【ブルアカ:黒崎コユキ短編】天弓は驟雨の後に
「うう、疲れましたー! 遊びましょうよー、先生!」
充電切れと言った様子で、上半身をぺたんとガラス机に倒してコユキが言う。
連邦捜査部S.C.H.A.L.E。そのオフィスに”先生”と黒崎コユキがいる。
当番業務にも慣れ、真面目に仕事をこなすコユキのサポートもあり、この日の仕事は昼頃には全て終わっていた。
そんな時に送られてきたユウカからの連絡。
曰く、コユキは課題をしばらく提出しておらず、このままだと単位が危ういのだとか。
課題を終わらせるまでコユキを返さないことを依頼された先生は、彼女を引き留めて勉強を始めさせたのだが、
「……ダメ。全部終わらせてからって言ったでしょ」
「うう……もう、飽きちゃいましたよー! 大体何で私が、天気の勉強なんてやらないといけないんですかー?」
この有様だ。昼から続けてきた宿題トライアスロンも終盤戦、残りは気象や地学に関する問題集だけのようなのだが、完全に集中力が切れてしまったらしく体をばたつかせるばかりで手が進まない。
「まあまあ、そう言わずに……将来何が役に立つか分からないし、知ってるだけで面白いことってあると思うよ?」
「うーん、なんか言いくるめられているような……でも分かりました。頑張るので終わったら一杯褒めて下さい!」
うん、たくさん褒めるね。そう先生はコユキを促した。
時刻は夕暮れに差し掛かり、窓からはオレンジがかった西日が差す。
先ほどまで降っていた予報に無い突然の夕立は既に止み、晴れ渡る空がそこにはあった。
まだ少し暑さの残るこの時期、夕方の天気は移ろいやすい。
夕立、にわか雨、驟雨、白雨、喜雨。
様々な固有名詞で呼ばれるこの雨は、勢力は強いものの急速に降り始めて短い時間で止むのが特徴だ。
天気というのは複雑で、完全なる予報は難しい。
バタフライ・エフェクトという有名な言葉で説明されるように、非常に微細な出来事が竜巻のような大きな現象を引き起こす可能性が否定できない、そんな複雑でカオスな系だ。
様々な気象モデルの導入などにより、年々予測精度は向上しているが、この学園都市キヴォトス最高のシステムを使ったとしても100%の予測は不可能だろう。
「先生! 質問なんですけど、先生って虹見たことありますか?」
紙をめくる音、ペンがノートを滑る音、タイピング音、それだけが室内を満たす静寂の時間が10分ほど続いた後、唐突にコユキが言う。
「虹……? まあ何回かは見たことあると思うけど、急にどうしたの?」
「いえ、今丁度そういう所の勉強をしてて……そういえば私って一回も虹を見たことがないなーと思いまして」
雨滴がついたオフィスの窓を見ながら、コユキは呟く。
彼女にしては珍しい、少しだけ物憂げな表情。
「そうなの? まあ、いつでも見られるものじゃないからそういう人もいるのか……」
「にはは……。私ってやっぱりちょっと運が悪いんでしょうね。今日なら先生もいるし、もしかしたら見られるかなって思ったんですが、そろそろお日様も沈みます。……ちょっとだけ残念です」
立ち上がり窓に張り付くように手を添えるコユキ。
もうじき日暮れといっても、まだ外は明るく反射の少ない窓越しの表情はうかがえない。
「……コユキって、SNSとかはあんまりやってないタイプ?」
作業の手を止めて、先生がコユキに問いかける。
「そうですね。先生や先輩方と連絡を取る用のモモトークぐらいで、他はあんまり……それがどうかしたんですか?」
「いや、コユキらしいなと思って――ちょっとこっち付いてきて!」
そう言うと先生は廊下側へと歩いていく。
廊下に備え付けられた小さな窓、その向こうをのぞき込んで微笑を浮かべる先生。
「どうかしたんですか、先生……? って、ああ虹だ!! 何で!!!」
薄オレンジに染まるに空に弧を描く様にかかる七色の円環。
遮るもののない高所の空からは、それがとてもよく見える。
「なんで? なんで、見つけられたんですか?」
喜びと無邪気さをにじみ出すようにコユキは目を輝かせる。
「何でだと思う?」
「うーん、エスパーだから? や、そんなのあり得ないか……」
「コユキ、これ見て」
先生は右手に持ったスマートフォンを見せる。
画面ではTwitterが開かれており、トレンドに『#D.U.虹』という単語が浮かんでいた。
「おお! Twitterって奴ですね! 先生は結構やられているんですか?」
「うん。シャーレの活動に結構役立つからね。こういう今のニュースも知れるし」
スマホをコユキに渡し、先生は窓を開く。
雨上がり特有のしっとりとした空気が鼻をつく。
「でも、虹を見つけられたのはそれだけが理由じゃないよ。知ってる? 虹って太陽の反対側の空にできるんだよ」
「そうなんですか? 全然知りませんでした!」
「だから見つけられなかったんだと思う。オフィスの窓は西向きで夕方の太陽も西にあるから」
朝夕の太陽が低いその時間帯に、大気中に水滴がある場合にかかるのが虹という現象。
太陽の白色光が水滴をレンズにして屈折、約42度の角度で反射することで地上にその姿を見せている。
「世の中、運もあるけれど知ることで変わることだってたくさんあるんだ。コユキは凄く頭がいいから、ほとんどのことを自分で見つけられるのかもしれない。でもね、たまには本や人に聞いてみるのもいいと思うよ。だってこの空、とっても綺麗でしょ!」
「……はい!!! すっごく綺麗です!!!」
満面の笑みを浮かべながら、コユキは辺りが暗くなるまでその虹を見ていた。
その後、本気を出したコユキの集中力は凄まじく、課題はすぐに終わってしまったが、興味がつきなくなった彼女は、タクシーに押し込まれるまで先生を質問攻めにしていたという。
翌日、無事に課題を提出したコユキだったが、授業をサボってシャーレに入り浸っていたことが発覚し、先生ともどもユウカにお説教を受けるのだったが、それはまた別の話。