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モノからコトへ(1) 〜 モノからコトへの変革を促す経済構造について

 「モノからコトへ」への探求をはじめてかれこれ25年。最初のきっかけはボードリヤールの「消費社会の神話と構造」を読んだことからはじまった。それこそ今から50年前に書かれた本とは思えないほど今でも色あせない本だ。そしてその後2000年半ばには音楽業界やテレビ、出版・新聞業界のデジタルトランスフォーメーションに従事する経験を得た。アップルがきっかけとなり、音楽配信、電子書籍、動画配信などが海外から入り込んできて、国内でもどうするかと騒がれた時だ。そして当時馴染みのなかったサブスクリプションモデルとして「モノからコトへ」というコンセプトでクライアントのDX変革を提案した。しかし当時は力不足の自分が二歩先を行く提案をしてもなかなか重い腰を日本企業は上げてくれなかった(予想以上にモデルに対する反応はよかったのだが)。

 そして今回このテーマを書こうと思った動機は日本企業がどうも良いとこ取りだけをして成果を上げようとしていることが目立つため、全体像を自分なりに提示をしてみたいと思ったからだ。実はこのコトこそ日本企業が最も不得意とする分野だと私は痛感をしている。このモノからコトの現象は要因が複雑に絡み合わさって起きているのだが、私は大きく4つに分けて説明をしたい。

 まず1つ目は消費の飽和だ。20世紀は三種の神器として、白黒テレビ、洗濯機、、冷蔵庫、そしてその後3Cの新三種の神器として、カラーテレビ、クーラー、自動車が庶民の豊かさや憧れの象徴としてメディアで取り上げられた。モノがない時代はモノが得られることで充実感が得られた。しかしモノが溢れるようになり大量生産大量消費の時代になるとモノを買うことに消費者は満足を得られなくなり、満足を得らえる購入がモノではなくコトになってきた。

 2つ目はグローバル化によるモノの価格の低下だ。グローバル化により中国をはじめとする新興国に工場が移されることでモノの価格が圧倒的に安くなってしまいモノ自体に価値がなくなった。モノの価値を上げるための工夫、あるいはモノの原価がほとんどゼロに近くなり、モノ以外の原価(販売員の人件費、マーケティング費、物流費等々)が実際の価格を占めるようになった。したがってモノの価値の訴求は無価値でモノ以外の(コト)訴求を消費者に向けるようになった

  3つ目はこれも大量生産が生んだ公害に対してアンチ公害、そして地球に優しい製品を購入することで自らが良心的に行動して持続可能な地球を守る活動の輪に参画すること。欧州から始まったサステナビリティはエコロジーやエシカル消費につながってモノの購入行為が人間としての善悪の審判を受けるところまで到達してきた。モノを買うことで豊かになった時代からは想像しがたいが、このモノを買うことで心が貧しいか心が豊かか決まる。ちなみに我が家は妻が徹底しており、基本プラスティック製品は購入しない、リサイクルできる製品を買うをやっております(が、むしろ出費が増えて困ってます!)

  最後にネットの力。社会がソーシャルになったことでUberやAirbnbみたいなサービスが登場したこともありますが、私はもっと大きな要因としてはメーカー主導ではなくて、消費者主導になったことが大きいと思っています。ネット以前の時代では情報はメーカーだけが持つものでした。しかし今は消費者も同等の情報を持つようになり、ものつくりがメーカーの商品担当者だけではなく、消費者も参画するようになってきたので、商品作り時代に参画するエコシステムがコトとして機能するようになってきた。

 次回からはそれぞれの詳細について書きたいと思います。

(つづく)



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