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α星とγ星と、アルゴル。

火照った身体を冷やすように、温度の低いシャワーを捻って顔の正面から浴びた。身体のあちこちに志帆の温度と匂いが残っている。それらは自分の汗と一緒に流されて排水溝に吸い込まれていく。まだ頭に残っている微かな痺れは、瞼の裏にチラチラと幻の紫色の光をみせて視界の中心から放射状に流れていた。

「薫、今夜流星群が見れるって知ってた?シャワー浴びたら一緒に見ようよ」

ベッドにうつ伏せになり、左手の薬指で僕の右手の親指を擦りながら志帆がいっていたことを思い出す。彼女と僕は恋人ではない。たまに「今晩泊めてよ」というLINEを送ってきては彼女はやってくる。僕はその誘いを断れず、関係はだらだらと続いていた。大学の頃から付き合っている彩佳(あやか)は就職した商社の仕事が忙しく、お互いのスケジュールの空白が重ならない限り会わないようになっていた。僕は意識的にふたりの性格や言動、容姿などを比べないようにしている。けれどそのとき「彩佳は今晩流星群が見えるということを知っているだろうか」と考えてしまった。目標のためにひたすら努力する彼女の性格が好きだ。しかし彼女はひとたび目標を設定するとそのほか周りのものに気が回らなくなる。僕はペルセウス座の右肩辺りから一直線に滑っていくプラズマの閃光と、そのすぐ側で見向きもされないγ星を思い浮かべていた。

「シャワー長いよー。ちゃんと保湿した?乾いた唇とキスするなんてわたし嫌だからねぇ?あっドライヤー借りてまーす」

濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に戻ると、志帆は窓際でソファシングルチェアにあぐらをかき、よく通る高い声で話しながら髪を乾かしていた。彼女の生き方を写したようなその軽妙なノリは人から嫌われることも多い。高校卒業後に就職した会社を1年足らずで辞め「私同じとこで長続きしないんだよねー」と笑いながら話していた通り、いまだに新しいバイトを始めては辞めを繰り返している。自分の弱みを隠さずに披露する反面、ひとに甘えることはあまりない。

うちに来るのは僕に甘えているのだろうか。そうでないとしたらいったいどういうつもりなのだろう。僕はゲーミングチェアを転がして彼女の隣に移動した。熱を浴びた髪の匂いとヘアオイルの甘い花のような香りを混ぜる夜風が、網戸から部屋全体を香らせた。彼女の髪に触れたい、と思った。

「ねえ、もう何回か見えたよ流れ星。ペルセウス座の近くに放射点ってのがあって、そこから流れるらしいよ。ウェザーニュースで言ってた」

そう言いながら志帆は自分のスマホを見せてきた。それはYouTubeで北海道の天文台から生中継放送をやっている様子だった。今夜北海道では低緯度オーロラも観測されているらしく、幻想的な薄赤色のカーテンのかかった夜空を流星が煌めいては消えていく映像が見れた。「オーロラ見たかったー」と口を尖らせている志帆の唇が微かに赤色に色付いていることに気がつく。髪を乾かし終えた彼女はタオルを肩にかけて軽く上を向いている。白い首筋に月明かりが差して、薄暗い部屋の中にぼんやりと浮かんでいた。

「私、流れ星って好きなんだよね」
「え?初耳。らしくないね」

飽きっぽい志帆は読書や勉強が大嫌いだ。おそらくペルセウス座に関する神話にも興味がないだろう。知識をひけらかすような話は彼女の機嫌を損ねることが多いので、極力避けるようにしていた。「らしくない」と言われたことが不服らしく、薄い目でこちらを見ている。

「どうして?」
「んー……。『儚い』っていうの?そんな感じで親近感。私今にしか生きてないからね」

すこしおどけた調子でいった志帆の言葉は、彼女の魅力と欠点をよく表しているように思えた。彩佳とは何度か将来の話をしたことがあるが、志帆はそういう話を避けるくせがある。いつか彼女がいっていた「明日死んでも平気」という言葉は、本当にそう思っている人の調子を持っていた。

「リップ。また塗ったんだね」
「……うん。大丈夫、落とさなくても平気なやつだから」

そういって志帆は僕の左手を取り、人差し指にキスをした。それは僕たちの間にあるサインのひとつだった。明日の朝、久しぶりに「流星群みた?」と彩佳にLINEを送ってみようと思った。

流星は明け方頃にピークを迎え、地球の大気と衝突して激しい点滅を繰り返していた。

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