やりたいことが見つからなくても大丈夫
やりたいことって皆あるものなの?
昔から好奇心旺盛だったわたしには「やりたいこと」がたくさんあった。
・踊るのって楽しい。だから将来はダンサーになるんだ!
・虫や両生類が大好きだ。もっと勉強して昆虫博士になろう!
・勉強して褒めてもらうのが好き。お医者さんになったらもっと褒めてもらえるかな?
こんな感じ。
ちょこっとやってみてはすぐに好きになって、のめり込んで、また違うものに興味がうつる。
母の話では、いくつ習い事に通わせて辞めることになったか覚えていないくらい、と言っていた。
小さい頃のわたしは、そのキラキラと輝く夢の種をたくさん抱えて、その時々のタイミングによって「〇〇になりたい」と思っていた。
そんな自分に衝撃を与えたのは、小学五年生の時に出会った同級生。
「わたしの将来の夢は建築家になることです」
"ケンチクカ"という言葉の響きもすごくカッコよかったし、何より彼女自身が夢を語る言葉にはとても強いパワーがあった。
建築家になりたい理由やどうやってなろうとしているのか、建築家になってどんなことをしていくのか。
そんなことを彼女自身の言葉で語られて、わたしはただひたすらに「かっこいい・・・」と思って憧れの眼差しを向けていた。
更にその彼女のかっこいいことには、その夢がぶれる気配が全然なかったこと。
多くの友達は、わたしと同じように将来なりたいものがコロコロ変わったし、なりたい職業について名前とイメージ以外のことを知らなかった。
それに対して、彼女の行動にはいつも一貫性があったし、時が経つにつれて夢がどんどん現実に近づいていっている感じがした。
そんな彼女と一緒に過ごす時間はとても楽しかったけれど、いつしかちょっと苦しく感じる瞬間が生まれだした。
「わたしには、そんな風に夢中になって追いかける夢がない」
「わたしのやりたいことなんて、学校が休みの日には何をしようかな?と思うのと同じくらいの熱量なんだ」
これまでは興味の対象がたくさんあることが嬉しかったのに、急に自分がつまらない人間に思えてしまった。
それなのに、周りの大人たちはいつも将来やりたいこと、なりたいものについて質問をしてくる。
「ない」なんて答えると心配されるのが分かっているので、その時々でウケそうな職業を答えたりしていた。
・・・苦しかった。
・・・・・・わたしにも、胸をはって答えられる夢があればいいのに。
高校時代に出会った世界
「将来の夢がないこと」に謎のコンプレックスを抱えていた高校生時代、友人の一人がとあるWEBサイトを教えてくれた。
それは、WEBページ上で謎解きが出来る類のもので、
例えば見た目は真っ白になっているページの端の方に、白い文字で暗号が書いてあり、そこをマウスでドラッグすると白い文字が見えて暗号が分かる、というような。
WEBページの動く仕組みをベースに問題が作られているので、問題を解こうと思うと必然HTMLやCSSといったWEBサイト構築用の言語に関する知識が必要になり、勉強すればするほどハマっていき、気づいたら自分でもWEBページを作ったりするようになっていた。
そうしてコンピュータの世界にのめり込むうち、高校三年生に進学し、いよいよ考えなければならない卒業後の進路。『システムエンジニア』という職業があることを知り、ついに自分の夢が見つかった!と思った。
憧れのシステムエンジニア……からの挫折
やっと見つかった「将来の夢」。
毎日が楽しくてどんな激務でも全然辛くなかった。
当然このままSE(システムエンジニア)としてのキャリアを積み上げていくのだとばかり思っていたのだが、予想とは全く異なり、入社6年目からめっちゃ長い(現在7年目)育休生活に入ることとなる。
かいつまんでお伝えすると、第一子の育休中に夫のアメリカ駐在が決まり、帯同することにしたので「働きたくても働けない」状態になってしまうのだ。
このあたりの話まですると長くなってしまうので、もし詳しく読みたーい!という奇特な方は、↓の記事を読んでもらえたら。
「将来の夢」を失くしたわたし
学生ビザで滞在しているのでアメリカで働くことはできないし、かといって在宅でプログラミングの仕事をするには時間が足りなさ過ぎた。
(子育て中って自由時間がほとんどないよ泣)
何とか今の状況で出来る働き方を模索した結果、在宅で出来るアパレル輸入ビジネスに出会うことになる。
ただ、最初の頃は
「でもこんなことやっててもSEのキャリアに関係がないなぁ」
なんて思って、今だけの副業という位置づけだった。
ただ、そこから、このビジネスを通して出会ったネットビジネスの先輩、仲間たちと過ごす時間を通じて、それまで考えてもみなかったような「やりたいこと」がたくさん出てくるようになった。
「ブランドってただ高いだけだと思ってたのに、そこにはこんなにもデザイナーの想いが詰まっているのか…。こういうことを買う人にも伝えたいなぁ」
「在宅ワークって、ひとつ仕上げて5円稼ぐ内職みたいなイメージだったのに、本気になればサラリーマンと同じくらい稼げるんだな。こんな選択肢を知らない人に教えてあげたいなぁ」
などなど。
ただほんともう長いこと
「いやいやこのビジネスやるのは今だけ。日本へ帰ったらまたSEやるんだから。」っていう意識が消えなくて。
高校生の頃に見つけた「将来の夢」は、いつの間にか「ずっと追いかけ続けなければいけない不動のゴール」としてわたしを縛り付けるものになってしまっていたようだ。
あれ?夢は一つで、一度決めたらずっと同じでなきゃダメなんて、誰が言ったんだっけ?
夢って、そんなに頑ななものじゃない。
もっと自由で、形がなくて、色を変えていくものなんだ。
今思うとそれは、
「ものごころついた頃から数多の恋を経験してきて、何十人と付き合ってきた結果、この人だ!と思う人に巡り合えました」
という人より
「小学生の頃に出会った初めての彼氏と10年間付き合って、そのまま結婚しました」
という人の方が素敵なんじゃないか?と思い込むような、随分偏った価値観だったのだ。
(上記の例えも、どっちがいい悪いじゃなく、自分の好きな決め方をすればいいってだけね)
つまり何が言いたいかというと
長々と語ってきたが、これを読んでくれた方に伝えたいのは、
夢ややりたいことを見つけるヒントは、どこに転がっているか分からない。他人から見ればめっちゃつまんない、どうでもいいようなことかもしれない。
だから、どんなことでも自分が興味があるならやってみればいいし、やるかどうかを決めるのは自分でなきゃならない。
そして、その夢ややりたいことは、一度決めたら変えたらいけないものじゃない。それは失敗とは呼ばない。
そうやって試行錯誤を繰り返していけば、より自分の価値観が明確になって、求めていたところに辿り着ける可能性が高くなるのだ。
だからね、今すぐ「将来の夢はなぁに?」「どんなことがやりたいの?」っていう質問に答えられなくても大丈夫だよ。
ただ出会ってないだけで、ちゃんとどこかに答えがあるから。
いまの自分が感じていること、いまの気持ち、好きなこと、嫌いなこと。
そういう一つ一つに向き合いながら、一歩ずつ進んでいこう。
応援しています。