金で他人に論文を書かせる天皇。秋篠宮家より前にそれを始めた人がいた
秋篠宮家のご長男が(あるいは母である紀子さんが)東大への推薦入学を熱望し、その実績づくりとして悠仁さんが筆頭著者とする共同論文を学者と執筆、今夏に国際学会で発表を行うということに対し、「それってズルじゃね?」「倫理的に許されるの?」と疑問が紛糾しているが、今回に限っては不思議と腹もあまり立たないというのは、秋篠宮家のあまりに醜い所業の数々に呆れる底が抜けてしまっているからだろうか。
それに比べて、令和の天皇皇后両陛下は自己研鑽の大切さを体現してくれるな。と英国訪問でのお姿に感動し、ところで現地の報道ではどんな風に解釈されているのだろうと久々に英語のネットニュースを読んでいたら、ふと不思議な一節が目に入った。
へぇ。雅子さまを選んだところだけで、女性を見る目がすごく先進的なお人だったのだと感じてきてはいたけれど、こんなに自分で切り開いていくタイプのお人だったのか。テレビ越しに見るイメージではいつも穏やかな感じがして、新しさというのは日本のメディアでは聴きなれない言葉であることに新鮮味を感じつつ、一方で、あれ?でもこれすごくいい加減じゃない?とその情報の信ぴょう性に何かが違うような不信感を覚えた。
だって、上皇って、なんかニュースでしょっちゅうハゼの研究がどうだの、研究者としての顔だの、世界的な研究者だの、言われてなかったっけ。
研究者になろうと思ったことがない人にはもしかして縁遠い概念かもしれないから補足するが、大学教育は、学部(4年)→修士(2年)→博士課程(3〜7年と幅がある)と階段状に上がり、博士号を取得した後にようやく、研究者(researcher)と呼ばれるようになる。そう、学術の世界で公的に「研究者」と呼ばれるのは、博士号を取得したあと、のこと。学部1年から数えたら、約10年後のことだ。
「世界的な研究者」の息子が、なんで初めての大卒の天皇?
……いい加減な記事だなぁ。
そう思いながら、さらに色々と記事を読んでいたら、偶然こんなweb記事を見かけた。
上皇陛下の最終学歴は、大学中退だった
「秋篠宮家は、なぜここまで学歴にこだわるのか?祖父・明仁上皇は、学習院大を潔く中退したのに」という小見出しとともにある記事は、上皇の行動は、学習院には長年のご学友もいて、その関係を非常に大切にされたからであると書くのだが、えっ!!!!と、いろんな意味で、衝撃だった。
(ってか、いい時代だったんですね……半年間14カ国の外遊って、そんな時代の皇太子妃が雅子さまだったら、凄かったでしょう、それは。)
って、違う違う。そっちじゃなくて、本当に大学中退してたんだ、っつーほうです。
でも私は、この時上皇陛下に、人生で初めての好感を持った。
平成時代の皇室は、当時10代20代だった私の目には、魅力のかけらもなかった。シマリスみたいなおじいさんが、自動音声読み上げ機みたいに何かを読み上げで、蚊の鳴くようなばあさんが、その後ろでこくりこくりとうなづく。ニュースでは、何が特別なのかわからない、自分と同じような大学に通っているお嬢さんのことがなぜか様付けで呼ばれるが、なぜそう呼ばなくちゃいけないんだろうか?(秋篠宮家の娘さんは同世代だった)
それが平成皇室のイメージだったけど、その中心にいた上皇のイメージが少し変わった、ような。学習院は特別扱いしてくれないからさっぱり中退し、でも友情を大切にしたかったから聴講生としてたまに通学し、卒業式には来賓として出席なんて、なんか気持ちがいいじゃん。
でもその印象は、もう一度、反転した。
***
さらにスマホの画面をめくる私の指先が、止まった。
“上皇さまが新種のハゼ発見 世界も認める研究の玄人”というテレ朝のニュースだった。
宮内庁担当の油田隼武記者は、京大の中坊徹次名誉教授との会話を引用しながら、
“ご公務の傍らで魚類の研究を続けられていると聞いても「趣味の類だろう」と思うかもしれない。しかし取材を進めると…(中略)……学者として一流である上皇さまのお姿が見えてくる。” と報じる。
毎日新聞も、「天皇陛下 研究者としての歩み」という記事で、
“30日に退位される天皇陛下は、緻密な論文で国内外から高い評価を受けている科学者でもある。…(中略)…陛下が著者や共著者となった論文は、皇太子時代を含め33本あり……”と報道。
「世界的な研究者」と連呼される人物の学歴が、文系の学部中退の訳が無くて、「二人いるんですか?平成の天皇って???」と思いたくなるほど、焦点を結び合わない二つの人物像に、私は深夜に頭がくらくらしてきた。
理解しようと各種新聞社の過去報道や宮内庁のホームページをたどると、以下の事柄が確認できた。
学習院大政経学部政治学科から学部2年めあたりで中退(1953〜4年)していることは事実(昭和天皇を扱う複数の書籍からも確認できた)
(宮内庁の「経歴」には“昭和31年 学習院大学教育ご終了”と書いてあるけれど。一般にご終了って、聴講生として出席しましたではなく、学位取得の要件を満たし、そう認定されたことを言うのだけれどね?とそれはここでは主題ではない為すっ飛ばすが)
ご成婚を経て、あるときハゼ科魚類の肩胛骨についての論文を学会誌に発表(1963年)
その後計33本の論文を発表し、最終学歴は大学中退のまま、上皇は「魚類の一流の研究者」「魚類の世界的な学者」と呼ばれるようになる。ロイヤル・マジック!
なお、1974年以降に書いた27本の論文はそのすべてが学者との共著だが、筆頭著者は、たった一本をのぞき、すべてが上皇「Akihito」となっている──。
……ミステリー小説か。
と茶化してみるが、そこに、真剣に、一つの疑問が生じる。
上皇はどのように、「世界的な研究者」と呼ばれることのできる、あるいはベテランの生物学者と対等に議論を行い、研究をリードする能力を身につけたのか、ということである。共同論文の「筆者の表記の順番」とは極めて重要な(また神聖な)ものであり、ファーストオーサーと言われる「最初に名前が載る人物」は、その論文に対し、併記される研究者のなかでも最も高い貢献をした者を意味するからだ。
あっさりした答えは、「公務が多忙だったので、理系の大学に入り直すことも、大学院に通うなんてこともしませんでした。自分のペースで公務の合間に学者を御所に招いてご進講を受け、知識を学びました」だろうか。
二つ目の解釈は、「理系の学部にわざわざ入学し直すなんて、バカらしい。学部レベル未満の生物への関心で趣味的に観察をし、御用学者に研究としてまとめさせ、ゴースト研究者を論文執筆プロダクションメーカーとして何人か抱えていました。そうすることで、公務する傍ら、箔がつくでしょ。そうしてスウェーデンの大学から、名誉博士号ももらいました」。
はじめて浮かび上がる可能性に、背筋がうっすら寒くなった。
ずっと続いてきたこと
そうか。悠仁さんのあれやこれやは、秋篠宮家がはじめたことじゃ、なかったのか。。。
「誰か一人が(というか秋篠宮家が)好き勝手やっている」より、そういう行為が特権の名の下に受け継がれていると感じる方が、はるかに気色が悪い気がした。
人を金と権力で飼い慣らし、他人の知識や努力、手柄を我がものにして吸い上げ、自分を世界的な学者と呼ばせてニタニタ笑っていることは、異常なほどグロテスクなものに思える。
それが『真実』だとしたらば。
もちろん、「上皇陛下は天才的で、天皇陛下としての公務をフルタイムで務めながら、寸暇を惜しんで研究に精を出し、独学(とご進講)で身につけた知識で論文を書き続けたのである」という解釈も存在し得る、かもしれない。しかし、論文とはアイディアのことではない。圧倒的な時間の献身がなくては、いかなる天才的なインスピレーションも、「証明」されることはないからだ。アイディアの発散は「筆頭著者」ではない。
上皇より年上の世界的な物理学者・小柴教授は、1年8ヶ月で博士号を取得した
そして、上皇陛下のしたことは、一つの倫理的な矛盾を孕む。もし公務の間に論文を書き続けるほど研究へのリスペクトが高かったとしたらば、なぜその世界のドライバーズライセンスにあたる博士号の習得を、しなくても構わないと判断したのだろうか(軽視したのだろうか)。
公務の合間に世界的な研究を筆頭著者として何本もできてしまうほど優秀であれば、公務の合間に博論を仕上げ、自らの専門性と一人前の研究者としての証明である博士号を取得するということは、さほど非現実的なことではないだろう。事実、2002年にノーベル物理賞を受賞し、『世界的な学者』である東京大学特別名誉教授の小柴昌俊氏は、なんと一年八ヶ月で博士号を取得したという。(2020年読売新聞)
そのプロセスをスキップすることで、「自分が社会的な常識の外にあり、ありえないほど特別扱いされている」と感じないのであれば、それは学術の社会に対する理解が不足しすぎている。なぜなら論文を学芸誌投稿すること自体、一般的に言って、高卒では叶わないからだ。
「論文デビュー」するために、一般人がどれだけの道に時間とお金(学費)を投じなければならないか。「特別扱いをしないように」と折に触れて上皇后美智子さまがおっしゃっていたというが、特殊教育を特殊ルートで身につければ僕はマイウェイで構わないでしょうという行動は、その精神の対極ではないのか。
秋篠宮家のご長男のあれこれと、上皇陛下の足跡。
私はそのふたつは本質的には同じことに思える。
御用掛学者の製造した自然科学の論文を上皇の名前で出し続け、「世界的な研究者」とメディアに呼ばせるのも。
プライドのない学者を金で買って、皇族の高校生と「共同で」論文書いて、筆頭著者だけ高校生がもらってその実績で推薦で東大に入ろうとするのも。
***
なんでこんなことに気づいちゃったのだろうと薄ら寒い気持ちで、上皇と研究の関わりをもう少し調べてみた私は、学術誌に掲載された、ある講演記録にぶつかった。
趣味がバードウォッチングなのか、鳥類の研究者なのか
「皇室と生物学研究」という講演記録だ。東京水産大学の名誉教授だという多紀保彦教授は、「周知のように,今上陛下はハゼ類のご研究で知られた世界的な魚類学者で」と書き出し、終盤では、「天皇家の第 3 子にして長女であらせられる黒田清子さま(紀宮清子内親王)は鳥類の研究者である。」という。
へえ、平成の天皇一家ってみんな自然科学が好きなんだと思って読み進めたら、なんと清子さんは、文学部だった。
──“学習院の文学部を卒業後、1992年から山階鳥類研究所非常勤研究助手、1998年より非常勤研究員になり、週2回の勤務で、『日本動物大百科』(平凡社、1997年)のカワセミの項目を執筆した。”
続く一文は、「山階鳥類研究所に就職したのは、清子内親王が鳥類の観察をライフワークとしていたからであった。」
……絶句した。
文学部卒で、非常勤の研究助手を細々と6年やり、週2回の勤務で「百科事典のカワセミの項目」を執筆したら、「鳥類の研究者」。(!!!!!)
この方達は、趣味と研究(仕事としての)の違いをご存知なのだろうか。
生涯を持って楽しめる「趣味」を、ライフワークと読むのだろうか?
敬意を持つことと、歯の浮くような美辞麗句を並べることは違う。
報道記者も、皇室ジャーナリストも、研究者も、言葉を産む人はその使い方を問いながら言葉を綴る責任がある。