ザッカーバーグ氏スピーチ@ハーバード卒業式と、人の日常と習慣
2017. 05. 29記事
ハーバードの卒業式でのマーク・ザッカーバーグ氏のスピーチ、とても素晴らしい。
それを日本語訳された方のブログを発見したので、リンクをこちらに。
これほど素晴らしいスピーチなのに、私が気になって仕方がなかったのが、襟元。やはり普段こういう格好をし慣れていないが故の経験値の少なさがにじみ出てしまっているように思える。
ドレスシャツの襟元とネクタイのノットの上の間に、微妙な1cmほどの隙間が。これが全てを間の抜けたものにしてしまう元凶。
昨今の危険なところは、このように顔が大写しで映像になり、メディアに出てしまうこと。遠目に見ていたら襟元のちょっとした部分など見えないでしょうけれど、画面に映れば大抵がバストアップ。人が話している時、大抵人の口を見ているので、口のすぐ下にある襟元が整っていないのは完全に視界に入り、とても気になる→注意がそちらに向く→話に対して注意力散漫になる→せっかくの話が全部入ってこなくなる、という負のスパイラルが起きるのです。
どんなにサイズもシルエットも合っているスーツにシャツ、きちんと選ばれたネクタイ、例え全て最高級品だったとしても、その収め具合こそ大事。「使い方」に日常が出てしまうのが人間。有効な道具なのに、使いこなせていないだけでなく、目的を果たす邪魔をしている。
まず、何よりも「顔つき」に合っていない=こなれていない(笑)。似合わないのとは違う、馴染んでない。これは彼の日常に、「スーツにネクタイ」が存在していない証拠。
彼はカジュアルにしていた方が、絶対に全てにおいて効率よく、望んだように展開させることができる。仕事的にもブランディング的にも、きっとこの方の個性としても。それが証拠に、日本語訳が乗っているページの写真(下)は、ネクタイ無し。彼にあっていて、見ているこちらも視覚情報的に落ち着く。
とはいえ、ある立場の人であれば、こういう場は巡ってくる。その時は参謀が出番の直前・最後の仕上げで、首締めるくらいにネクタイをがっちり締めあげて差し上げてほしいものです。
カジュアルな日常であったり、スーツを着ていても「これくらい大丈夫」と思っていたり、そんなことさえ思ったりせず生活している人は、特に要注意というお話でした。