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【2】日本には社会運動の批評家・評論家はいないのだなと思った日
(からの続き)
アンサー言論がない日本の不思議
そう、日本は批評とジャーナリズムが薄い。数年間、漠然と日に日に濃くしてきたその気持ちを一段と濃くしたのが、ある署名運動事件だった。
皇族が東大の推薦入試を利用し、将来の天皇として「特別扱い」で入学することを反対する署名である。
2024年の8月に始まったその署名は、8を超えるメディア(プレジデントオンライン、文春、新潮、Abema Prime、TBS、女性週刊誌等)に取り上げられたため、広く知られることとなった。しかし、その取り上げられ方はいずれも摩訶不思議なもので、報じる側のレベルを露呈するものであった。
署名呼びかけの文章は、2万字に迫る長さの文章であったのだが、その長い論証の主眼は、悠仁論文の信頼性──つまりはどこの大学を志望しようと推薦入学の材料に使うと有力視されている──に疑問を呈するところにある。言葉を選ばずに言えば、それを徹底的に毀損する証明をするところにあるわけだが、一見容赦なく見えるそれは「イチャモン」ではなく、本来論文とは、「そういうもの」であるためだ。ある研究のリミテーションやバイアスを問う議論に晒されるものであり、マナーを踏まえた正面からの指摘自体は何も悪いことではない。そして、ある見方に対して、別の意見が別の学者の解釈として上がるのも、自然なこと。
そう、だから当然、擁護意見(記事)は出ると思ったんですよ。だって、「無言」はむしろ、この指摘はすべて正しく、反論の余地がない、ということだから。
黙して語らずはエリザベス女王のポリシーだったと言いますが──この署名文、8以上の全国放送を含むメディアで取り上げられ、ネットでもバズりまくってたんですよ(それはこちらをご参照)。それって学術的な見地から一方的に言われてるだけでは、あまりに不名誉じゃないですか。普通、言い返せる余地があるならお抱え生物学者さんにどっかのメディアで擁護してもらうやろ。
でも、私は今日に至るまで、その本質に対する「アンサー言論」が、生物学者の口から語られたものを見たことがない。アンサー言論どころか、提起されている議論の中身にはろくに触れず、主張とは全然違うところで、識者?の「考え」を展開し合うメディアの空疎さ。。。ここに、まず第一の主張があるじゃん。それをろくに読み解かずして、その上にどんな議論が重なっていく?ちょっとご紹介しますわ。
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「仮に報道のとおり悠仁さまが東大への推薦入学を希望されているとして、名門校の学内では推薦を受けるのも高いハードルがあり、そのために論文執筆など努力を重ねて何が悪いのか。ネット上で匿名参加できるのをいいことに騒ぎ立てる行為はあまりに悪質ではないか」
(大学ジャーナリスト 石渡嶺司氏)
なるほど!論文書くな!って主張だとお思いになったのかしら?
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「悠仁親王殿下は一般の人と違い、特別なお立場の方です。一般の人のように学歴社会を生きていかれるわけではありませんから、東大進学が不公平だという認識自体がずれています。……(中略)……大学側が、“一般枠とは別に特別に入学を認めました”という対応をとっても問題はないでしょう」
(元宮内庁職員・皇室解説者 山下晋司氏)
誰にとって「不公平」って話をしてると思っていらっしゃるのでしょう。認識がズレているらしいが、悠仁親王殿下にとって「不公平かどうか」?笑 悠仁親王殿下の進学によって、影響を食らうことが不可避の一般国民にとって、その行動がフェアなものですか?って話だと思うんだけどな。大丈夫かな。
それから、親王殿下は一般社会に出るわけじゃないのですからオールオッケーだしょ!的なまとめ方だが、(望むとも望まずとも、大なり小なりの)学歴社会を生きていかねばならないのは親王じゃなくて国民の側で、その入学によって国民の側に発生する逸失利益の問題を署名文は言っていたと思うんだけど。
もっとすごいのもありますよ!!!(週刊誌だけじゃないから見て!)
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この方は、要は「皇族特権を使って東大の推薦枠に入る(ことがズルい)」という考え方を「陰謀論」と捉え、
秋篠宮家が「皇室特権」を使って悠仁さまを東京大学へねじ込もうとしている――。ちょっと前、ネットやSNSで拡散された、いわゆる「陰謀論」のひとつだ。……(中略)……署名騒動後、この「陰謀論」は収束した。「根も葉もない憶測だけで受験生を追いつめるのはいかがなものか」「東大の推薦入試はそんな甘いもんじゃない。大学受験をしたことがない人がイメージだけで騒いでいるのでは?」などの批判が寄せられたのだ。
(ノンフィクションライター・窪田順生氏)
とおっしゃいます。まあ、陰謀論も幅が広いですけどぉ・・・手心つけてもらっての優遇入学説を陰謀論と呼称するのは、ちょっと・・・・・・ちっさくね?
あーーーー第12回小学館ノンフィクション大賞(優秀賞)が……泣いちゃう。
最高に噛み合わない議論はつづく
一方、プレジデントオンラインには、こんな優美な口調の論考が。
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学習院出身の私は思います。東大推薦入学を狙うより、海外の名門大学を目指されたほうがよろしいのでは、と。
……(中略)……つらつらと書いて参りましたが、申し上げたいのは、悠仁さまには東大ではなく、海外の大学を目指されるという選択肢もおありではないか、ということです。
……(中略)……もしかしたら海外の大学の方が「入り易い」という側面があるかもしれません。「海外の大学入試の方が、学力そのものより個人の成果を見てくれる。“未来の天皇”である悠仁さまならば、どこでも入れるのでは」(米アイビーリーグ大学の卒業生)といった見方もあります。私が客員研究員として在籍していた米コロンビア大学には「世界各国の王族や有力者、政治家の子女が在籍している」という未確認の噂がたくさんありました。ですから、この卒業生の言うことも一理あるのかもしれません。
(昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員 / 藤澤志穂子 氏)
そこの卒業生として申し上げます。王族や政治家の子女・子息には出会いますが、そういう大学(ここでご進言されているアイビーリーグの大学)に学位留学するには、英語の運用能力試験TOEFLで100点が提出を求められる書類の一つとして必要で(120満点の結構な鬼試験でございます。彬子女王もそれが辛かったと回顧されているように)、TOEFL100点がどんな点数かというと、「東大の推薦入試で、英語を実績とした場合に求められるスコア」でございます。ぜひ一度、出願要綱をご確認くださいませ。
などなど、なんか、発射台となった署名文章の主張をろくに読解もせんと、それをフックに上滑りする議論珍論の数々。もうジャングルだよ。ジャングル。
ショートケーキの上のクリームをすくって投げ合う、ケーキの中身になんて興味はないメディアたち
不思議だったのは、署名について取り上げたほとんどのメディアが、その署名活動をどう要約して伝えたかである。どこもかしこも、一万筆以上、あるいは一万二千筆もの──という数的な定量性を報じる根拠として使っていたように見えたが、しかし、前提的に使われている「一万二千人の」「一万筆の」という定量数字って、実はあってないようなものでもあるからだ(ないとは言わないけれど、アツい思いを持っている人は3回くらい違うメールアドレスから署名くらいしたっておかしくはない)。
署名サイトのその運用の仕方については、すでに2019年に懐疑的な報道が上がっていたこともあり、普通にその辺りがつつかれるのかしら、と思っていたんですが・・・
でも、一筆の価値だとか、そんな根本的なところに立ち入るメディアなかった。アンサー言論どころか、提起されている議論の中身にはろくに触れず、主張とは全然違うところで、識者?の「考え」を展開し合うメディアの空疎さ。。。ここに、まず第一の主張があるじゃん。それをろくに読み解かずして、その上にどんな議論が重なっていく?
まあ、多分めんどかったんでしょうね、と思う(学術的なとこわかんないし、主張の中身を触るのは、誹謗中傷ワードもあるからむづい)。だから読み解きをする代わりに、定量的で割れないとこだけ使え。「一万二千筆」だァァァァ!!!!ってのが報じたメディアの方針だったんだと思うんだけど、それってみーんながそれやったら、報道の独自性なんてどこにもない、ほんとつまんない世の中だよね。てかゴシップじゃん、もう……。
もっと不思議だったのは、多くのメディアは、それを「いわれなき誹謗中傷」「悪質な署名」だと総括したがっているのに(例:「なぜ悠仁さまの「東大推薦入学反対騒動」の異常事態は起こったのか? 情報発信の少なさと膨れ上がった不信感が「高校生」を襲った」AERA)、その署名活動家らの最も悪質なところには微塵も触れなかった点である。
もし、彼らを「信用に値しない活動家達である」とレッテルを貼りたいのであれば、彼らが迫害自演で署名活動を終えたことをストレートに書けばいい、そんな虚言癖のある人たちのやってる怪しげな署名活動なんですよって言われたら、それだけで活動家の信頼なんて地に堕ちる。それだけなのに(不思議すぎ)、え、めんどくさかったの???
なぜそれが悪質かって、だって、Change.orgがいかに大手メディアに大々的に取り上げられ、どんな場所として認知を得てきたか、考えてもくださいよ。
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民主主義のあしたですって。デジタルデモクラシーですって。デジタルデモクラシーに圧力がかかったって話なのに、そのあたりには言及しないなんてまずいんじゃございませんの?私のデモクラシーが心配。
「何が」誹謗中傷かの啓蒙はメディアの仕事ではないと思っているらしい
ひたすら沈黙し続けるメディアには思った。どこが誹謗中傷性が高いか、弁護士に聞きにいって添削すればいいのに(具体的な改善要請箇所がchange側からは出てましたよね)。その上で攻撃性の抑制された署名文を掲載するウィットがあれば、言論の自由と人権に配慮した三方よしじゃん。字数気にしないで信濃川のような文章でも載せられるのがウェブメディアのアドバンテージなのに、そういうのやらないでさ、誹謗中傷を苦にして人が死んだ時に、「いのちの電話番号」を文末にコピペすることがメディアの仕事なんだろうか?
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耐えられなかった。その導火線に着火したように来る日も来る日もその署名に関連するネットニュースは量産されていくにも関わらず、大手新聞は黙殺を貫き、ファズでしかないから騒ぎが喧々囂々と繰り広げられる、その沈黙とまるで意味のない騒ぎの両方が。
まともに報じる角度も山積すれば、報じる理由も、こんなにあるのに──。
署名活動に興味を持ち、うっかり噛んでしまったからこそ見える光景が信じられなかった私は(私は署名活動家の言い分が事実なのか知りたくて署名サイト元に直接問い合わせをした)、この人なら関心を持ってくれるんじゃないかと思う在留外国人ジャーナリストに、この件に関して書いてもらえないか聞いてみた。終わり方がどうこうというよりも、もはやそれを通した日本のジャーナリズムの様態を書いて欲しかったのである。(特派員として自国のメディアにニュース送ってるだけじゃなく、東洋経済にも寄稿しているから、そのアウトレットでならありかなと。さすがに他国のメディア上で書いてもらえるとは思いませんけど・・・このネタの粒度で。)
残念ながら興味が持てないと丁寧なお断りをいただいたのだが、いや、あの、そういう時の依頼文って、尋常じゃなくらい情熱かけて書くもんなんで……返事が来ただけ良いという考え方もあるけれど、かけた想いの分果てしなく、脱力しそうになった。この人が書かないなら、日本のジャーナリストは誰も書かないわ、と思ったからだ。
しかし、こんなとこで諦めてもられないと、一度仕事で面識のあった薄い知り合いのダイヤモンドオンラインの編集部の人にも聞いてみた(その時はダイヤモンドは署名に関する記事を一切出していなかった頃)。そっちには日本のジャーナリズムを論じるなんて難しいことは期待してない、ただ少しでも報道の角度が多様化すればと思って、ダイヤモンドさんってあまり皇室報道するイメージないですが、今回はこれやらこれの切り口で、貴誌の読者も関心がある内容だと思うんですけど、というトーンで(ダイヤモンドって学歴とか学閥とか、好きでよくやってるじゃん、、、)。ちなみにその面識がある方の人に、私が皇室に関心があるとか言ったこと一度もないため非常に勇気が必要だったのだが、人はアドレナリンが出まくっていると日頃のためらいを乗り越えられるらしい。「その内容だとうちでは難しいですが、寄稿なら」と言われ、え、私が書くの?と意外な言葉に驚いた。
(皇室ネタで寄稿するって、神学か政治学系の大学教授くらいの肩書き必要そうじゃないですか……?そういう人がまともなこと言ってるかってあれですが)
そうか、だったら私が書こうと思ってこの原稿「アリストテレスの弁論術から紐解く、型破りな長文でも東大推薦反対署名が飛躍した理由」を書いた。
私がその媒体に突如文章を書くことに、どんな必然性を作れるんだろう、どんな切り口だったらビジネス誌の読者が興味持ってくれるのかな〜〜〜!!!と考え、私としてはその媒体的に「あり」な原稿を書いたつもりなんだけど、結果から言うと、寄稿ならというのは断りの社交辞令だったのだと思う。返事すらなかった。(さすがに滅入ったわ……)そのことは、このタイミングを絶対に逃したくないと(それは渦中のお方のお誕生日、9月6日の数日前だったんですよ……)他の仕事そっちのけで三日三晩くらいはかかりきりになっていた分くらいはリバースで脱力させ、私はすべてが虚しいとすら感じた。
なぜむなしいと思ったか。
プレジデントとかAERA、文藝春秋の皇室記事を読んで(これらって「週刊誌」じゃないはずだよね、、、文春は有名人のスキャンダルをすっぱ抜くメディアの代名詞に思われてるけど、評論で言えばすごい格の高い媒体なんだよ、、、)、解せなさを感じたことがある人は多いのではないだろうか。専門家という肩書きで、いかにも客観的な事実を述べている風にしながら、その実はその人のただの超主観に満ち溢れた文章、ど・ど・どう考えても事象の見誤りをしてございませんでしょうか、と言いたくなるような調子外れの文章、はあもう洋服の読み解きはいいよ、、、といいたくなるようなファッションに込めたお気持ち記事。どうしてそんなしょうもないものに発表の場があるのだろう?
その、苛立ちや違和感を感じる場所に、直接なにかを書けるようになったら、それって一番いいじゃん。なんで報じられないのか系のブログを書きつつ、これで気づいて報道しないのかなー、でもソースも全部記載して超親切だなぁ……とか悶々とすることも、それができるならないじゃん。そうだ、これはもしかしてすごいチャンスではないか!
そう思ってのスルーだったから、結構来たんだと思う。そんなダメだったのか〜って。で、そこからしばらく書けなかった。
学習性無力感というのは果てしなく人から気力を奪っていくものだと思うのだけど、そんな経緯があって、2ヶ月皇室に関して何かを書くことをやめていた(「紀子さまは国民の気持をわかってない──『ヒーローズジャーニー』から考える、皇族の人望」は、それより前に書いていたので気力を振り絞ってアップした)。でも今久しぶりに読んでたら、え、別にダメじゃないじゃん。と思えたので、捨てちゃうのももったいないし、ここで公開します!
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