無功徳(むくどく)
私は、子供の頃から「良い人になりたい」と思ってきました。
とはいえ、人生を振り返ってみると、思い出したくないような失礼なこと、人を傷つけたことがいくつもあります。
稲盛和夫さんのお言葉の中に、「徳ある人間でなくても、そうなりたいと思うことが大切だ」というような主旨のことがあったと記憶しています。
私も、正にその通りだと感じます。
過去の過ちは元に戻すことはできません。過ちを忘れず、二度とそうしないようにすることは大切ですが、過ちに心を縛られ、身動きできない状態にしては己が腐るだけです。生きている間は、改めるチャンスを与えられているのだと、気持ちを切り替え、償いの気持ちを持って、人に尽くすようにしていけば良いのだと思います。
でも禅では、その「人の為」という考え方は良くないと説いています。
なぜなら、人のために何かをしようと思うと、無意識のうちに見返りを期待してしまうからだそうです。もちろん、人の為にという心は、何かを起こす原動力になるのも事実ですから、たぶん禅では見返りを求めたり、押し売りや自己満足になることを自戒しているのだと思います。
いずれにせよ、自分が「したいこと」は、誰のためでもないということなのでしょう。
すべてが自分のため、自分自身に還ってくるもの。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
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