脳天を叩き割れ
部屋はまだ片付けられておりません。
この間久しぶりの楽器達の大移動をして、懐かしのギター達を調整した。
よってストラトキャスターが今手元に5本と、パーツ剥ぎ取られたのが1本ある。
ストラトキャスターだけで5人組のバンドが組めてしまう。
また別で写真を載せようと思うが、何せ自部屋がさらに増えた大量の機材や積年の不用品(とは思っていない)で完全に倉庫状態の為スペースが無く、頭の悪そうな接写ばかりになってしまいそうであまり撮りたくない。
PANTAさんの体調不良により頭脳警察のライブが中止になったので、レコーディングへ頭を戻してアレコレ考えるようにしている。
早く一緒に音を出したいけど、ここはPANTAさんにはゆっくり休んでもらい存分に焦らして頂いて、また予測不能な音を鳴らせる日を楽しみにします。
しかしこの間のPANTAさんの妄想ライブテキスト、「そんな予定やったのか、すげー。。」と思わず他人事のようにワクワクしてしまったけど、ゴリゴリに攻めたライブになる予定だった事は十分に伝わったはず。
そして、鮎川さんと一緒にやれなかった事が本当に残念でならない。
鮎川さんと初めて会ったのは18歳の頃、オカモトズのコウキと3人で雑誌の対談企画をした時だった。
当然、俺もコウキもいかに鮎川さんに、そして70年代の日本のロックに影響を受けたかを語り尽くするわけだが、鮎川さんはずっとあの黒いレスポールを抱えたままで、話し始めると顔を上げて真っ直ぐ目を見て話してくれた。
その目が物凄く輝いていて、当時「18歳の今の自分より絶対に綺麗な輝きしてる」と思った事を鮮明に覚えている。
鮎川さんが通っていた小学校に米軍の戦闘機が突っ込むという事故があったという話や、音楽以外でも興味深い話を沢山聞かせて頂いた。
「休みやったけん良かったけど、授業中やったら皆死んどったね。」
と言うとまたギターを弾き始め、終盤にかけてお話よりもギターを弾く比率がみるみると上がっていった。
インタビューの終盤、それぞれの世代にとってのロックの存在、のような議題で自分とコウキが順に熱く語った後、最後に鮎川さんに総括して貰うような流れに入り、インタビュアーの方が話を振ったのだが、ちょうどギターの比率が頂点に達して明らかに話を聞いていなかった様子の鮎川さんが一言、
「そやね」
とだけ呟いて再びギターを弾き始めてインタビ
ューが終了した。
「俺、この人の事ほんまに大好きや。。」
と初対面の大先輩に対して半ば恋心のような感情をもって、家路についたのが初めての出会いだった。
そこから何度かお会いする機会はあったけど、久しぶりにお話出来たのは2019年にイベントでご一緒した時。
当時頭脳警察に参加したばかりでその事を伝えると、「PANTAんとこで弾きようと⁈」と驚きながら、一緒にやろうねと言って頂いた。
そこから3年後、実現すると決まった時はめちゃくちゃ嬉しくて楽しみで仕方無かった。
まさかもう実現する事が無いなんて、お話する事さえも出来ないなんてと考えると、本当に寂しくて堪らない。
しかしながら誰よりも悔しいのはPANTAさんだと思うし、あのライブにかける思いは並大抵のもので無かったに違いない。
先述のライブテキストを是非読んで頂きたい。
そんな先輩方と接して、本当に格好良い人は格好つける人じゃなくて、親しみやすくて人を緊張させない人なのだと思う。
PANTAさんもTOSHIさんも鮎川さんも、ミチロウさんも、それぞれの方向で圧倒的な自信と強さと優しさがある。
まだまだ若い(はずの)自分でも悲しみなんかは全く求めてないのにただ増えていくばかりで、楽しみもその分勿論いっぱいあるけど、なかなか実感するまでに追いつかないし強さに変換するのは容易く無いね。
結局は一つ一つを、いちいち楽しいと感じたもん勝ちか。
俺はそう考えている。
(featuring.亀田史郎)
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