僕が見た被災地のこと(その2)
2月7日から約1週間、災害ボランティアの一員として僕は石川県輪島市に行ってきました。この記事は、そのときの経験について僕が感じたことなどを綴っていくシリーズの第2回目となります。今回の記事では、災害ボランティアへの登録プロセスや、活動現場に向けて出発するまでの様子について触れてみたいと思います。
登録窓口に対する安心感
前回の記事でもご紹介した通り、僕はJOCA(ジョカと読みます)という団体を通じて災害ボランティアに申し込みました。それは僕が青年海外協力隊(現・JICA海外ボランティア)の経験者であったことと無関係ではありません。JOCAは元々、青年海外協力隊のOBによって設立された組織で、様々な社会貢献活動を行っています。そして時々OV(Old Volunteer=経験者)にイベント等の情報や協力依頼が届くといった、ある種同窓会のような緩やかなコミュニティを形成しています。
さてJOCAは、能登地震の直後から職員を現地に派遣し、いち早く復興支援に取り組み始めていました。僕自身、災害ボランティアは未経験だったのですが、被災地復興支援の経験が豊富で好事例や教訓も多く蓄積されているJOCAが窓口になってくれていたので、安心して災害ボランティアに申し込むことができました。
登録したその日のうちに届いたJOCAからの受付完了メールは、22時を回ってからの受信でしたので、ボランティアの受付(登録)~派遣にかかる各種調整をはじめ、支援物資の調達や輸送手配に至るまで、その業務負荷の大きさは計り知れないものなのだろうと思います。そうした業務は途切れることなく今も続いていることを考えると、今後の継続的支援のためにも、JOCAの職員さんたちこそ健康管理には十分留意していただきたいと思います。
出発に向けて
申し込みから2週間ほど経ち、JOCAを通じて活動地や活動内容、費用負担等についての連絡を受けたのは2月5日のことでした。現地入りは2月8日の予定でしたが、同日は午前6:30に集合場所を出発し、昼過ぎを目途に現場に入る計画となっていました。つまり現地入り前日の2月7日には石川県白山市の集合地点付近で宿泊する必要があったわけです。
以下余談ですが、幸いなことに、一定の条件下では前後泊分の宿泊費と往復交通費が規定に則って支給されることになっていたため、JOCA経由のボランティアは全額持ち出しになるようなことはありませんでした。このような経済的配慮もボランティアにとってはありがたいことです。
さて、2月7日は自宅を8:00頃に出発し、新幹線、サンダーバード、在来線と乗り継いで、目的地に到着したのは16時頃でした。輪島市での活動中は入浴できないだろうと腹を括っていましたので、現場入り前の最後の入浴をゆっくり堪能したのを覚えています(とは言え、実際には被災地でも入浴できたのですけれども)。風呂上りに夕食として蕎麦をいただき、22時にはさっさと寝ました。
そして翌日(出発当日)、予定より少し早く6:20には集合場所に着きましたが、既に10名前後のボランティアたちが集まって氏名等の最終確認をしていました。出発前には、私たち(ボランティア)の現場(輪島市の避難所)での役割について、概ね次のような説明を受けました。
「避難所運営の現場にいると、『どうしてもっと上手くやれないのか?』などと責任者である行政機関への不満が募ることもあるけれど、行政職員たちも被災当事者であり、大変な状況下に置かれていながら、限られたリソースの中で必死に尽くしている。私たちは、被災者の皆さんと同じ目線で不満を言うのではなく、自らも被災している中で懸命に避難者の生活を守ろうとしている行政職員の立場を理解した上で避難所の運営をサポートしなければならない。」
そうか、現場はとっくにキャパ越えしているのかと、この言葉は胸に刺さりました。
他県から多くの行政機関職員が派遣され輪島市行政を支えている実態と、先の説明とが頭の中でリンクして、ようやく災害現場(避難所)の緊迫感が身近に感じられたのを覚えています。それと同時に、「一体、僕に何ができるだろう」と少し不安にもなりました。「時間があるから」という動機は、覚悟という意味では浅かったのかもしれません。
僕たちは、7:00頃に複数台のバンに分乗して輪島市を目指しました。
(輪島市までの道程や現地入りした後の様子については次回に譲りたいと思います。今回もご笑読ありがとうございました。それではまた!)
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