シュールなお月さまよ、こんにちは | Misakiのアート万華鏡
原宿のNANZUKA UNDERGROUNDで、いま注目のインドネシア人アーティスト、ロビィ・ドゥウィ・アントノによる新作個展『LUNAR RITUALS(月の儀式)』を観てきた。
展示されている作品群は、まるで現代のシュールレアリスムとでも呼びたくなるような独特の世界観を持っている。SFやファンタジー的な要素を取り入れながら、シュールレアリスムの精神を現代的に解釈した作品の数々は、見る者を不思議な空間へと誘ってくれる。
アントノの作品には、人間と空想上の生き物たち、そしてポップカルチャーの象徴が融合した独自の世界が広がっている。それらは彼自身の記憶や経験、そして豊かな想像力から紡ぎ出された物語のようだ。
本展では、アントノが3年前に発表したオイル・チョークとオイル・パステルによるキャンバス作品から一転、写実的なオイルペインティングへと回帰している。その結果生まれた作品群は、重厚さと神秘性を兼ね備えた印象的なシリーズとなった
本シリーズのテーマは、「ライフ・サイクル」だとアントノは語っている。今年、第一子が誕生し、父親となったアントノは、自分の行いが将来子供に良い循環を与えるように、自らの過去を振り返っている。
シュールレアリスムとは?
そうそう、ここでちょっとシュールレアリスムについて触れておきたい。シュールレアリスムって何だろう?と思う人もいるかもしれない。簡単に言うと、現実を超えた、夢のような不思議な世界を描く芸術のことをいう。
シュールレアリスムの特徴を3つほど挙げてみよう:
現実と非現実が溶け合う: 私たちの日常の中に、突然夢の中の出来事が紛れ込んでくるような感じ。ダリの描く溶けた時計や、空中をふわふわ浮かぶ物体なんかが、まさにその代表だろう。
無意識の世界を描く: 普段は意識の底に沈んでいる感情や欲望が、作品の中で思いがけない形で表現される。夢や妄想、ふとした出来事から生まれるイメージの数々。
論理なんて知らない: 現実世界じゃありえないことが、作品の中では当たり前のように起こる。人が鳥になって空を飛んだり、物が自由自在に形を変えたり。
シュールレアリスムの魅力って何だろう?それは、私たちの「当たり前」をくつがえし、新しい見方を提案してくれるところにあると思う。現実じゃ考えられないような不思議な世界に触れることで、私たちは自分の内側を見つめ直すチャンスをもらえる。そして、その体験が私たちの創造力を刺激してくれるのではないだろうか。
シュールレアリスムの代表的な画家
サルバドール・ダリ: 溶けた時計や柔らかい時計など、独特な世界観で知られている。
マックス・エルンスト: コラージュ技法を用いて、夢のような不思議な世界を作り出した。
ルネ・マグリット: 日常的なものを不思議な状況に置くことで、見る人に思考を促す作品を多く残している。
LUNAR RITUALS(月の儀式)
「LUNAR RITUALS(月の儀式)」というタイトルが持つ、ぞくっとするような響き。そこには、全ての作品に月が登場するという共通点がある。自ら光を放つことはない月だが、アントノにとってそれは「神秘」そのもの。特に、太陽の光を反射して夜空を照らす月は、精神の深淵、知性、そして自己との対話といった、より内省的な側面を象徴していると言えるだろう。
インドネシアのジャワ文化において、月は「再生」を象徴する信仰の対象だ。この文化的な背景が、アントノの作品世界に深く根ざしていることが伺える。
〇「しっかりつかまって、深いドスンという音に耳を傾けて」
(『Dekap Erat, Dengar Derap Memekat 2024』
『Dekap Erat, Dengar Derap Memekat 2024』という作品。インドネシア語のタイトルを和訳すると、「しっかりつかまって、深いドスンという音に耳を傾けて」となる。確かに、作品中のお月さまは、ドスンと地面に落ちてきたようだ。月が地面に落下しているという表現は、私たちの常識を覆す。えも言われぬ不思議な感覚に包まれる。女の子がお月さまにつかまり、割れ目に入っていくような姿は、月の中心から響き渡る音は、一体何を意味しているのだろうか。作者は私たちに問いかけている。
ジャワ文化において、月は内省と瞑想の象徴である。また、女性の力とも深く結びついており、豊饒、育成、そして創造と再生のサイクルに関連し、美、愛、献身を象徴する女神デウィ・ラティと結びついている。この女性的なエネルギーは、ジャワ社会における女性の育成に関する役割を反映しており、月は保護、思いやり、自然の創造的な力を表している。アントノは、母親が子どもの成長過程に与える影響を暗に象徴的な月の中に込めて描き出し、その重要性を語ろうと試みているのだろう。
〇「分解と変容」『Mengurai; Memburai』
この絵のタイトルは『Mengurai; Memburai』。和訳すると、「分解と変容」。生物を分解している様子が描かれ、その生物の中から、月のようなものが取り出されている。この月は、生物の生命の根源を象徴しているのかもしれない。
この絵を見て、私は三木成夫の『内臓とこころ』を思い出した。三木成夫は、『内臓は小宇宙』と述べ、人間の体は宇宙を内包しているという壮大な視点を与えてくれる。大昔の人々は、ごく自然に宇宙を自分の体内に感じ取っていたと、三木は述べる。
〇「レコーディング・メカール・セカール」『Merekam Mekar Sekar』
子どもの頭の中には、内臓を土壌に月のような花を咲かせる植物が育っている。それはまるで、透明なガラスの花瓶の中に収められた、神秘的な月夜の庭。女の子たちは、その庭の中に頭を突っ込み、静かに何かを聴いている。それは、心臓の鼓動なのか、それとも、遠い宇宙からのささやきなのか。幼少期の記憶、あるいは、まだ見ぬ自分自身との対話なのかもしれない。
〇「胸が裂けて裂けて、傷つきながらも輝いている」『Sebidang Dadamu Koyak dan Nganga, Benderang Namun Luka』
うわっ。魚の胸が裂け、そこから植物が勢いよく成長している。その上には月が実り、中には胎児が眠っている。この光景を見て、三木成夫の『胎児の世界 人類の生命記憶』を思い出した。 アントノは三木成夫を知っているだろうか。三木の本は、生命の誕生前、母胎内の神秘を探求した一冊だ。胎児の発育は単なる成長過程ではなく、生命の進化や人間の心の根源と深く結びついている。解剖学と哲学の両面から胎児の成長を分析し、胎児の経験が人格形成に影響を与えるという考えを提唱している。 アントノも三木も、未知の胎児の世界をそれぞれの視点で描き出し、読者に深い興味と神秘的な魅力を与えている。
母胎内の世界は、月の満ち欠けのように周期的な変化を遂げる。ジャワの太陰太陽暦は、月の満ち欠けに基づいた生活暦で、生、死、再生のサイクルを象徴している。これは、輪廻転生や宇宙のバランスといった概念と深く結びついている。
〇「逃げることも忘れずに」『Tak Urung Kau Larung』
月と共に登場する水もアントノにとって重要なモチーフだ。幼少期、飲料水を手に入れることが困難だったアントノは、家族と共に清水の泉を作るために、掘削、排水、ろ過、沈殿といったプロセスを経験した。この体験は、アントノにとって深い意味を持つ。それは、永遠の痕跡を残した幼少期の記憶の断片であり、非常に感傷的なものだと彼は語っていた。
インドネシアと日本のアートに違いは感じただろうか。三木によると、日本人の語学脳はポリネシアに近いものがあるという。自然を神聖なものとして崇拝し、自然と調和して生活してきたという共通点はあるに違いない。どこか懐かしい感覚を覚えることもあるかもしれない。
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