海のはじまり 第八話
父親とは何か。
根源的なこの問いに、夏が向き合う話。
世の中に溢れる「男性像」の醜悪な部分を煮詰めたような夏の実父・溝江基春と会うことで、夏は何を得たかったのか。
フィルムカメラで水季を撮る夏。
実の父親からもらったカメラ。
「かわいい?」と聞く水季に「おもしろい」と答える夏。
おもしろいから撮っておく、という行為。
世の多くの「父親」という生き物が、最初に子どもと向き合う時は、まず観察から入る。
ただ観察するだけでは何もしていないと思われる。
それを回避するために用意されているのが「子どもの写真を撮る」という「仕事」だ。
母親は子をお腹に宿してから、もっと言えば初潮を迎えてからずっと、子を産む性としての心構えがある、と思う。
だが、身体としての男性性には、そういった「助走期間」がほぼ無いに等しい。
だから、ある日突然目の前に「小さな人間」が「登場」するのだ。
「誕生」というよりは「登場」のほうがしっくりくる。
心構えができていないので、とりあえず見るしかない。
見ていると毎日違う顔をしていることに気づく。
そのまま見ていてもよかったのだが、さすがに何もしていないように見られてしまうので、とりあえず写真でも撮っておくか、となる。
実にリアルだな、と感じた。
夏は3歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られて育ってきた。
母は再婚し、現在の父親と弟・大和と暮らすようになった。
実父とはずっと会っていなかったのに、どうして今になって会いに行ったのか。
それは、海の父親としてスタートするために、ロールモデルが欲しかったからだろう。
夏自身がどうなりたいか、というよりも、子どもにとって何が最善かを考えた末での行動である。
夏の頭の中は海のことでいっぱいになっている。
スーパーへ行けば、無意識に海のためのメニューを考えている。
この「無意識に」というところが、親になろうとしている夏がもうすでに「親」というものを意識せずに実行していることを示している。
いや、実行というのは正確ではないかもしれない。
「親になる」ということは「親であり続ける」ことだ。
意識するしないに関わらず、そうである状態、というのが感覚的には近いだろう。
もちろん、いろんなことが手探り状態ではある。
だが少なくとも、意識することなく子どもの最善を探すというのは、親であることの基本スタンスだろう。
実父・溝江基春は「世の中に溢れる「男性像」の醜悪な部分を煮詰めたような存在」として描かれる。
会ってすぐに「何、この子?」(誰、ではなく、何)、趣味は競馬と釣り、時々麻雀(ただしパチンコはやらない)、というような、どこにでもいそうな「おっさん」として、見るものを不快にさせる。
そこには予定調和な「実はいい人だった」とか「実は子ども思いの優しい人だった」などという優しい描写はない。
ただ、エッセンスだけがあるとすれば、フィルム写真を現像するために写真店に毎日通って「夏、来てるか?」と写真店の主人に尋ねていたことくらいだろうか。
もっとも、この行動も優しさや親としての愛情からくるものというよりは、興味本位に近かったのではないかとも邪推できるレベルだが。
基春の暴言は続く。
本当にお前の子どもなのか? 女に騙されてるんじゃないか、お前ほんとに俺の子? (海を指して)お前の子かどうかわかんないよ、変な名前、母親変わってんだな、女ってずるいよなあ、産めるってずるいわあ。
夏の感情が爆発する。
椅子を蹴り飛ばす夏。
「育ててないけど、俺の子です」という夏。
「だから、育てられてないけど、親に会ってみたかっただけです」
基春はぶれない。
「育ててなくても、血のつながってる親は、子どもを思って離れてても愛し続けているに違いない、・・・って期待しちゃったの?」
「残念だったね。育ててない親なんてしょうもないって分かっちゃったね、かわいそうに」
この実父の行動・態度が、夏の感情のリミッターを外すことになる。
周りの人が優しすぎて、自分が存分に悲しみを表明できない苦悩を基春にぶつける夏。
今はもう遠い距離感の実父と夏だからこそ、言いたいことが言える場合がある。
本作のテーマは「親子」。
血のつながった親子ならなんでも分かり合えるといった従来のステレオタイプな価値観を華麗にスルーしつつ、かといって完全に無いわけではないけど神聖視するなと言わんばかりに冷や水を浴びせてくる。
基春が離婚時に言われた言葉
「面白がるだけなら趣味。楽しみたいときに楽しむだけなら趣味」
世の中の多くの「父親」に浴びせかける冷や水。
「責任もない。心配もしない。レンズ越しに見てただけ」
世の中の多くの「父親」たちが最初に取り掛かったその「仕事」は、その先へ進まなければならないのだと。
最後に基春は夏を褒める。
子どもがいるときに椅子を蹴っ飛ばさなかったこと、耐えたことを。
「ああいうのは面白がってるだけじゃ、できないよな」
自分と夏とは、親としての覚悟が違うことを夏に伝える。
夏もそれを受け止めたのか、その場を去る。
おそらくもう二度と会うつもりもないだろう。
夏がはっきりと親であること、親であり続けることを自覚した瞬間だった。
余談。
毎話のように「水」ないしは「液体」がキーアイテムとして登場するが、今回は「釣り堀」だろうか。
完全に周囲からは切り離されたいわば「別世界」でありながら、海や川を模した場所である。
結局のところ、基春がやっていたのは「子育て」ではなく「趣味」だったのだということ。
海や川での釣りのように見えて実は全てが作られた人工的な設備の中で釣りごっこをやっていたのだということを示しているのだろうか。
「第9話の放送を1週延期」とのこと。