると、夜の世界だった。鰻龍は座禅を組んでいる。よく見ると、中には仏がいる。現代のデジタルとうなぎドラゴンの融合だ。
この展示を見ていると、異なる要素の融合による創造性が感じられる。それは精神分析学者のシルヴァノ・アリエティが論じた”創造性の過程”である。アリエティは、「創造性の過程=ひらめき x 論理」とした。アリエティは、西欧の独創的な仕事をした人の事例を分析した。シェイクスピア、ベートーベン、アインシュタイン。これらの芸術家や科学者の創造性の筋道には2組の異質な概念の組み合わせがあるとアリエティは述べた。
そのうちの一つは "endo-cept"。鶴見和子”内念”と訳していたが、わかりやすく言うと、ひらめきのようなもの。なんだかモヤモヤと内側から湧き上がってくる想いのようなもの。もう一つは "Paleo-logic"。一言でいうと”論理”。
連想したのが下記の京都にある絵である。孔雀の上に仏様が座ってらっしゃる。仏様の前世は孔雀であったということが伝説として言われている。その絵を見ていると、孔雀か仏様か、仏様か孔雀かわからないくらいに仏様と孔雀が渾然一体となっている。けれど、仏は人間で、孔雀は鳥類ですからカテゴリーは違う。違うものが一体となって、人に感動を与える、それがCreativity。
この展示会では、鰻とドラゴンが一体となる。そしてその中には仏がいる。デジタルも融合されている。違うものが一体となっているので、クリエイティブに感じるわけだ。
古語で、ナガ・ナギは蛇を指すと言うらしい。現代の表現を考えたとき、ウ・ナギも蛇かもしれないし、と落合は考えた。龍神信仰に近い。古事記にでてくる天之御中主神(あめのかめしのかみ)が存在する神さまだとするならば、落合はヌルの神さまも近くにいらっしゃるのかもしれないと考えたという。
この感覚は私にはすごくしっくりくる。宗教都市で生まれ育った私は、三輪山は白蛇の権化と聞かされてきたし、蛇も鰻もたとえば天理教の創造神話「泥海古記」にでてくる神さまたちで、蛇はをふとのべのみこと、鰻はくもよみのみことと教わった。
鰻龍は座禅を組み、御神体は、古来からある三角縁仏獣鏡ということになっている。
日本流だ。鰻龍。聖獣の登場。その神さまたちを食べるのだから。本当に日本は奥深い。これはなかなかおもしろい。それもデジタルと現実の融合だ。
最初、ネットで『昼夜の相代も神仏 鮨ヌル 鰻ドラゴン』というタイトルを見たときは、難解そうだという印象を持った。しかし、展示には発想の意外性があり、実際に足を運んで目にすることで初めて「なるほど!」と理解できる面白さがあった。これこそが、アートの真髄であり、魅力なのだと感じさせてくれた展示会である。
続く