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【‘24振返り後編】ついでにろくな解説未だなしの雅子さまへの名誉博士号の話全部書きます

思想の価値か、情報の価値か

noteを書き始めて半年が経った。最初はこれから何を書いていこうかなのテーマ探しを兼ねて、自分に書けることのショーケースになればくらいの気持ちで始めたnoteだったけど、皇室コラムが圧倒的に読まれているので、それは細く長くでも続けていこうと思っている。

そんなわけで皇室コラムでの今の当面のゴールは、個人のnoteだからできる表現と、メディアに載せてこそ意味が最大化される文章を書き分けていく事となった(メディアに載せる事だけを考えたら書けない言葉も多い為)。

個人のnoteだからできる表現って、例で言えば、このあたり↓

上記の文章って、こんなこと誰も知らなかった今明らかになる事実(←new!!)ってところに主たる・・・価値がある文章──ではないと思うの。もちろん世代間による知識差を埋めるダイジェスト的なまとめの価値はあると思うけれど、長年の皇室ファンにとってほど別にそこに何かファクト的な新しさがあるわけではなく、でも要素の一つ一つは知っていることであっても、それらをどう重ねて織り上げて何を表現しているかの思想や表現に価値がある、というもので。

で、そういうものはnoteでやればよいと思うの。だって、それが一番、自粛も自制も不要で、あれもダメこれもダメと角を取られることもない場だから。

一方、メディアに載せてこそ価値が最大化される文章とは、情報的な価値が高い文章、あとはタイムリーな時事に対する解説だと私は思っている。

例えば2024年の夏に、国賓で英国に天皇皇后両陛下がいかれましたね。その時の雅子さまに贈られたオックスフォード大学の名誉法学博士号について、日本のメディアの報じ方に違和感しかなくて解説noteを7月に書き、結構な反響があったのだけど、あれから半年が経とうとしてもろくな解説も特集も相変わらず出てこないのね、ともはや驚いている。

まず、それが国内でどう報じられたかというと、日本のメディアは軒並み、「名誉法学博士号が王族や国家元首に与えられるもので、91年に皇太子殿下にも授与されています」的な説明の仕方ばかりで、情報の主たる解説としてその2点だけで報じられた。

それに対してオイオイオイと書いたのが本解説なんですが、それ以外にだってあと3〜4本は全然違う切り口で書けると思うんですよ、それぞれに意味のあることを。

じゃあやってみろ、てのが世の定説なので、書いてみます。“独自性のある報道”とはなんなのか、事実を元にした空想の報道を。

「事実」を元にした架空の報道例4本

A)国家元首として世界でも高い存在感を放つ二人であることに言及する報道例(イメージ・五大紙のどれか)

在最終日、皇后陛下にはオックスフォード大学から名誉法学博士号が授与された。名誉法学博士号は国家元首や首脳級の政治家に贈られるものであるが、日本の国家元首(及びそれに準ずる立場)として同大学から同栄誉を授与されたのは、明治の松方正義首相、平成の皇太子殿下に次ぐ事例とある。また、国家元首が夫婦共に同大学から名誉法学博士号を揃って授与されたケースは世界的にも稀であり(※)、アジアの君主としては戦後初めてのこととなった。

オックスフォード大資料から筆者が作成。詳しくはAppendix参照(※)
某新聞社の刊行物より。
調べものの上澄みだけを転用されたくないので、出典はあえて控えます

B)日本の政治家の低迷を率直に批判する報道例(イメージ・五大紙のどれか)

皇后陛下にはオックスフォード大学から名誉法学博士号が授与された。名誉法学博士号は法治の分野での功績を称え、国家元首や国家首脳級の政治家などへ授与されることが多く、同大学から日本の公人として同栄誉を贈られるのは1991年の皇太子殿下(当時)以来となる。他方、他国に目を向けると、例えばイタリアでは、戦後歴代の大統領4名が授与されており、日本の政治家の国際的な威信や求心力の不足を天皇皇后両陛下が補う形になっているとも言える(戦後、オックスフォード大から同名誉学位を贈られた日本の首相はいない)。改めて皇室という外交におけるソフトパワーの大きさを知らしめる御訪問となった。

オックスフォード大資料から筆者作成。詳しくはAppendix参照

C)女性活躍に焦点をあてる報道例(イメージ・ハフポストあたりのリベラルフェミニストメディア)

皇后陛下には名誉法学博士号が贈られた。名誉博士号には美術や化学など様々な分野での社会への卓越した貢献を讃える栄誉であり、「法学」はその一つとして国家元首や首脳級の政治家、法学者などに贈られることが多い。オックスフォード大から日本人女性への名誉博士号の授与は、世界的な建築家・妹島和世氏(※)が建築分野の功績において授与された2016以来、8年ぶりとなった。ジェンダーギャップ指数の解消には課題が多い我が国だが、オックスフォード大のような世界をリードする大学から日本の女性にこのような栄誉が贈られていることは、日本の誇りであるとともに、未来への希望である。

出所:オックスフォード大HP

※妹島氏(68)は金沢21世紀美術館などを手がけ、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞された世界的な建築家である。また24年には文化功労賞を受賞。
oxford公式動画と宮内庁HPから筆者が勝手に合成

D)雅子さまの物語に光を当てる例(プレジデントオンラインあたり、作家が寄稿しそうな感じ)

名誉法学博士号は国家元首や国家首脳に準ずる政治家、偉大な功績を残した法学者や弁護士に贈られる名誉であり、同大学から名誉法学博士号を贈られるのは91年の皇太子殿下(当時)以来である。しかしレンズを少し開き、ともに英国を代表する二つの大学・オックスブリッジの片われであるケンブリッジ大を見てみると、実は2015に雅子皇后のご尊父である小和田恒氏が国際法学者として授与をされていることがわかる。小和田恒氏は、国連大使、日本外務省事務次官、国際司法裁判所の日本人初の所長など多くの要職を歴任し、外交官として、そして国際法学者として顕著な功績を残した人物である。雅子皇后(当時は小和田雅子さん)が外交官試験に合格した1986年には親子二代での外交官ということが大きく報じられ、雅子皇后は外務省を辞して皇太子妃となったが、その後は思うように国際親善の場で活躍することが叶わず、そのキャリアが惜しまれた冬の時代が長かった。しかし、その約40年後、父と娘が一見まったく違う旅路の果てに、それぞれの道で同じ栄誉を授与された姿は、見る者の胸を熱くさせた。

ケンブリッジ大学HPを元に筆者が作成

「雅子皇后が名誉博士号を授与されました」の1行って、文脈を洗えば、これくらい多彩な意味を持つ出来事だと私は思うのだけれど。

って、私上記でもまだ抑えてる。あとパターン3つは出せるっての!笑 でもそれがさ、それが「報道の独自性」じゃないのかな?

東京新聞の望月衣朔子記者は、日本の新聞社は通信社の仕事をしてしまっている、と言う(通信社ってロイターとか共同ね。新聞社とかTV局に出来事ベースのニュースを提供する役割)。

ワシントンポストやニューヨークタイムズでは、例えばG7で誰かが何かを言ったなど、プレス発表で表に出てくるような速報が一面に来ることは、まずありません。そういうニュースは通信社に頼んでいて、それ以外のところで記者が独自に勝負しています。ところが日本では、G7が開かれました、というような記者クラブ発表のニュースがどかんと一面に来てしまう。総じてどこも“通信社状態”になっていると言えるのではないでしょうか。

「自民党失敗の本質」“アメとムチの支配に踊らされたメディアの責任” p198、宝島社新書

単純な5W1H程度のファクトニュースで、独自の調査取材に基づくそれ以上の思想や深さがないものを新聞として出せてしまっているって言ってると思うのだけど、しかしそんなこと言ったらさ、日本の皇室報道記者って、みんな通信社じゃね?と思いません??

(※皮肉なことに一番存在感がある記者は共同通信社の大木記者……というねじれ現象はさておき。まあ現代ビジネスとか媒体に記名で寄稿する真の論説仕事をしているからですし)

ところで、望月記者の共著『自民と失敗の本質』(2021年)の遥か前に出さ
れた『ジャーナリズム崩壊』(2008年)には、こんな辛辣な言葉がある。

記者クラブの中でも、最もジャーナリズムと縁遠いのが宮内庁記者会である。そこにはフリープレスの原則など端から存在しない。徹底した横並び意識で、記者たちはあたかも自ら宮内庁の広報機関を買って出ているかのような印象を受ける。仮に、そのうちの一人がスクープを放ったらどうなるのか。極めてシンプルな結果が待っている。厳しい叱責か、もしくは長期間の「出入り禁止」を覚悟しなければならない(中略)自由な報道という概念はもとより存在せず、仕事といえば、単に宮内庁から与えられた情報をそのまま伝達するに尽きる。そうした役割に慣れてしまい、それが記者として正しい行為かそうでないのか、もはや区別がつかなくなっている。

上杉隆著、『ジャーナリズム崩壊』、p75、太字は筆者によるもの

なーるーほーどーー!!それは宮内庁広報部隊@朝日、宮内庁広報官@読売であって、独自の報道機関ではないですね。同書で上杉氏は、他社と横並び報道に徹する日本の新聞記者の特異性を以下のように指摘する。

海外の記者ならば、他の記者が取材していたら、自らはそれを避けるだろう。他社と同じ情報、同じ記事、同じ映像をいくら並べようと、全く評価はされない。他社と違う切り口、異なったものの見方を提示してこそ、初めて一人前のジャーナリストとしての存在価値が認められるのだ。

同著、p170,171頁

上杉氏は、独自の観点の発掘と報道こそがジャーナリストの仕事だというのが世界の報道の常識であるにも関わらず、日本の新聞記者は「同じような記事を並べることが、記者の仕事だと勘違いしているかのようだ」と語るのだが──私の皇室報道に対する不気味な感情と苛立ちを表現するのに、これ以上の言葉はない。

だって……再掲。

讀賣新聞
毎日新聞

……言い回し以外の、本質的な差分を探すのが難しいくらいだ。

ネタ元・ネットな記者のアシストを匿名の無報酬でして、そのネタ自体が知られたら、幸せか?

で、こういう時ほど、メディアに直接書きたい……と思うのである。なんでかって、これは「思想の価値」ではなく、どうみても情報の価値だから。

報道英語でUncover the storyと言うけれど、それは何かに覆われているものを払う仕事なわけで。表現の個性じゃなく、ドットをつないでどんな線を引くかの「点の見つけ方」に独自性があるものって、それはすごくジャーナリスティックな仕事だから。そして、それが二番煎じの焼き直しか、世の中で一番最初にそれをまとめて表に出したかって、あまりに大きな違い。なぜなら誰も見つけてこなかったその「点」は、一度言及されれば、空気に触れて酸化するように、ただの「情報の価値」へと変わっていってしまうから。だからこそどこで初出だったかってことが大事なわけで。

良識なきメディアに搾取される格好の素材

ところで、先ほどの妄想報道事例において、私はそこに、Appendixを含めてなぜそのように解釈するに至ったか、根拠となる情報源(多くはオフィシャルな資料)を全てリンクさせる形で書いている(なぜなら、「〜です、ソースは私」では、何の説得力もなく、それだけがそれを事実と証明する方法であるからだ)。つまり、私は読んだ人が自ら、その真偽認定をすることが可能な状態で自分の解説を公開している、ということ。でも、それって、雑誌メディアレイヤーの怠惰な皇室御用ライターとか皇室ネタの企画アイディアを探してるコタツ記者にとっては、超いいネタ元でしかない。

とある1行を読んで、知らなかった、これは面白いと思う箇所があったら、ソース元をワンクリックし、確かな話だと確認をした上で、しれっと自分の記事の1行として入れる。あるいは宮内庁広報に「これってこういう理解であっていますか?」と直接確認し、確認の上に、「ソースはワイ」的な気持ちで同じことをする──人がいるとしよう。それは、10分かそこらでできることだろう。でも、何かの調べごとをしたことがある人ならわかると思うが、世の中という無限の場所で何の手がかりもないところから自分で筋道を考えて一つ一つの情報を洗い、何時間、時に何十時間とかけての読んだり調べたり探したりを繰り返した上に情報の取捨選択をし、最後「3分で人が理解できる文章」にまとめる仕事こそ・・が大変なのである。そして、本来は無からそれを耕すことこそをジャーナリズムというついてるソース辿って、すべて確認できる事実と認識し、その一部をしれっと転用することの代わりに)。

まあ、メディアがメディア然としてきちんと機能していれば、一般人のブログの方が斬新なこと書いてるなんて事態はないはずなんですけどね。

ないはずだけど、もしあるとしたら?ジャーナリストがジャーナリストとして機能していない社会においては、「思考の足跡を正当に公開してる個人のブログ」って、倫理観の低いプロ(コタツ記者、ネットライター)にいとも簡単に搾取される格好の素材。そんな社会にいたら、ジャーナリスティックな仕事(とそこに付随する労に付随する感情的なオーナーシップ)を守るためには雑誌メディアに自分の名前で寄稿するしかないんだなと思うようになる。

最初の解説をnoteで出した7月7日に、今ここで初めて書く情報の全部をもう知っていた。それらを1本目の解説に入れなかったのは、あまりにも情報価値が高すぎて、無料で書いてるnote一本で散らすにはあまりに勿体ないと思ったからである。

その頃、そのネタの大きさに対して、メディアにまともな解説はないも同然だった。だからこそ、今すぐじゃなくても、皇室報道の寄稿を積極的に載せている雑誌メディアの編集者と繋がった段階で、そこから出せばいいと思った。


でも、目の前のことに忙殺されたりして、半年の時間が流れた。相変わらず、世間にはまともな解説がない模様。

年末は、皇室特番があったみたいで、英国訪問のことを思い出し、私の解説noteをぜひ読んで欲しいとツイッターでシェアしてくれた方達がいて、その記事へのアクセスが再燃していた。半年経っても思い出してもらえたことが嬉しい一方で、「そのうち」「折を見て」と置き去りにし続けたことの大きさをまた知った。なんと記事を読んで今年一泣いたとポストしている人がいた、でも、こんなの、まだそれに対して言えることの、たかが1/4の情報量だよ……そう思って、今年こそさっさとこの情報を出さなくてはいけないと改めて思った。出さなくちゃいけない。でもどこで出そう。


2025年は、こんなジレンマからおさらばして、情報価値の高いことはメディアにスパッと載せられるようになりたい。自分の労力と時間が仕事のクレジットになる、そんな当たり前の健全な願いが守られるために、信頼できるウェブの皇室担当の編集者を見つける。それが書き分けていくということにつながると思うから。


Appendix:

▼国家元首に贈られた名誉法学博士号のリスト(オックスフォード大資料)

(日本をピンク、それ以外の国家で夫妻ともに授与された国をブルーでマーク)

※「世界でも稀」の根拠は、戦後、“現役の国家元首として”夫婦揃って授与者となったのは、英国エリザベス女王・フィリップ王配(1948,1964)・スペインのカルロス前国王・ソフィア王妃(1986,1989)以来である為。2016年にはビル・クリントンとヒラリー・クリントンが、史上3組目の「夫婦揃って同大学の名誉法学博士号を授与された公人」となったが(1994,2016)、2016年には国家元首の立場からは退いていたことから、「現役の国家元首として夫婦揃って同大学から名誉法学博士号を授与されたのは、天皇皇后両陛下が世界でも3例目」(なお世界には196の国がある)。あるいは「夫婦揃って同大学の名誉法学博士号を授与された国家首脳級の公人は世界でも有数で、日本以外では英・米・西のみ」の表現が適切。

なお本記事は、オックスフォード大学への継続的な取材交渉の上に得られた情報を含みます。内容を引用される際は、名前を正しくクレジットした上にてお願いします。

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