くるりの感覚を、道標にして生きてきた結果
よすぎ。
よすぎた…。
なんじゃこりゃ…。
一旦感情を全部吐き出さないとこの衝動を抑えられないので、ちょっとやかましいですが聞いてやってください。
『くるりのえいが』
もうね、画面全部がくるりすぎた。
聴こえてくる音のすべてがくるりすぎた。
どこもかしこも3人揃ったあの日のくるりすぎた。
待ちに待ったこの映画を、たまたま結果貸切という状況で観られる奇跡と贅沢。
ハイパーエモーショナルプライベートムービーシアター。
(くるりの名誉のために言うと、他の日、他の回は数人います。数人。います。)
学生時代、京都で一人暮らしをするために希望で胸いっぱいにして地元を出たあの頃の、私のいろんな初期衝動がくるりと共にあって本っっっ当によかった。
猛烈にそう思えた映画。
自分なりの劇中ハイライトをまず初めにお伝えすると、岸田さんが
「これは近年のくるりに対してのアンチテーゼでもある」
という言葉をポロッとこぼしたとあるワンシーン。
今回、初期メンバーである森さんに再度声をかけて“くるりがくるりになるため”のアルバムを作りたいというこの衝動の源は、何かしらに対しての“怒り”であるのだ、と。
いつもくるりは何かに怒っているのだ、と。
そしてその答えが上記の“ポロッと言葉”となって出てきた瞬間、(くるり殿!!!!私たちと同じ気持ちであられたのかーーーーー!!!!)って、心の中で絶叫しながら私の内なるくるりとガッツリ握手してたよね。
くるりサイドも「???」ってなりながら、ずっと新しいくるりを模索し続けていた数年だったんだということを、岸田さんの口から直接聞けてなんかホッとしたな。
こういうのって一回納得するまでやり尽くしてみないと「うん、やっぱちゃうかったな」に立ち返れんよね。
いろいろ試したからこそ、立ち返れるというか…。
何でも割とそうだと思うけど。
そこに良い意味でものすごく人間臭さを感じて、ちゃんと言葉にしてくれる岸田さんやっぱ大好きや!ってなった。
もちろん、「昔のくるりが良かった」とかそういう表面的な話ではなくて、その過程すべてが「くるり」だなって納得できた感じ。
岸田さん、佐藤さん、森さん、それぞれが何気なく発する言葉一つ一つ聞きこぼさないように、全集中。
決して言葉数が多いわけじゃないメンバーたちが、ポツリポツリとこぼしていく言葉たちはもはやアート。
話し方、テンポ、声、言葉そのもの、すべてが心地いい…。
あとはゼロからイチを生み出すレコーディング部分は、どうしてもフジファブリックのストックホルムでのストイックすぎる愛すべきレコーディングドキュメンタリーを思い出してしまったりね。
くるりの岸田さんはフジファブリックの志村くんが作る楽曲を「またへんてこりんな曲作ってはるわ」って、いつも軽く嫉妬するくらい絶賛してたから、くるりがたまに作るしつこいくらい変調する楽曲を聴くとどうしても志村正彦が作る音楽を重ねてしまう病、ここでも発病。
今回のアルバムだと「世界はこのまま変わらない」がまさにこれ。
リズム音楽的なね。
1番好きな「California coconuts」が生み出されていく流れも非常に美しかったなぁ。
あぁ、すばらしひ……。
「東京」や「ばらの花」を作った時の話も、作った3人が改めて揃ったことで、本人たちが「あの時どう思ってたん?笑」とか聞き合えているその感じがアオハル過ぎて、もう眩しくてこそばゆい!笑
ちょいちょい「ふふふ…」って笑いながらも、同時に
(こんな3人がまた見れるなんて…)って都度思っちゃうから最終的に泣いてる。
情緒忙しない映画やでホンマ!(愛)
(笑いどころもね、声出して笑う感じじゃない、湧き出るようなうふふなのが、くるりらしい微笑ましさでまた良き)
後半3人揃っての初ライブ映像で、あの曲やってくれるなんて…。
からのあれ聴けて、これ聴けて…。
これ映画代だけで観せてもろてええの…?
本当そのくらいのクオリティと濃さ。
それで言うと、個人的に「彼らの自宅のある京都⇄レコーディングをする伊豆スタジオ」の始まりと終わりが、新幹線で表現されてるサンドイッチ構成にもグッときたな。
JR京都駅は、地元から帰ってきた時いつも(あぁ、帰ってきたな)ってじんわり思える私の青春が詰まった駅だから。
映画館で観てよかった映画ランキング歴代5位以内には入る。
人生で少しでもくるりを通ってきた人は、ぜひ観てみてください。
それぞれに、何かしら突き動かされる物があると思います。
公開は11/3まで。
もっかいだけ観に行きたいな。
※国際会館の中華料理屋さんが「上海蟹フェア」してたのも、「くるりに合わせてくるやん!!」(違う)ってなった良い思い出🦀
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