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「金魚が映す戦争の記憶 - 田名網敬一展レポート(2) | Misakiのアート万華鏡」

金魚が好き

 国立新美術館にて開催されている「田名網敬一 記憶の冒険」展に行ってきました。この展示会では、田名網さんが綴る幼少期のエピソードと、最新作のインスタレーション《百橋図》で構成された「プロローグ」からスタートします。11もの章立てで膨大な創作の変遷を丁寧にたどり、最後はアートディレクションを手がけたコラボレーションアイテムの数々と、インタビュー映像が流れる「エピローグ」で締めくくられます。

 国立新美術館の前には、大型作品《金魚の大冒険》が出迎えてくれましたよ。

国立新美術館 大型作品《金魚の大冒険》 撮影:MISAKI

 さて、田名網さんの作品にはたくさんの魚が登場します。まずは、《金魚の大冒険》の金魚からなのですが、なぜ金魚なのか?不思議でした。それはどうやら、彼の戦争体験に関連しているようです。
 1942年4月に東京への空襲が始まると、まだ子供の田名網さんは目黒・権之助坂付近にあった祖父の家に移り住んだといいます。終戦まで100回以上に及んだ東京への焼夷弾の投下。その様子を田名網は祖父の家の防空壕から眺めたそうです。アメリカの爆撃機、それを追う日本のサーチライト。人々は逃げまどい、街が炎に包まれていく風景を目の当たりにしたといいます。

 そんなとき、こどもだった田名網さんの記憶に焼き付いた光景がありました。祖父の飼っていたランチュウや出目金など畸形の金魚が、爆撃の光に乱反射しながら水槽を泳ぐ姿。そしてもうひとつ、田名網の記憶に焼き付いた光景がありました。祖父の飼っていたランチュウや出目金など畸形の金魚が、爆撃の光に乱反射しながら水槽を泳ぐ姿だったといいます。

 この時、田名網の脳裏に焼き付いた数々の光景は、田名網が後に描き出す作品の主要なモチーフを占めることになります。轟音を響かせるアメリカの爆撃機、それを探す日本のサーチライト、爆撃機が投下する照明弾と焼夷弾、火の海と化した街、逃げ惑う群衆、そして祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射しながら水槽を泳ぐ姿である。田名網の戦争体験は、特にこの金魚の存在によって、神秘的な幻想性をもって記憶されました。

戦争と赤い太鼓橋

それが異様な美しさなんだ。照明弾の強い真っ昼間のような光の中に水槽が浮かび上がっている。そこに鱗に光を受けた畸形の金魚がキラキラ発光して、ヒラヒラ、ユラユラ泳いでいるんだよ。恐怖心はあったけど、その水槽を見ていると僕は興奮を全身で感じていた。それは、いまでも思うけど、どんな幻想体験よりも強烈だった。

(田名網敬一公式サイトより)

食べたい盛り、遊びたい盛りの幼少年期を、戦争という得体の知れない怪物に追い回されていた私の見る夢には、恐怖や不安、怒りや諦めなどが渦巻いていたに違いない。そういえば空襲の夜、禿山の上から逃げ惑う群衆を眺めていたことがある。だが、ふと私は思うことがある。あれは現実に起こったことなのだろうか。私の記憶では夢と現実がゴッチャになって、曖昧なまま記録されているのである。

(田名網敬一公式サイトより)

 私自身、過去の記憶を自分の物語で上書きしていることがあります。あまりにも辛かった経験は、空白だったり、あれは本当に現実だったのか、という感覚はよくわかるような気がします。現実と乖離するという感覚なのでしょうか。

「俗と聖の境界にある橋」

 展示会の入り口に入って一番最初に登場するのが、《百橋図》。「俗と聖の境界にある橋」です。その昔、橋の下には「とにかく違う世界があった」というのが通説だったとのこと。空襲の夜に見た死者と太鼓橋。この奇異でドラマティックな組み合わせは、橋を隔てた向こうにあるこの世とは別の異界へと田名網さんを誘ったのです。

国立新美術館「プロローグ」展示風景より、《百橋図》(2024) 撮影:MISAKI
国立新美術館「プロローグ」展示風景より、《百橋図》の一部(2024) 撮影:MISAKI

続く


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