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セミリンガルの落とし穴
「帰国子女の性格特性」という記事が、「ぐるる」におけるアクセス数トップに躍り出た。1998年に「私情つうしん」というメディアに書いた古いものだ。できれば新しい記事の人気が高まってくれるとよいのだが、かつて勢いに任せて書いたものがいまでも読まれるのならば、ほかにも読んでほしいものがある。
そもそも「帰国子女の性格特性」は「パラダイムの逆立ち」というシリーズの4本目であった。1本目が「私情つうしん」第2号(1995年8月発行)に掲載した「『帰国子女』の定義」で、同じ号に掲載した2本目が「適応とそのストラテジー」。さらに3本目が「私情つうしん」第8号(1996年9月発行)に載った「日本人学校というアイロニー」である。この「セミリンガルの落とし穴」(第24号=2002年7月発行)はシリーズ最後の5本目となった。
いずれも20〜30年前の古いものなので、時代背景など現在とは異なるところもある。しかしいまでも変わらない問題もあると思える。
ちなみに「私情つうしん」とは、「数人の元・“帰国子女”のワクワクする思いから生まれ、海外/帰国子女や異文化、コミュニケーション、アイデンティティ、教育などの話題から輪を広げる」ニュースレターで、2002年に第24号を出して以来、第25号が準備中のままになっている。
セミリンガル--おそろしい言葉である。たとえば帰国子女が、外国語を十分に身につけることなく、しかし日本語も相当に失ってしまい、いずれの言語も中途半端で不十分な場合に、そう言われる。いくつかの受け入れ校で現にそういう子ども達の指導に苦慮しているという話も耳にしたことがある。言語が発達していないと、まともな思考もできないとさえ言われる。一方でバイリンガルとは2つの言語に通じていることを言うが、双方同じ程度に、かつどちらの母語話者とも対等以上に使えるという例は、ほとんどないと言われる。どちらかが優勢であり、片方は、まぁ、中途半端なのである。
バイリンガリズム研究の中で、セミリンガルについて言及するものは少なくない。名前を挙げると中傷になるから書かないが、「一定の年齢で一定の期間を海外で過ごすとセミリンガルになるから、子どもを海外に連れていかない方がいい」というような結論を書いている啓蒙書を読んだときには、頭に来た。ぼく自身が帰国子女として帰国子女教育にかかわっているのは、すでに一定の期間、海外で育ってしまっているからであり、もちろん子ども達のほとんどは否応もなく海外に行かされている。その年齢も期間も、子ども本人はおろか親にさえ決められないことが多い。「すでにセミリンガルになっている」のがぼくらにとっての出発点なのだ。強いて言えば問題は「予防」ではなく「予後」である。今さら「海外に行かなければいい」と言われたって、何の意味もない。
しかし予後が問題であると言っても、70年代の帰国子女教育研究のように「醜いアヒルの子」がいかに醜いか、それをいかに「普通のアヒル」にするか(帰国子女にはどういう問題があるか、どのようにして日本に再適応させるか)というのでは困る。セミリンガルを「どう治すか」ではないのだ。
まず第一に言いたいのは、すでに海外で育った経験を持っている者にとって、その経験はポジティブなものとしてとらえる以外にはない、ということである。そういう自分を受け入れるところからしか、前に進むことができない。ぼくらは、すでにアヒルではなくなってしまっているのだから、白鳥とは言わないがぼくらなりの生き方を見つけ、それを受け入れてくれる森を見出さなくてはならない。「治療」されても困る。だって、ぼくらはビョーキではないのだから。
実際、「診察」されればたぶんセミリンガルと「診断」されてしまうだろう友人を、過去にも現在にも知っている。しかし、彼らもビョーキではない。「日本語が70%だとしたら、英語は50%かな」などと帰国子女はよく言う。どちらも不十分だと言われるだろうが足せば120%だ。仮に30%ずつだったとしても、2つ以上の言語を知っているというメリットがある。日本でだけ育った人に聞いてみたいのは、「あなたの日本語力は100%ですか?」という質問だ。中学・高校と学校で習ったはずの英語は、何%なのだろう? いや、それでもある意味みんながバイリンガルなのだ。メキシコのタクシー運転手であれば、一言「アリガト」と言えるだけで、「俺は日本語も話せる」と胸を張る。
先日ある学会で、敬愛するS先生に「セミリンガルのままでずっと生きていく人はいませんよねぇ?」と尋ねた。彼の専門は言語学だ。「そりゃそうだ、いつかはみんな自分の持っている言語と折り合いをつけていく」と頷いた。さらに進んで、「たとえいずれか一つの言語をフツーに操れるようにならなかったとしても、社会の中でちゃんと生きていっていますよね」と尋ねた。「それもそうだ。みんな、現にしっかりと生きているじゃないか」と両腕を広げた。「ただね、学校という場で要求される学習は、その多くを言語に依存しているんだよ」との指摘に、「ならば、セミリンガルが問題にされるのは学校という場のせいじゃないですか」と言ったら、「そう! 学校を出れば問題じゃなくなる」と笑ってくれた。
つまり、セミリンガルは本人の問題ではなく、学校教育が言語活動に過剰に依存しているという問題なのだ。学校がこの問題を生んでいるのだ。だからセミリンガルだと言われる子どもを前にして悩むのは常に先生達であり、子ども本人は成績の伸び悩みには苦しむかもしれないが、本人が生きる上ではとくに問題があるわけではないのだ。なぁんだ、これは結局いつもの論理と同じじゃないか。何かが問題だと言われたら、それは誰にとって何が問題なのかを問え。提案された解決策が、誰にとって利益をもたらすのか問え。「帰国子女」が問題になったのは、本人たちの不適応のせいではなく、受け入れる側がどう対応していいかわからなかったからだ。
S先生に会った学会で、日本に住む外国人をめぐるネットワークについての報告もあった。そこでは、日本語を学ぶ母親の脇で子どもを遊ばせる父親の姿が示され、言葉だけではなく日常の社会生活のさまざまなトラブルにも対応していく人々のダイナミックな助け合いが情熱的に語られた。文部科学省の新しい指導要領は学校という場で「生きる力」を育てることを訴えているが、「学校」と呼ぶにはあまりにも無秩序なエネルギーに溢れた日本語教室では、まさに「生きる場」ならではの豊かな学習が生まれている。学校という閉鎖された空間には、本来の活き活きとした生活が失われてしまっているから、小学校にわざわざ「生活科」なんてものを導入して「教える」。問題は、あまりにも本来の生活とかけ離れた空間になってしまった学校であり、その学校にあまりにも多くを任せ、依存してしまっているこの社会なのだ。学校という仕組みが崩壊しかかっているときに、学校の中に外の実生活を持ち込んで命を惜しんでいるのが今度の指導要領改訂なのだ。だったら、学校を捨てて町に出るというのは、あまりにもコロンブスの卵的な発想だろうか? 学校でわざわざ「生きる」ことを教わらなくたって、子どもは生まれたときからすでに生きているはずなのだ。
セミリンガルは、学校を出れば問題ではなくなる。学校を出れば、学習障害も帰国子女の不適応も大きな問題ではなくなる。不登校は、「生きる力」を身につけるためにはベストの選択かもしれないのだ。同様に、「会社」を出てしまえばさらに問題は小さくなるだろう。会社を捨てて、町に出よう。必要なのは、それでも生きていける力だ。どうせ、会社が生活を保障してくれるわけでもない。
セミリンガルという言葉がおそろしいのは、その「問題」を本人が治せばすべてが解決するものだと勘違いさせてしまうところにある。
by 古家 淳
初出:「私情つうしん」第24号(2002年7月発行)
「私情つうしん」から「ぐるる」に転載している記事はこちらにまとめてあります。
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