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スーパー帰国子女雅子さま水準についていく純ジャパ還暦の天皇陛下は普通にすごい
このタイトルで、いつか書こうと思っていたnote!!!
前回noteで、内向きな大人(客観的に日本の現状を認識せず、“選ばれる国ニッポン”の心地よいナラティブと近隣アジア諸国よりも日本は洗練された存在であるという耳障りの良い言葉を流布する大人)こそが、内向きな若者を育てているんじゃー、と書いた。
ところで私は、内向きな大人と、そうではない大人を包含する誰もが知っている日本の組織をひとつ思いつく。皇室である。
外向きな──つまり国際感覚を持ち、ひらけた姿勢を持つ──筆頭格、それは天皇陛下である。令和の。
平成最後の年、 まだ皇太子であった2018年にフランスを訪れた皇太子殿下は、数分間にわたる全文フランス語でスピーチを行った。
このさらりとした事象は、結構度肝を抜くすごさに満ちている。
(以下のAP通信の3'11〜3'58秒で、結構な尺のスピーチが聴けます!↓)
英国では英語、パリでは仏語でスピーチをする還暦の天皇陛下
雅子さまは、外交官である父親の都合でモスクワやニューヨークで育ち、途中日本での生活経験を持ちつつも高校時代から再びマサチューセッツ→ハーバードと、生粋のマルチリンガル。究極のサラブレッドのスーパー帰国子女である。(その背景を以ってしてでも日英仏露独の語学に明るいというのはお化け的ではあるが)
外国語とは、幼少期に舌に馴染んだものと大人になって語学習得の魔法期を抜けてから、意識的に習得したものでは、大変残酷ながら、それを使わなくなった場合の『剥がれ方』が違う。
雅子さまの英語は、その背景から、一生剥がれない質のもの(もちろん自身がベーシックな研鑽を積み続ければという但し書きはつくが、英語に関しては維持は大変ではないはず)。他方、天皇陛下の英語というのは、主に大学卒業後のオックスフォード留学期に形成されたもの(22歳〜24歳という時期に育まれたもの)であることを考えると、それは残酷だが、「使わなければ、自然と褪せる語学力」に属すると言える。
そう、留学経験者・帰国子女・英語話者〜バイリンガルと括られるグループのなかにも語学習熟度という階段はもちろん存在し、その頂点にいるのが雅子さま。そこに、攻める日本人で、直系の皇位継承者として初めて海外で学位を志したという勇者であり、努力型の日本人の代表である天皇陛下が共存しているという構図である。
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スクリプトを見ながらの英語朗読スピーチはできて当たり前
ところで、半年以上から年単位の海外留学とは、普通の──ごくごく『一般』の──日本人には経験することのできない例外的な教育機会であるのが実であり、海外で学位を取る留学をした者としては、「原稿を見ながらであれば」、一生その言語でスピーチをできるのは当然のことだ。読み上げ形式ならね。
スクリプトを読み上げる朗読形式のスピーチは、学位を取る難易度の英語(日々プレゼンをこなし、今日もいいお天気ですね以上のディスカッションをする)から鑑みたら、滑り台を落下する如く易化したところにあるものだからである。そう、オックスフォードを卒業した天皇陛下が国際的な場で常に英語でスピーチをするということ自体は、自然なことというか、普通なこと。
しかしながら、天皇陛下の凄さはそんなところにあるのではない。
そう、2018年に全文フランス語でスピーチをしたということの方である。
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あれが漢気でなかったらなんなのだ
スピーチというのは、自分の声を耳で聴きながらするもの。だから自分の声が震えているのを感じると緊張してしまうし、「お、悪くないじゃない」という音声を耳から認識すると落ち着くし、その音声の出来を自分が聴き手として判断しながらする性質のものである。つまり、ある程度のフランス語を習熟していないと、たとえそれが朗読であっても、怖くてできない。少なくとも、
France Madame la Présidente de l’Assemblée nationale, Mesdames et Messieurs les députés, Tout d’abord, je vous remercie infiniment de la sympathie et de la solidarité que vous venez de témoigner à mon égard et au peuple japonais.
が、
ビュロー=ボナール国民議会副議長,御列席の皆様。初めに,私と日本国民に対して示していただいた,親愛と連帯の情に心から感謝します。
という意味であると自分自身が実感を持って理解でき、自信を持てるレベルにいないと、これをフランス語で朗読しようとは絶対に思えない。
だって、世界のカメラの前で、ですよ……。誰だって発音を揶揄されたり、「〜〜が、〇〇に聞こえる」だとか、言われたくないじゃないですか。
そう、ここで、天皇陛下のバックグラウンド的に英語でスピーチしたら、別に「普通」なんですよ。国際共通語で、こういうところに出てくるフランス人、これくらいの英語、普通にわかりますから、自分にとってコンフォートゾーンの言語でやろうと思ったら、英語を選択するはず。それだってマナーとして悪くない。
が、しかし。攻める天皇陛下は、なんと全文フランス語を選択。
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わかりますか?スピーチの報道の時間帯が2状況分ありますね。ベルサイユ宮殿で一回(夜)、下院の副議長らに向けた昼間で、もう一回。これは昼と夜の別の状況下で、2回、どちらもフランス語でスピーチしたということになりますが、
これって、すっごい精神ですよ。
だって、世界中のカメラが回ってるところで、しなくてもいいリスクをとり、自分にとって難しいことを選択しているんですよ!!!!
ちなみにこの時(2017年)は雅子さまは同行されておらず、皇太子殿下お一人での訪問であった。ニュースの懇談映像を見ると、結構大人数が列席し、こういう場に元外交官で、二十代にして大臣の通訳を務めていた雅子さまがいたらどれほどやりやすいし、心強いか……と思う場面ですよね。
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でも、雅子さまは行けない。体調上難しかったのか、雅子さまが目立つことをすると嫌がる誰かがいたから行かせてもらえなかったかは知らないが、この年はマレーシア、デンマークと2回海外訪問の機会がありながらも、どちらも皇太子さまお一人での訪問だったという。
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(BILLED-BLADET Magazine)
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こほん、落ち着いて。
ところでこの皇太子殿下がフランスでされたスピーチ、ちょっとこのスピーチライターはすごいな思うほど文学的に美しいのですね。
「……開催いただいたことに感謝いたします。また,この初秋のフランスを照らす,優しく,柔らかな日差しのような,議長からの温かい歓迎の御挨拶に御礼申し上げます」
「……パリを始め,ボルドー,サンマロ,今回も訪れたリヨン,さらには,多くの古城で知られるロワールや,陽光あふれるプロヴァンスなどのフランス各地を訪れ,春先の美しい自然や,芸術,人々の生活に触れることができました」
「……長い歴史の中で両国民が、まさに絹を紡ぐようにして織りなしてきた強固な友好関係を実感しています」
「……両国の国民の間にある『響き合う魂』が,この先も両国をつなぐ心の架け橋として一層強くなることを願って。」
この、情景が浮かぶ感じ、ただの「感謝」「自然」「友好関係」というともすればありきたりな単語にかけられている言葉の形容詞へのこだわり、わかりますか?
この詩的な細部の美しさに気づいたのは、スピーチが全文3分間程度だったという報道と8分間だったという報道があって、それって結構違う話なんだけどと気になってしまった私は全文自分で音読して時間を測ってみることにしたからだったのだが(暇?)、いや、ほんとこれ、「声に出して読みたい日本語」。
“この初秋のフランスを照らす,優しく,柔らかな日差しのような,議長からの温かい歓迎”に、“陽光あふれるプロヴァンス、響き合う魂”って、トラベルガイドブック丸パクリしてもこの格調にはならないわ。これぞ滝クリの「お・も・て・な・し」の心ならぬ、「ご・ほ・う・も・ん」の品格だわ。
詩的な感性と光る表現、相手の立場に立った想像力は、かつて「このスピーチを草稿したのは誰?」と外務官僚時代に聞かれたという逸話を持つ人と考えたのだろうな、ということがしのばれる。
で、フランス語に明るくない私でも、発音がとてもちゃんとしたフランス語だなということくらいはわかるんですね。“ジェクスプリーヴ ブヌヴォ”(?)の力強い低音で始まるフランス語、すっごいいかっこいい。わ、ちょっとフランス語……勉強しようかしら……などと思うほど。
フランス在住の作家辻仁成は、この晩餐会にゲストとして招かれていた立場として、誰にでもわかりやすい噛み砕かれたフランス語で、日本とフランス両国の建設的な未来を願われた、素晴らしいスピーチだったと賞賛。どこの誰だか知らないYoutuberは、ワォ、日本の皇太子のフランス語、ウィリアム王子のフランス語よりいいじゃん!とコメント。どうもな!
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そう、この全文フランス語スピーチは渡仏前に雅子さまと猛練習されたもので、雅子さま、愛のサポート!的な週刊誌報道がちょこちょこがあるのだが、なんというか、そういう報道を聞かずとも……想像できますよね。
そう、この皇太子殿下の勇敢な行動が映し出すもの。それは、どう考えても、ここにはいない雅子さま。
妻はここに来れないけれど、いつも陛下が言ってる、「雅子とともに」ってやつ。
きっと誰よりも、自分がもらった妻の素晴らしさをわかっているのでしょう。
妻の能力を閉じ込めず、それが輝くわずかな雲の合間を逃さず、自分がしっかりアピールしてくる、というのですかね……アピールって、「見て見て」じゃなくて、堂々と全身で表現してくる。その覚悟と妻への敬愛(あと生きる姿勢としての自然な協調ですかね)がなければ、こんな大変なこと……できないと思う。
だって。別に海外に行って、日本語がわからない聴衆相手に、日本語でスピーチをするというとことん内向きなことをやる人も、いますから。
Who? 岸田さん、安倍さん。
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USCに2年も留学したのにな
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日本の総理スタンダードを軽く超えていく天皇陛下
彼らはココイチのスピーチは英語で必死にやったが(例:“2024年 岸田首相 米議会演説 / 2015年安倍総理演説『希望の同盟へ』)、ココイチ以外のスピーチは、平気で日本語でする(笑)。でも、それが日本の政治家のスタンダードなんですよ。
でもですね。海外でする母国語(日本語)のスピーチって、本当に会場の聴衆的には白けてしまうものなんですよ……。それはかつて安倍首相がアメリカで日本語でスピーチをした場に居合わせ、しばらく日本語で喋る(その間聴衆は、聞いているポーズを取りつつも「?」と思っている)→通訳が訳す(聴衆、ようやく理解)→しばらく日本語で喋る(聴衆にはまたブランク)というゴテゴテ方式は国際的な場ではあまりにイケてないな、を痛感したからなのだけど。(それについて詳しく書いたnoteはこちら)
だって、その安倍首相が朗々と日本語を読み上げる間、真面目な顔して聞いてるオバマ大統領や周辺にいる米軍の人たちの頭の中は、「?」なのだから……。
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ロシアの侵攻に対して、日本の国会でスピーチしたゼレンスキー大統領だって、逐次通訳なんか入れてない。死ぬほど緊張したと思うが、あの通訳さん、ちゃんと全部同時通訳で聴衆が白けないように言葉を追っている。そうじゃないと、「?」モーメントを挟みまくるスピーチなんて相手に伝わらないからしょうがない。その意味で安倍さんは本当にヤドカリ型のリーダー(どこに行っても日本の殻をかぶって移動する)だったなって、思うんだけど。
その意味では、ジョンズホプキンス大では逐次通訳を入れるという自己満足路線はハナから放棄し、40分間(長いしね)同時通訳をかけしてもらいながら、日本語でひたすら話し続けた岸田さんは……まあ相手目線では親切ですよ。(イケてるか?と言われるとイケてはいないが)
ちなみに、そのスピーチ、「ワシントンの1大学でしたんでしょ?さほど大切なものじゃないよね」てなこともなくてですね。国際的に重要な外交メッセージを発したと報じられるものであることは補足しておきます!笑
“……注目は首脳会談に集まり、演説に関しては小さなニュースとして扱う報道がほとんどだった。だが、SAISでの演説は、首脳会談に負けずとも劣らぬ意味を持つメッセージが込められていた”
天皇陛下は純ジャパだからこそ凄い
ところで、日本の英語話者の間では、 「純ジャパ」という言葉が存在するんですね。インターナショナルスクール育ち・帰国子女というごくごく普通の日本人とは違う育ちの血が当たり前に混ざり合うところ(ICUとか外資系企業とかそういうところ)で言語的なバックグラウンドを表象する言葉で、
・インターナショナルスクール育ち
→ああ英語ネイティブ同様ね。当たり前ね
・帰国子女
→ああ英語喋りやすい環境にいた人ね。
・純ジャパ
→純粋な日本人育ち。完全に日本の『普通教育』の中で育ち、自分の意思で(主に成長しきってから)英語を身につけた人。だからインター育ちや帰国子女に比べ、しんどいし時に不恰好。
みたいな。私の親世代にはまず通じないコトバなのであえて書いたが、これらは「言語・文化的な育ち」(形成の過程の経験)を表象する言葉で、例えば、生粋の日本人の両親の元に生まれ、日本の一般的な義務教育を経て大学教育までを日本で収め、22歳から大学院に留学して10年アメリカにいたとしても、その人の自己認識は、「元純ジャパの私」。これに対して、本当の純ジャパと言えない人(自分が英語を忘れただけで親の駐在で小学校の頃海外に数年いましたetc)が、「純ジャパだった私が成し遂げたミラクルストーリー」的な打ち出し方で本とか書くと、詐欺でしょ!!!!と本当の純ジャパの人はキレるという構図。
純ジャパというのはあまり品のいい形容詞ではないけれど、客観的に言えば、天皇陛下は純ジャパである。
だからこそ、「持っているもの」に対して、「やっていること」が凄いんですよ。自分のコンフォートゾーンに小さくまとまる代わりに、スーパー帰国子女・マルチリンガルの雅子さまスタンダードについていく、純ジャパ還暦の天皇陛下は本当に凄い。
だって。天皇陛下の留学って、40年前なのだよ?定年前後の会社員、40年前の大学院留学で、たまに海外出張に行けどもその後ずっと日本にいて、英語飛び越してフランス語で、全世界のカメラの前でスピーチするballsのあるおじさま、どれくらいいる???
器とは、を体現する天皇陛下
そう。これは「内向き」とは真逆の精神。
私は、「器が小さい」とは、挑戦を選ばず常に安全安泰ゾーンに常にいるような人のことをそう思う、のですね。で、お山の大将ほど、不慣れでカッコ悪くみえる可能性があるチャレンジに自分を晒しはしないのです。でも、余裕で一定の自信が持てる英語を選ばず、自分にとってのより壁の高い言語で全世界の前で堂々とスピーチをするって、まさに挑戦し続ける大人の象徴。その姿勢そのものが国際親善の場で友好を高め、様々な相手に対してモードチェンジを行える器量であり能力でもあって、それはハナから(心が)「内向きな人」には身につかないもの。
というわけで、令和の天皇陛下は、この内向きな日本社会で内向きではない大人の代表でした。
▼懐かしのプレゼン
▼天皇皇后両陛下の英王室訪問を解説したnoteはこちら。
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