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「祭ちゃんは絶対ひとりでも幸せになれるから」

「祭ちゃんは絶対ひとりでも幸せになれるから」、泣きじゃくる私にそう告げたのは友人だった。

私はとんと男運というものに恵まれない人生を送ってきた。今までに付き合った男性は二人、両方とも甲斐性無しだったし、うち片方とは結婚して、凄絶なDV離婚をしている。

そもそも、私の両親だって離婚をしている。こちらもDV離婚だった。
私と妹の姉妹は、その離婚からそれぞれ別のことを学んだ。
妹は「くだらない男に引っかかっても即別れてひとりで生きていかれる力を身につけるべき」、片や私は「絶対に両親のようにはならず絵に描いたような幸福な家庭を築くべき」。

愛する男性に自殺教唆をされ続ける生活は苦しかったが、彼に捨てられることはもっと苦しかった。私さえ耐え抜けば『絵に描いたような幸せな家庭』を築けるのだと信じていた。
激烈なモラハラ男VS苛烈なメンヘラ女の夫婦の結末は男が精神をすり減らし、女に離婚を言い渡すことに落ち着いた。

当時の夫に捨てられた私はとっくの昔に失くなってしまった正気をマイナスに振り切って、結婚当時と同じく寝たきりのまま、「死にたい」の四文字だけに囚われていた。
あのひとにさえ捨てられた私を愛してくれる人なんて何処にもいない──DV被害者にありがちな『加害者の崇拝』を拗らせながら私は毎日顔が腫れるくらい泣いた。

そしてある日、もう終わりにしようと思ったのだ。
当時暮らしていた実家は地上八階。上手く頭から落ちれば死ねるだろう。飛び降りようと思ったのだ。

「あのひとに私がどれだけ愛していたかを伝えて」

いちばん仲の良い友人にそうLINEすれば、返事は思いの外早く返ってきた。

「今から行くからあったかいもの飲んで待ってて」

都内の美容室に行っていた彼女はそこから一時間以上をかけて我が家に来てくれたのだ。

「私は誰にも愛されないんだ」

男性からの愛と庇護を受け生きることだけが希望だった私は遊びに来てくれた友人の前で座り込んで泣いた。友人は同じように床に座り込んで、背中を摩ってくれる。音楽もかからずテレビもつかず、時計の秒針の音だけがする室内に私の悲愴な泣き声だけが響いていた。

「祭ちゃんは絶対ひとりでも幸せになれるから」

友人は穏やかに、しかし真剣な声を出した。

「祭ちゃんにはその力があるって私知ってるよ。絶対大丈夫。絶対幸せになれるよ」

私の泣き声は激しさを増す。

「本当にそう思う?」
「本当だよ。絶対大丈夫」

友人はそう繰り返しながら私を抱きしめた。

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三十四の頃にはきっと幼稚園に通う子どもがいるはずだった。
女の子が良いなぁと思っていたが、きっと彼と私の間には男の子しか生まれないだろうなぁという予感はあった。
きっと私は碌な母親になれないが、彼は良いお父さんになるのだろうと予想して、期待に胸を膨らませていた。

現実では三十四歳の私は、職場の非常階段で、昼休憩の間煙草を吸いながらこれを書いている。
彼が私に命じたから辞めた煙草を、離婚成立とほぼ同時期にまた吸い始め、私は『絵に描いたような幸せな家庭』の主婦ではなく、絵に描いたような独身弱者女性として細々生きている。
結婚生活で弱った身体は戻らずフルタイム就業も出来ず、障害年金と少ない稼ぎで生活し、作家を目指して原稿に励んでいる。

あれから好きになった男性たちも軒並み碌でもなくて、結局誰かと暮らすことを忌避し、「男のおの字」もない生活を選び、それでもこのしょっぱい人生でいちばん幸せに暮らしている。

ひとりは気楽で身軽で、誰にも縛られず、誰にも傷付けられない。
私に自殺教唆をする人も、私がそれに応え自殺企図をする必要も、私を怒鳴る人も、私が怒鳴る必要も、私を殴る人も、私がやり返す必要もない。
好きな時に好きなものを食べ、好きな時間にお風呂に入り、夜中に煌々と灯りをつけたまま本を読むことだってできる。

「言ったでしょ」

友人は胸を逸らしてピカピカ笑う。

「祭ちゃんは絶対ひとりでも幸せになれるって」

内心少しも信じていなかった言葉は現実となった。
予想だにしていなかった穏やかな毎日は満ち足りている。

この先の私の幸福がどんな形で訪れるか、私にはまだ予想もつかない。
ただきっと、十年後も二十年後も、私はひとりで文章を書いているのだろうと思う。

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祭めぐる
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