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学歴にこだわる理由の変化--日本での学歴コンプレックスの形成
日本人の大好きなトピックといえば、年収、学歴、偏差値。日本にいた頃は、これらのトピックとは全く関係のない世界で生きていた。
「◯◯高校は偏差値70以上」
「◯◯君は早稲田大学出身なんだよ」
「社長は東大出身で、すごいできるんだ」
「◯◯は平均年収1,000万だから金持ち」
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これらを日本にいた時に死ぬほど聞いてきた。海外に移住して、日本でXを開いてみると、Xでもそのトピックばっかりで、みんな年収、学歴、偏差値の話が好きなんだなと。では、なんで俺が学歴にこだわったのか?こだわった結果、何が変わったのか?学歴についての視点が変わったのか?ここで具体的に説明したいと思う。
偏差値との出会い、そして最弱高校へ
「バカ」と言われ続け、勉強から距離を取って非行に走った小中高。当時は、勉強なんてどうでも良かったし、勉強ができるよりスポーツができるか悪さをしていた方が圧倒的にモテた。 ただ、中学3年になってから「偏差値」が学内中のメイントピックで、受験はどの高校を受けるか、その偏差値で決めると聞いた。当時は、何のこっちゃわからず、偏差値を測るV模擬を受けることに。うる覚えだが、その数字は「30」だった。
偏差値を見てから、担任や周りの大人からは中学卒業後の就職をすすめられた。ただ、周りの話を聞くと、「高校には絶対行け」と言うことだったため、偏差値40の高校を受けることに。周りの知り合いは、みんな偏差値55以上の学校を受けたり、推薦で有名な高校に行く人も何人もいた。俺は併願で受けていた偏差値30台の工業高校に無事合格した。ただ、高校に入ってから、高校のレベルで差別を受けることになるとは知らず、それが影響でさらに非行に走ることに。
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俺の行った高校の最寄駅には、高偏差値者なら知ってる偏差値65超えの都立や私立の高校が何校もあった。その中で、俺の高校だけが偏差値30-40台で、周りの高校からはバカにされていた。ちなみに、俺の担任は「お前らも東大に行ける」とずっと言い続けていたが、そんな生徒は出るはずもなかった。ズボンをマックスまで上げて、根暗っぽいいけてない高校男子や可愛い子が多かった高校女子が周りに多かった。ズボンマックスまで上げる男子になるなら、勉強をせず格好ばかりつけたかった。髪染め、腰パン、複数ピアス、革靴のかかと潰し、ナンパ、喧嘩、とにかく色々やってきた。とにかく、学歴とは縁のなかった高校生活だ。
結婚、学歴コンプレックスの芽生え、モラハラ
当時付き合っていた彼女が都立で1-2番の有名校出身ということもあり、「大学は行って」と言われ、勉強を一回もしたことないが、とりあえずいくつか受けてみた。偏差値30-50台の大学を受けて、もちろん全ての大学不合格。そして、彼女もまた、俺といつも一緒にいたことから、国立や早慶すら受からなく、親からこっぴどく怒られた。浪人するなら俺と別れるか、浪人しないなら俺と一緒に暮らすかの選択を迫られ、結局結婚することにした。もちろん、向こうの親からは「バカ」という言葉を何度も言われた。
この人と結婚してから、学歴の重要性を学んだ。同級生や先輩は東大や他の国立、早慶に行った人が多く、とにかくその話ばかりだった。もちろん、先輩にはみんなが知るような大手の会社に入ってる人も多く、いつもその話を聞かされていた。もちろん、喧嘩になるといつも「何言ってるかわからない」「頭悪いから」「バカじゃないの」と、とにかく見下してくる発言ばかりだった。ただ、その当時は文句は言えなかった。
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高学歴優遇への反発とアメリカ留学の決意
当時、働いていた会社でも、学生で「早稲田/慶應/東大出身なんだよ」と毎回ちやほやされており、俺には「高卒なんだから出来が悪いんだ!」など、「バカ」に当たりはキツかった。家でも、家の外でも学歴の話ばっかり。正直うんざりだったし、学歴の話題に入れるわけもなかった。これがきっかけで、俺の学歴コンプレックスが少しずつ芽生え始めた。そこで、当時の奥さんに大学に行っていいか再度話をしてみた。奥さんは即答で同意してくれた。ただ、条件は非常に厳しいものだった。
「最低でもMARCH、いや、中央の法学部だけ。それ以外は認めない。」
これが俺に課された条件だった。偏差値30の俺が、偏差値65以上ある大学に?でも離婚はしたくないので、とりあえず頑張ってみた。ただ、不幸なことに離婚になってしまった。また、仕事をしていた会社でも「高学歴」ばかりが優遇されていくところを目の当たりにして、さらに学歴コンプレックスが強まっていった。日々どうやったら中央大学法学部、いや、東大以上の大学に行けるのか考えた。答えが出たのは、離婚して1年後。
「そうだ。アメリカに行こう。アメリカなら日本の大学よりもいいところがたくさんある。」
こうして、アメリカの大学留学を目指すことになった。
続く…
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