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かつて天才だった俺たちへ

 数か月前にリリースされたCreepy Nuts(クリーピーナッツ)の「かつて天才だった俺たちへ」に収録された曲であり、同タイトルの曲のリリックを自分なりにサクッと分析させていただきたい。

 まず同曲の第一印象としては、頑張る人へのエールであったり、物事に対し躓きかけた人の背中を押してくれるといった雰囲気だ。

 早速歌詞に入っていくことにする。「苦手だとか怖いとか気づかなければ俺だってボールと友達になれた 頭が悪いとか思わなけりゃきっとフェルマーの定理すら解けた、、、」と続いていく。最初は気にも留めず聴いていた歌詞だが一曲聴き終えると、この序盤から汲み取れる内容はとても面白い。何も知らない、汚れていない純粋無垢な状態を「天才」と呼ぶあたりRさんて感じがしますよね。肝心なhookの部分はまだ聴いていない人のためにもここでは割愛させていただく。

 2番に入り、私が一番ビビっと来たリリックを紹介したいと思う。2番の始めからはかなりR指定さんらしいといったようなおもしろいリリックが続いているのだが、中でも「俺はキャンパス かなり薄汚れた だけどワンチャンスまだ余白はあるさ」の部分だ。最初に戻って始めの方のリリックを確認してほしいのだが、勘のいいひとはもう気づいているかもしれない。17世紀の数学者フェルマーは「算術」という本を研究してその本の余白に有名な48の注釈を書き込んだと。48の書き込みのうち47の命題は後世の数学者達によって証明または反証が与えられたが、最後の1つとして残った2番目の書き込みについては長年にわたって解かれずにいた。その注釈には「この定理に関して、私は驚くべき証明を見つけたが,その証明を記すにはこの余白はあまりに狭すぎる。」と記されていたのだ。これは数学者の中で360年にわたって議論され続けた非常に面白い命題である。説明がかなり長くなってしまったが、このキャンパスのくだりは序盤に出てきたフェルマーの定理の伏線回収になっているのだ。(あくまで個人的見解)自分をキャンパスに見立て、生きていくうちにまっさらな自分ではなくなり汚れた部分もあるが、まだ余白がある、その余白の埋め方次第で自分はもっといい作品になるという解釈だ。

 クライマックスのバースに出てくるゴンフィンガーの解説もしたいがかなり長くなりそうなので一旦やめさせてもらいます。ここまで読んでくださった方、大変ありがとうございます。