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『NO MORE WAR』 - 田名網敬一展(3) | Misakiのアート万華鏡

「NO MORE WAR」

日本のポップアートを牽引した革新的なアーティスト、田名網敬一。
彼の代表作「NO MORE WAR」は、反戦という普遍的なテーマを、鮮烈な色彩と独創的な表現で描き出し、多くの人々の心を揺さぶりました。

国立新美術館「NO MORE WAR」展示風景より(2024) 撮影:MISAKI

本記事では、田名網氏の生い立ちから、この象徴的な作品が生まれた背景を探り、彼の芸術が現代社会に投げかける問いを考察します。

芸術への目覚めとアメリカ文化の影響

1936年、東京・京橋の服地問屋の家に生まれた田名網敬一。幼少期に経験した第二次世界大戦は、彼の心に深い傷跡を残しました。死の恐怖が心の奥底に刻まれ、後の作品世界に大きな影響を与えることとなります。父親は仕事よりも遊びを優先する人物で、母親は苦労が多かったといいます。そんな家庭環境の中で育った田名網は、画家を志しますが、周囲からは反対されます。しかし、デザインならと、武蔵野美術大学に進学します。

子供時代の田名網は、日本に流入してきたハリウッド映画やアメリカンコミックス、そして少年漫画に熱中したそうです。

大学時代と反芸術運動

ムサビでは、大学では、既存の芸術概念にとらわれない「反芸術」的な活動に傾倒。篠原有司男や赤瀬川原平といった同世代のアーティストたちとの交流は、彼の芸術観を大きく形作ったと言えるでしょう。アウトローだったんですね。

1957年、第7回日宣美展でポスターが特選を受賞したことをきっかけに、
在学中からデザイナーとしての仕事が舞い込むようになります。

フリーランスデザイナーへの道

大学卒業後に博報堂制作部に所属した田名網さんは、外部からのデザイン依頼が増え、2年でフリーランスになりました。博報堂の新人仕事が退屈だったため、外部からの面白い仕事に魅力を感じていたとのことです。

ポップアートとの出会い

1960年代のアメリカは、ベトナム戦争や学生運動など、社会が大きく変動する時代でした。田名網は、そんな時代の空気感を作品に反映させます。カウンターカルチャーの自由な精神や、既存の価値観への反抗といったテーマは、彼の作品世界を特徴づける重要な要素の一つです。アンディ・ウォーホールのジャンル横断的な発想に影響を受けた田名網は、複製されることで広がりを持つ印刷物という作品形式に興味を持ちます。

アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の代表作『200個のキャンベルスープ缶』

アンディ・ウォーホルの代表作『200個のキャンベルスープ缶』。色も原色で画面構成もスピーディーで映画みたい。マリリンなど登場するキャラクターもかっこいい。だから好きになったんでしょうねえ。ウォーホルは、考え方と領域の横断に衝撃を受けました。例えば、実験的な映画、雑誌の出版、それからアートブックを作るという、表現を一つにこだわらないでありとあらゆるものを表現の手段として取り込んでいく、その姿勢に影響を受けたんですよね。だから、例えばウォーホルの実験映画の『エンパイア』(1964年)とかは面白いと思わないんだけれども、表現の手段として様々なメディアを駆使する。そこに興味を持ったんですよ。

国立新美術館「ORDER MADE!!」展示風景より(2024) 撮影:MISAKI

1965年には、ポップアートを強く意識したシルクスクリーン作品『ORDER MADE!!』を発表し、1966年にはアーティストブック『田名網敬一の肖像』を刊行。印刷物を単なる複製品ではなく、無数のオリジナル作品として捉える独自の考えを打ち出しました。

シルクスクリーン作品『ORDER MADE!!』は、ポップアートの影響を受けた田名網さんの初期の作品です。色とりどりのジャケットとネクタイが基盤となり、「ORDER MADE!!」の文字が重ね合わされています。豊富なバリエーションがあり、田名網さんの物質文化に対するシニカルで皮肉な視点が感じられる作品群ですねえ。

カウンターカルチャーとの関わり

カウンターカルチャーとは、既成権力や親世代の価値観に抵抗し、若い世代のアメリカ人が独自の文化を作った現象を指します。特定の組織や人物による運動ではなく、多種多様な文化実践が同時多発的に起こりました。ヒッピー現象、コミューン生活、ドラッグを用いた「トリップ・アウト」、ロックやフォークの音楽、フリー・コンサート「ウッドストック」、アメリカン・ニュー・シネマなどがその一例です。

田名網が初めてアメリカを訪れた時期は、映画などで知識はありましたが、ケネディの暗殺、人種差別、ベトナム戦争、学生運動などが起こり、バラ色の未来像は崩壊していました。ニューヨークにはアンダーグラウンドな雰囲気が充満し、実際に目にするアメリカは大きな混沌とエネルギーに満ちていました。その時代のアメリカは、圧倒的な活力を持っていたのです。

「NO MORE WAR」の意義

1968年、銀座のサイケデリックディスコ「KILLER JOE'S」にアートディレクターとして参画。同時期、アメリカの『AVANT GARDE』誌が行ったベトナム反戦ポスター公募企画に「NO MORE WAR」が入選し、国際的な注目を集めます。

国立新美術館「NO MORE WAR」展示風景より(2024) 撮影:MISAKI

この「NO MORE WAR」のポスターは、今の時代にこそ必要だと感じました。毅然とした目線で「NO MORE!」と宣言する女性の姿が印象的です。これは田名網さんの反戦思想と芸術表現が融合した代表作であり、鮮やかな色彩とサイケデリックな画風が強いメッセージを持っています。

現代のウクライナでの戦争やガザへの侵攻の現状を見ると、もう子どもたちが火の中で命を落とす光景を普通にSNSで見たくないと心から思います。「NO MORE WAR」と叫びたい気持ちは、今世界中の人々が共有しているはずです。

一方で、今の日本は戦前の雰囲気が漂っているように感じます。私たちが多少のんびりしているのかもしれませんが、どうすればよいのでしょうか。田名網さんのように戦争を経験された方々が亡くなっていく時代の節目に立ち、再び悪い時代に突入しないために、私たちができる反戦とは何かを深く考えさせられます。

続く

参考資料:「田名網敬一 オーラル・ヒストリー 第1回 2013年8月


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Misaki
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