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【エッセイ】書くということ

いつでも、何かを書いていたように思う。
 原点は、小学生の時受験の為に通っていた作文教室だと言える。四百字程度の簡単な作文を、地球温暖化について、とか、自分の長所と短所について、とか、様々なテーマで数えきれないくらい書いた。わけもわからずただがむしゃらに、言われるがままに書いていたのだが、不思議と褒められることが多かった。果たして当時の私のつたない作文が本当に優秀だったのか、それとも先生が私に自信を持たせるためにそう言っていただけなのか、今となっては定かではないが、その時に、もしかしたら自分は書くということが得意なのかもしれないと思ったことは覚えている。出来上がったものの良し悪しはここでは取り上げないことにして、それから書くことは私の数少ない特技となった。
 日記をつけることが好きだ。大してとりとめのないことを、ただ気楽に、誰にも見せないから誰の目を気にすることもなく、自由な言葉で綴れる。私は一番日記の中で自分に正直になれる。私にとって日記は、自分を自分のまま解放できる貴重な場所である。日記には、後から読み返す楽しみがあるということを忘れてはならない。その時の自分が残した言葉たちは、唯一無二の大変刹那的な、思い出のかけらだと思う。読めば、どんな写真よりもリアルに、その時の気持ちや空気や感覚がありありと蘇ってくる。
 物語を書くことも楽しい。自分の過去の体験や、その時思っていること、考えていることを、全く別の人格や出来事に投影させる作業は私にこの上ない快感を与えてくれる。もちろん、とても困難で複雑な作業であるのだが、私の生み出す物語には、どんな責任もしがらみも伴わないので、ただ気ままに書き散らすだけである。自分の作品の傾向としては、依存からの自立や束縛、嫉妬を描いていることが多く、よく考えてみればそれらは今までの私の人生における重要なテーマとなっているので、大変興味深い。
 書くことは、自分と真正面から向き合うことだ。不安な時や心配なことがある時、自分の心を整理するために書くことがある、そんな時は書くということがちょっぴり恐ろしい。避けていた問題や自分の負の感情が、紙の上でありありと浮き彫りになってしまうからだ。
 でも、書ききった後、心の変化に気づく。それまでの不穏な心のざわめきは凪のように収まり、なんだかすっきりしているのである。思いっきり泣いたり、大量の汗をかいた後の感覚に似ている。つまり私にとって書くということは、マッサージやデトックスのようなものなのだ。紙とペンがあればいつでもどこでもできるし、安上がりで良い。
 毎日を過ごしていれば、平凡なことから特別なことまで、実に様々な出来事が起こるから、一生書くことに事欠かない。私は今日も書くし、明日も書くだろう。ただ、書いた日記は見られると大変恥ずかしいので、墓場まで持っていかなければならない。

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