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ナイフ
あなたがいなくなって3年が経つ
この部屋とわたしの10年間のうち
半分をあなたと暮らしたことになる
あなたはもう帰ってこないと
気付くのに半日かかった
もう半日をかけて写真を捨てた
もう増えることのないあなたとの思い出を捨てた
あなたを切り取ったわたしの記憶は
残すほどのものではない気がした
歯ブラシ ワックス シェーバー
化粧水 マグカップ 箸 茶碗
モバイルスピーカー ANKERのコード
下着 靴下 タオル ボディシート
枕カバー ライター 吸い殻入れ
捨てるのにためらいはなかった
呪いにかけられたままになるのは嫌だったから
誕生日に買ってくれた花は2週間で枯れた
わたしが水を替えなくなったから
ソファのカバーと壁紙を花柄に変えた
それでもあなたの匂いを忘れるのに1年はかかった
Netflixのプロフィールを消して
SNSはすべてブロックした
ナンバーを着信拒否設定
LINEのトーク履歴を消した
冷凍庫の作り置きも捨てた
あなた好みのお菓子も捨てた
わがままな買い物をして
空いたスペースを埋めた
作ったことのないレシピを集めて作った
行ったことのない店をリストした
それでも胸の虚しさは埋まらなかった
幼馴染の結婚式に出席したとき
あんなやつと言って不器用に笑った
こうまでして忘れようとしているのに
久しぶりに会った友人の笑顔に
あなたの面影を見ていた
仮面のような笑顔のわたしを
座敷の隅の方でアハハと
仮面のような笑顔の誰かが
笑って見ている気がした
3年が経っても
捨てられないものがひとつだけある
セキセイインコのぴよ
あなたがうちに来るときに
鳥籠を抱えて連れてきたぴよは
あなたの言葉を憶えていて
わたしはそれを捨ててしまいたい
鶏の締め方 鶏の解体 鶏の血抜き
方法は簡単にわかった
ぴよの首を切り 逆さに吊るして 血を抜いて
皮を剥いでしまえば肉になる
ぴよを食べるのは嫌だ
たとえわたしの腸内細菌が分解しても
吸収したくない
わたしはあなたから逃れたい
忘れられないのはぴよのせいだ
忘れられないのはぴよのせいだ
そう繰り返しながら
わたしはいま包丁を研いでいる
わたしはいま私を研いでいる