記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

海のはじまり 第七話

津野という「外野」である存在が、実は「外野」ではなかった時間があって、むしろ必要な「内野」だったことが示される回。
津野と水季の職場での出会いから、次第に海の世話をするようになる経緯も含めて描かれた。

みかんヨーグルトというリクエストに対して、みかんとヨーグルトをそのまま買ってくる津野。
「そういう選択肢があったとは」
当事者ではない者の立場だからこそ見えること、示せる選択肢があることを示唆しているのか。
当事者にとってはゼロかイチかという思考に陥りがちなところ、そこに第3の選択肢を示せる存在として。
自分にはない発想は、他人からしか得られない。
だからこそ、水季は「これからも助けてください」と素直に言えたのかもしれない。

人間は社会的動物である。
いくらかの個体が群れて「社会」を形成することで生き延びて来た。
おそらく、人間にとって最も危険なのは、1人になること、孤独になることではないだろうか。
それを回避するには、周りの人と協力し合って、仲間や家族を増やしていくしかないだろう。

だが、家族を増やせない人もいる。
そういう人であっても、周りの人と協力し合うことはできる。
その中で、自分の役割を見つけたり、他人に感謝されることを本能的に欲しているのだ。
そうして、社会の一員として生きることは、かわいそうなことでもないし、貧しいことでもないし、悪いことでもない。
子どもを産まないこと自体が、なんだか悪いことのように扱われがちな昨今だが、そうした境遇の人は意外と多いだろうし、その多くの「津野」は、実は社会に必要な存在だと示しているのではないだろうか。

水季の死を電話で知らされる津野。
かかってきた電話は、水季ではなく水季の母・朱音からだった。
電話をとるまでに、嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪える津野。
電話の声は聞こえない。
ナレーションもない。
だが、水季が亡くなったことは視聴者に伝わる。
静かに、だが激しく、込み上げる嗚咽を我慢できない津野の姿は見ていられないほどに辛い。
本当に悲しいのだと思わせる泣き姿が観る者の心を揺さぶる。

それほどまでに水季を想っていたにも関わらず、遺品整理では朱音から「外野」として扱われてしまう。
辛すぎる仕打ち。
だが朱音も、ひとり娘がなくなったばかりで余裕なんてない。
改めて、人が1人亡くなることの影響の大きさを感じる。

水季の墓参りに、夏と海、弥生が出向く。
津野が先に来ている。
帰り際、津野と弥生が会話する。
津野は水季と過ごした7年間をポツポツと話す。
これから海の親となろうとしている弥生にも容赦無く冷水を浴びせつつ、それでも「南雲さんみたいに、ひとりで決めないでください」と言う。
津野は外野から、外野としての関わり方をこれからも続けていこうとしている。
パートナーを見つけて結婚して子供を産まなくても、そうやって関わっていくことを諦めない姿勢でいればいいのだ。

多くの「津野」たちに、他者と関わる「回路」が開かれていることで、世界はもっと生きやすくなる、というメッセージを受け取った気分だ。


いいなと思ったら応援しよう!