JPOという選択

Junior Professional Officer (JPO)という制度がある。僕はこの制度を利用して、今月から世界保健機関(WHO)本部で働くことになった。それに伴い今の職場は1年も経たずに退職することになった。

日本のグローバルヘルス業界を知っている人の中には、もしかしたら僕の決断に疑問を感じる人もいるかもしれない。今の職場はこの業界で数少ない、安定した身分と給与を保証してくれる組織である。一方で国際機関は正規職員であっても2~3年の任期付きなので、来年の今頃から次のポストを探し始めなければならない。当然競争は激しい。国際公務員を続ける限り、これが2~3年毎に繰り返される。不安定な道へ絶賛まっしぐらである。親には「結婚がまた遠のくわね」と皮肉られた。うるせー。ではなぜ僕はあえて茨の道を歩むことにしたのだろう?自らの省察も含めて以下に3点記したいと思う。

まず第1の理由としては、国際機関への憧れが昔からあったからだ。国際機関へのエントリーポイントはいくつかあるが、純ジャパである僕にとって、このJPOを利用するのが1番易しく確実な方法だろう。公募から選ばれるのは難しい。また厚労省(だけでなく実はうちの職場も)からWHOへの出向者はいるが(そしてその方が高いポストに付けるが)、確実に将来いつ・どこに行かせてもらえるかという保証はさすがにないので、それらを割り引くと、やっぱりJPOかなという結論に達した。

第2の理由としては、日本の政府開発援助(ODA)の長期的展望への不安である。日本のGDPが徐々に低下していくことは避けられず、ODAも長期的な視点から見れば、日本の国力に合わせて減少していくだろう。つまり2国間援助(バイ)の世界だけで飯を食っていこうとすると、縮小するパイの奪い合い競争から逃れられなくなる。これは国際協力を長く続けたいと願っている僕にとって大きなリスクである。若くて自由がある時に多国間援助(マルチ)の世界に打って出て、世界でサバイブできる力を身に着けなければいけない。

第3の理由としては、欧米社会に再度リベンジしたいという気持ちがあったからだ。大学生の頃の国際医学生連盟(IFMSA)での活動しかり、最近の米国MPH留学しかり、僕には何度か欧米社会の中でモガいていた過去がある。しかし自分がアジアという枠を飛び出して、世界のルールを作っている欧米人と対等にやり合えたと思えたことが正直1度もなかった。知識・技術の差と言うよりは、語学力が貧弱だったり、プレゼンが下手クソだったり、等のソフトスキルの差に起因したのだが。そんな欧米社会にもう1度挑戦してみたいという思いがあった。一方でこれは「できない自分と日々向き合う生活」がまた始まることを意味する訳で、今から考えるだけでも憂鬱ではある。

マルチの世界で生き残っていけるのか、正直不安はある。JPOから正規ポストを獲得することは、WHOのような若手向けのP2/P3ポストが少ない機関では特に難しいだろう。JPOを終えたがポストがみつからず、日本に帰ってきた医師を何人も知っている。しかしチャンスは準備が整う前に突然やってきて、1度逃したらもう2度とやって来ないので、腹を括って飛び込まざるを得ない、という感じだ。正規ポストを獲得できなかったからといって、別の死ぬ訳じゃないのだから(外務省には冷たい目で見られるかもしれないが…)。

それにしても昔々、僕が医学生だった頃、JPOとして国際機関で働いている医師に出会っても、雲の上の存在にしか思えなかった。それから10年ぐらい経って、当時憧れていた立場に自分がなる日が来ようとは…少し感慨深い。最初は高くてとても登れない山だと思っても、一歩ずつ歩み続けることで、登れる日が来ることもあるのだ。しかし山頂に着くと視界が開け、実はその山の背後にはもっと高い山がそびえ立っていることを知る。今の自分には登り切る自信はないが。まぁでも、これからも一歩ずつ前進あるのみ。10年後に「JPOが人生のピークだったなぁ」とか新橋の飲み屋で愚痴らなくて済むように(笑)、明日からも頑張ろう。



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