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「海女の島《舳倉島》」
F・マライーニ著/牧野文子訳 1964年10月 未來社 発行
フォスコ・マライーニは1912年イタリア生まれの人類学者だが、ネットで検索すると写真家、登山家であり東洋学者となっている。ちなみに「東洋学」とは東洋諸国の文化や歴史などを研究することを言うらしいのだが、では「西洋学」というのはあるのだろうか。「西洋史学」とか「西洋音楽史学」とか「西洋哲学」とかはあるのだろうが、どうも「西洋学」というひっくるめた学問は聞いたことがない。
ともかくマライーニは、大学で自然科学や人類学を学び、東洋に興味を持ち、アフリカやチベットを訪ねた後にアイヌを皮切りに日本文化に興味を持つようになった。
1941年といえば日本がハワイ真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が勃発する年であるが、その年に京都帝国大学のイタリア語教師となる。しかし、まもなく敵国人とみなされ家族共々名古屋の収容所に入れられる。
その後、イタリアに帰国するが1953年ごろ再び日本を訪れ、各地を巡って研究、記録映像を撮ることになる。
僕は文化人類学や社会人類学の本を読むことは好きなのだが、「人類学」は西洋が自己の高度な文化を、文化の劣った西洋以外の国々と比較し、啓蒙するための学問だと、サイードの『オリエンタリズム』を読んで一方的な考えを持ってしまった程度の知識しかない。そういう偏狭な目でマライーニの序文を読むとこんなくだりがある。「冬に、わたしは北海道の真ん中で、カムイ(神)に熊を捧げるアイヌの《イヨマンテ》を撮影した。ー中略ー だがその全体に、今日《セックス》と言われているようなものがつまりそういう点でのぴりっとした味がちょっぴりきいていないのであった。」
もちろん、裸体の女とさえみれば性的魅力をかぎつける連中、セックスといえば売れると考えている連中(編集者)に”腹を立てて少しうんざりして”いるし、西欧人の”偽善的でアカデミックな裸体の概念”に対して”驚くべき均衡を保っている”日本も近代化に伴い、裸体の概念が”新しい悪い習慣”に変化しようとしていると述べてはいる。が一方で、いわゆる劣った文明のエロチックな風習がこの本の見どころになっているとも言わんばかりなのだ。
西欧人の東洋に対する劣ったとか未開とかの概念はこのマライーニも当然持っているし、未開の地で調査を行う人類学者らしく、同行のペニーという女性に、海女と仲良くなるために「スリップだけにして、胸をあらわに」することを命じるのだが、それでも西欧的な心の荷ごしらえから解放され、気持ちをいやされ、美しくごく自然で、周りの風景の一部分として海女たちの裸体を見ることができるようになった、と序文の最後に述べている。
したがって僕もここでは人類学という難しい学問は脇に置いて単純に、純粋にこの本を紀行文として読むことにした。
Wikipediaによれば、最初に書いたようにマライーニは写真家でもあり、登山家でもあり、長女は詩人でもあるとのことだ。この本も人類学の調査というより観光客目当てではない、生活の労苦を生きる”ほんものの海女”を求めて苦労の末、舳倉島にたどり着いたマライーニの詩情溢れる紀行文を豊富な写真とともに楽しもうと思う。