ここ数年で進撃の巨人に進撃され続けた人の受け止め方
実は元々絶望であるはずの中での自由や幸せ(のようなもの)を求めて、
結果絶望を選択し続けるという
絶望。
リアルタイムで進撃の巨人のラストをアニメで見届けられたその昂りたるや…。
もう…圧巻でした。
(進撃のこと、ほぼ圧巻しか言ってない。もう語彙力追いつかない)
10年という歳月を経て生み出された作品を、
食わず嫌いが仇となりたった3年で一気に駆け抜けることになったわけですが、
結果私の中で骨の髄まで沁み渡る唯一無二の作品となりました。
10年間、緻密にそして良い意味でしつこいほどに丁寧に描写され続けたキャラクターたち。
進撃って、主要キャラ以外のモブキャラでさえ一人一人の背景や心理描写にしっかりと意味を持たせて描かれてるからか、
正直(その人たちのこと、そんなにいる…?)って、個人的に思うシーンなんかもいくつかあったんだけど、すべては身体がビリビリするほどの震えを伴うあのラストへ至るまでの情動を味わうための計算され尽くした地道な種まきだったんだ…と思えて……。
すべて観終わって、初めてそこに思い至って、またもう一回震え直したよね。
単純に「ストーリーに感動して涙が出る」とかそういうんじゃなくて(いや、結果そうなんだけど違うそうじゃない)、
1話からラストまで観ていく中で、知らず知らずのうちに視聴者の脳みそに直接埋め込まれたキャラクター一人一人が、ラストに向けて一気に勝手に意思を持って動き出す感じ。
もうそれは「アニメ」や「漫画」を超えてるんよ。
単なる“感情移入”ともまたちょっと違うこの感覚…。
本当に唯一無二。
それ以上私の語彙力では言い表せられない…(唇噛み締め)
どうしようもない現実をただひたすら目撃し続けるしかないという絶望と恐怖のおかげで、「自分にとって何が本当に大切なのか」ということの焦点を、強制的にバシッと合わさせてくれる荒療治的な感じ。
それぞれの中に「正しさ」を持っている人間がこの世にいる限り、戦争や争いごとはきっとなくならない。
それでも、「わかり合おうとすること」はできるはず。
たとえわかり合えなくても。
それすらしようとしていない(できない)世界の現状に、怒りと哀しみと絶望を感じた諫山先生からのメッセージ…のような気がしました。
それで具体的に何かが解決しなくても、「わかり合おうとする」という能動的思考が少し頭にあるだけで、日々のちょっとした言動が変わってきたりするんかな…。
きれいごとかもしれないけど、そんなちょっとした希望も持ちながら、案の定観終わってアドレナリンが出まくって眠れないので、頭の中を整理しながらそのまま書き殴り。
「リヴァイかっこいーーー!!!涙」とか、「…ジーク……お前ってやつは…」とか、「……みんな…(号泣)」とか、「伏線ありすぎ(恐怖)」とか、「シリアスの中のシュールで耳キーンなる」とか、アニメ自体の感想皆無ですみません。
それはまたどこかでたまらず小出しにしていくと思います。
(そしてまたいじり倒してしまうのでしょう。愛)
完結した今こそ、全人類心臓を捧げて観るべし。
進撃の巨人を生み出すことに尽力し続けてくださったすべての人たちへ、全力の感謝と敬意を込めて…。
※画像は筆者の稚拙な自作です
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