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主宰者プロフィール/ABOUT THE FOUNDER

FOR READERS IN ENGLISH: Please see below the Japanese version.

「ぐるる」を主宰する古家 淳(ふるいえ・あつし)です。
僕自身のroots and routesをかいつまんで紹介します。
 
1967年、「海外子女」ということばもなかった時代に父の転勤に伴いメキシコシティに渡りました。日本では神奈川県川崎市の公立小学校の4年生でしたが、現地ではアメリカンスクールに入って7年生まで学びました。設立されて間もないメキシコ日本人学校に移ったのは日本式にいえば中学2年生の9月。そのままメキシコ日本人学校中学部を卒業して帰国しました。

1970年代前半には「帰国子女特別選抜」を実施している高校なんて全国でも片手で数えられるぐらい少なく、僕は当時日本でいちばん早い日程で入試を行っていた高校に一般枠受験で合格しました。日本人学校での1年数カ月、日本から来たばかりの人も含めた同級生たちを相手に「追いつけ追い越せ」で勉強してきたことが実りました。僕が在学中に帰国生専門の校舎を別の地につくり、僕の卒業と前後して本校でも帰国子女枠を設けたその高校は、東京学芸大学附属高校といいます。
しかしながら、高校での僕はメキシコで身につけた(アメリカ流のものも含めて)考え方を変えようとしませんでしたから、相当に目立っていたはずです。いまでも当時の同級生から「オマエはとんがっていたな」と言われるくらい。そんななかで日本の教育事情に疑問を持った僕は、東京大学教育学部学校教育学科に進学し「帰国子女教育」をテーマに卒業論文を書きました。

就職はテレビ番組制作会社。2つの会社を渡り歩くうちに、ニューヨークで1年間の駐在も経験しました。2社合わせて5年ほどたったところでフリーランスに。映像ディレクターとしては河合塾が始めたサテライト講座の立ち上げにかかわったり、2021年までNHK-BS1で放送されていた「攻略!ABCニュース英語(旧・ABCニュースシャワー)」を担当したり。
一方で、帰国生どうしが連携する試みもずっと続けてきています。最初は高校時代に身のまわりで帰国生たちを探しては集まっていたのですが、大学時代には「帰国生自身によるsupport&studyのためのネットワーク」として発足した「メタカルチャーの会」に設立から関与。さらに1995〜2002年には海外/帰国子女や異文化教育などを考えるニュースレター『私情つうしん』を主宰。最近は「帰国生」の枠を超えてTCKsとの関係も深めています。
仕事でも、1987年から月刊誌『海外子女教育』(発行:海外子女教育振興財団)のレギュラーライターとなり、翌年には同誌の編集協力などを業務とする(株)ルーツインターナショナルの設立に参加しました。この『海外子女教育』誌は2023年8月号で終刊になりましたが、この30数年の間に数多くの特集やインタビュー記事などの企画・取材・執筆・編集・校閲を担当してきました。さまざまな記事を書くためにインタビューしてきた帰国生は、おそらく1000人を超えていると思います。
 

ぐるる」は、これまでの経験をベースに、『海外子女教育』よりも幅広い取材相手・読者を対象に、『私情つうしん』でしか書けなかった個人的な思いや深すぎる(?)考察も含めて、よりジャーナリスティックな姿勢でつくりあげていきたいと考えています。
 
また、いままで僕が書いてきた過去の文章も、折りに触れてこのサイトでもご紹介していこうと思っています。

追記:こちらで、古家が月刊『海外子女教育』誌において取材・執筆した記事のうち、ウェブで公開することを版元(海外子女教育振興財団)から許可されているものの一覧をご紹介しています。

追記2:古家の生い立ちについて、こちらの記事でさらに詳しく書きました。



ATSUSHI FURUIYE, a native of Japan, moved to Mexico City in 1967 at the age of 9.

He first joined the American School there, and after 4 years, transferred to the then newly established Japanese School in Mexico.

He returned to Japan to enter a high school in Tokyo at age 15. He graduated from the University of Tokyo with a bachelor’s degree in education. His thesis was on the repatriated Japanese children.

He worked for 2 companies directing and producing TV programs, including a year stationed in New York. After becoming freelance, he also wrote for and edited “Kaigai-shijo Kyouiku,” a monthly magazine issued by Japan Overseas Educational Services, that focused on the education of both expatriated and repatriated Japanese children. The magazine went out of publication in 2023.

He also has been a hub for fellow repatriated Japanese and Third Culture Kids by participating in various networks and creating web magazines.

Please click below for a more detailed story of his life.


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