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これからの世界はどこに向かうのか。

これからの世界はどこに向かっているのか。

そのためには聖書についてお話していきたい。
いきなり聖書と言われると、
「この人たちは宗教家か何かか」と一瞥されてしまう。
しかしそうではないとまず断言したい。
私たちは聖書を宗教的書物としてみてはいない。
私たちのこれからを示した預言の書物としての観点で見ている。
それも根拠のない預言ではなく、現実が事実聖書に書かれている通りに動いていたという
驚くべきところからお話ししていきたい
これを知れば聖書は宗教書だと一瞥するのではなく、
私たちのこれからを知るためには必ず学習しなければならないものだと確信できる。
そのうえでこれからの話を聞いていただきたい。
それでは皆さん聖書と聞いて何を想像されるだろう。
キリスト教徒が読んでいる書物。
宗教書。
ユダヤ人の書物。
要は私達には関係のないものだ。と誰もが思う。
しかしそれは大きな大きな間違いだ。

その前に聖書の予備知識というものを皆さんに知っておいてもらいたい。
この聖書の学習をするときに私たち日本人は聖書になじみがなさすぎるためである。

そもそも聖書というものは旧約聖書と新約聖書という大きく分けて二つに分かれている。
この旧約、新約というのは旧い約束と新しい約束という意味である。
ではこの約束とは何なのか。
誰のために約束されたものなのか。
ユダヤ人と呼ばれる人々が世界を救うと言われていたメシア、
救世主を待ち望み、メシアを遣わすという意味での約束である。
そしてこの旧約というのはメシアと呼ばれるイエスキリストが来られる以前の話であり、
新約というのはイエスキリストはまた来る。と言われたので
再臨されるイエスキリストを待ち望むことが書いてある話なのである。

今はこのようなメシアなどの話はすることはないので、
予備知識として知っていただきたい。

それでは聖書に書かれた内容についてはこれから話していきたい。


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