見出し画像

日本人の特技 〜 複雑な事象を一言でまとめあげるチカラ N136

 世の中は複雑ではないし当然ながら簡単には説明できるものではない。しかし日本の多くの人たち(特に世間一般から優秀と評価される人たち)に共通しているのは、ものごとを一言でまとめたがるのだ。複雑な仕組みを専門的に従事している人間ですら手に終えないからくりをあーでもこーでもないと話を根掘り葉掘り聞いた上で「要するにこうゆうことですね」とまとめる。  

 このまとめた内容はまさにその通りでその能力の高さには驚かされることが多い(が、その後しばらくたって考え直すとやはり物事はそんなに簡単ではないのだ)。  

 日本人のこの取りまとめの能力は日本の教育制度にあると思う。英語、数学、国語、理科、社会・・・と満遍なく平らに勉強して個々で難しいことを学ぶわけではないが、コンスタントに理解力が求められる。  

 そしてメンバーシップ制度の下でのジョブローテーション制度で特定の能力を極める前に別の仕事を行い、やはり満遍なく平たく仕事を極めて管理職となっていくため、ある種の瞬発力のようなものが必要とされて、その結果「一言でまとめると・・・」といった自分が本質を正しく捉えているか?という質問のようなまとめ上げをしないと落ち着かないのだろう。  

 しばしばあげる例としてヨーロッパの体育の授業は競技種目を1つ決めたら、それをずっと極めるために行う。体育はサッカーとかバスケットボールと決めたら体育の時間は毎回サッカー、ないしはバスケットボールをやるのだ。逆に言えば、イタリア人でもサッカーは下手な人はいる(サッカーを選ばなかった人はそれほどサッカーができるようにならないので)。  

 この日本人の成長過程で獲得したあらゆるものに柔軟に対応できる広角打法のような能力はコミュニケーションを柔軟にできるがゆえに「擦り合わせ」に向いている。関係者のお互いを多少なりとも理解をできているからだ。また多能工的な発想もこの土台があるからこそ成り立つのだろう。つまりお互いを察し合うことができる能力と環境を形成しているのだ。  

 特に下部層に海外から移民を受け入れようとしているが、日本語の理解力だけではなく、この暗黙知的に処理している日本人の相互察する能力を身につけるには成人以降ではもう遅い(無理とは言わないが)。自分たちが変わるか、相手に変わってもらうしかない。  

1*) 藤本隆宏、「日本のもの造り哲学 」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?