文体トークとロマンスドール
1月29日(水)
最近友人たちがnoteを頻繁に更新してくれていて、noteの新着を確認してうれしくなることが多い。今日はふしぎちゃんが「文体はいつ獲得するのか」という記事を上げていて、退勤してからLINEでひとしきり文体&文章を書くことについての話をする。
ふしぎちゃんも私も職業柄、自分で文章を読んだり書いたりするだけでなくて、他人の文章を校正したり書き方を指導したりする機会が多いので、話が盛り上がる。私は、文体は書き手の経験の総体であると同時に、書き手が読み手にどう見られたいかの現れであるように感じている。自分の文体はこれ! という画一したものを人生のどこかの場面で獲得するのではなく、気に入って繰り返し読んだ本や出会った人に影響を受けて、考え続けて書き続けていく中でどんどん変化していくもの。想定する読み手や伝えたいメッセージによっても変わるもの。
ふしぎちゃんの職種でも、書き慣れていない人に書かせるときにはまず模倣から始める、という話を聞いて、職種が違ってもそうなんだなと思った。
そして、たくさん本を読んでいるのに文章が下手な人がいるのはなぜなのかについて話し合い、「ヤリチンはセックスが下手」理論と根底は同じではないかという話になる。読書によって書く力をつけさせるためには、反復と思考が重要であるように思う。アウトプットはもちろんした方がいい。
こうして書いていると、毎日日記を書いているけれど自分の文章はどうなのよ、と考えてしまうな。ただ毎日こなせばいいとは思っていないつもりだけれど、人の目にどう映るかはわからない。
LINEの応酬をしているうちに池袋駅に着き、T氏と一緒にHUMAXで映画「ロマンスドール」を観る。
冒頭の、蝉が鳴いている昼下がりの薄青い部屋のシーンがもう完璧で、映像の美しさにうっとなる。そして、前半に高橋一生の仕事場を訪れる蒼井優の肩甲骨と、後半に高橋一生と絡む蒼井優の背骨にうううううううあああああっとなる(語彙)。骨で語る蒼井優は本当にすごい役者。高橋一生のよさはあまりわからないのだけれど、ピエール瀧とかきたろうとか、脇を固める俳優陣もみんなよかった。
これだけの豪華な俳優陣が集まってみんな本当にいい演技をしていて、ラブドール制作を生業にする夫が妻にそれを言い出せず、新婚時代が過ぎてセックスレスになって…って設定も面白い映画になる予感しかしなくて。
だからこそ残念で仕方ない。
ストーリー展開的に本当に全然全く好みでなくて、観ている途中から不快すぎた。
なるべくネタバレにならないように書くけれど、先入観なしに映画を観たい方は読まないでほしい。
まず哲雄(高橋一生)の職場で一生と園子(蒼井優)が出会うシーン。これだけ、立場の弱い人間が仕事相手から受けるハラスメントや性暴力が問題となっている世の中で、モデルを騙して仕事させてその上契約にない身体接触を図るってもうアウトでしょ。蒼井優が受け入れてくれたから結果オーライじゃないんだよ。これはフィクションだからって割り切れるほど成熟した社会じゃない。
そもそも、その出会いのシーンから最終盤に至るまで、園子は、作中ある場面を除いてただひたすらに哲雄にとって都合のいい存在であり続ける。とんでもない嘘をついていた夫を受け入れ、酒を飲んで帰り時間が遅くなっても連絡しない夫に文句一つ言わず、美味しい料理を作って待ち、夫のためを思って夫から離れようとする。そして、どこまでも美しく儚いまま舞台から退場していく。昔ながらの理想的な女というかんじ。これが令和の映画か、彼女自身が人形じゃないかと衝撃を受けっぱなしだった。
もちろん、この映画で描かれる園子は哲雄の回想の中の存在なので、哲雄目線のフィルターがかかっていて当然だし、ダ・ヴィンチのインタビューを読んだら、監督は「こういう夫婦はいない」「あくまでファンタジーとして描きました」と言い切っているので、意図的にこういう描き方になったのだとは思う。けれど、私にはどうにもこうにも受け入れがたかった。もしかしたら、「一目惚れした美人モデルに振られた男の妄想」あるいは、「妻に逃げられたものの現実を受け入れられず仕事に没頭していく男の狂気」という裏設定の作品だと思えばめちゃくちゃ良作だったかもしれない。作中ある場面の、哲雄にとって都合がよくない園子の行動を掘り下げていく展開だったらよかったのに。
そういえば「風立ちぬ」を観たときにもよく似た嫌悪感を覚えた記憶がある。
映画が終わってT氏とタイ料理屋に行ったら、花がのっかった烏龍茶が出てきたので、匂わせっぽい写真を撮った。
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